CRF250L 3月の九州野宿旅(1日目)

3月ながら金土日で気温が20度を超えるということで、目的地はどこでもよいので昔ながらの荷物を極力持たない装備で野宿旅をしてみたくなりました。今回はお湯を沸かす装備さえ積み込まず、準備したのは本当にハンモックとマットとシュラフと着替えのみ。あぁ、椅子は念の為に積んだけれどこれもヘリノックスのような背もたれもついてくつろげるタイプではなく、棒みたいな足が1脚のもの。

そんな装備だからその日のうちに出発しようと木曜日の夕食が終わってゼロから準備を始めてもそう時間はかからりません。さて、CRFに荷物をセットして、ハイエースに積み込もうかな、とエンジンをかけたら‥セルは勢いよく回るのにエンジンがかからない。はて?

トラブルとして思い当たる節がない。タンクの中を覗いてみてもガソリンは見えるのだけれど、もしかしたらと思ってGBから携行缶にガソリンを抜けるだけ抜いて(といっても2Lほど)移してセルを回したら、あっさりエンジンがかりました。なんと通勤で自宅に到着した時点で完全ガス欠していたようです。

なんとなく薄らぼんやりと九州とは決めていたけれど、高速の料金所をくぐってから上下線の分岐まで2kmくらいあるアプローチを走っている段階でも、上り方面にしようか下り方面にしようかと迷っていました。僕の旅はそのくらい自由な感じが良い。目的地を定めるわけでなく、天気と相談しながら気になったところへ向かう。どこへ行こうがいつ帰ってこようが良いのだ。

木曜日の夜は結局ホテルハイエース下松SA支店泊。朝は5時過ぎには目が覚めてしまうのだけれど、出発が遅れたので睡眠時間が6時間とれませんでした。

翌朝、山口県の端っこでハイエースの走行距離10万キロを迎えました。10年4ヶ月かかりました。

さぁ、行くぞ、九州。

行けば絶対にハズレのない長崎も考えたけれど、丸3日あるのでできるだけ南下する旅にしようと、今回は福岡県内に車を置かせてもらって出発。

近くにガソリンスタンドがなくてマジメにちょっと焦りました。

ローカル無人駅って、機能を保ちながらいかにシンプルに作るかという工夫が目に見えて分かるのが、好き。バイクもそんなバイクが良い。

翌日の土曜日にあやのすけさんが震電を見に行くと言われていたので、それに乗って一足お先に大刀洗平和記念館へ到着。

震電。レプリカだけれど。初めて震電を知ったのはいつのことだったかもう忘れました。随分子供の頃だったと思います。

それまでの飛行機の形状では操縦席から尾翼までの大きな空間が基本的に空洞で無駄があった。そこで前後をひっくり返して操縦席の前に来るこの空間に、大型の機関砲を4門設置することで、空間的な無駄を排した‥というのを子供の頃に知って、そこに美しさを感じてしまったのは僕の人格形成に大きく影響を与えたと思います。飛行機なんてそもそも無駄を排して作っているはずなのに、詰めればまだ無駄をなくしていける、という発想。そうか、これはジムカーナにも影響を与えているかもしれない。

通常の機種にエンジンのあるプロペラ機は降着時に前方が上がっていることで揚力が自然と生まれる方向になるけれど、震電はエンジン側を上向きにはできないので普通の飛行機をそのままひっくり返すだけというわけにはいきません。プロペラと地面とのクリアランスも必要になるので、後ろ側の高さも確保しなくてはならず、結果前脚の長い全体的に腰高なプロポーションになります。

プロペラだけに注目してみると、3枚よりもものすごく風が起きそうね。

隣に設置されている32型の零戦。こちらはアメリカで見つかった本物。プラモデルなんかではわからない、表面がゴワゴワしているのがみてとれます。

翼の前縁の黄色いペイントは何のため何だろう。これのおかげでとても零戦って感じがするけれど。

操縦席はあえて修復せずにボロボロな感じ。青竹色と呼ばれる内装の色がよくわかります。

翼端の切り落とされたのが特徴的な32型の形状。

震電の翼端にも黄色いペイントがあるな。(この黄色いペイントは、正面から飛行機を見ると国籍マークが見えなくて敵機か味方機かの判断ができないため、日本陸海軍の航空機に施された識別塗装ということです。本土空襲が始まって以降の措置なので、WWII初期の機体には施されていません)

陸軍機も。97式戦闘機。

記念館の展示物の撮影は3機の飛行機のみOKです。その他の展示物の撮影は認められていませんが、飛行機を主体とした構図に付随して収まってしまうのはOKと確認しておきました。

以前長崎ツーリングをした時に驚くほどキリスト教大聖堂が点在していて、いつかそれらを巡るツーリングも楽しんでみたいと思っていました。

近くにあったカトリック今村教会。こちらは大正期ものだけれど、レプリカじゃなくて当時ものが今でも建っています。

日本の大正期はコンクリートを使い始めた頃なので、この時代の洋風建築は建物はまだ石やレンガ作りが多く、おかげで朽ちずに残っている。

残念なことに耐震工事中ということで中には入れませんでした。聖堂巡り、面白いな。今度真面目に考えてみよう。

道端で見つけた看板に惹かれてやってきた、トンカラリン。

用途不明の隧道型遺構だそうです。

階段もあるし、ギリギリ人が通れるくらいの大きさです。通路なのか排水路なのか宗教施設なのかいまだに謎だそうで、一応入っていけるけれど、中は真っ暗。ここのトンカラリンは全長400m以上あるとのこと。

東広島にもトンカラリンがあるそうで、これも近々行ってみよう。

たまたま走った玉名広域農道から見る風景がすごかった。瀬戸内海の島や四国で感じることだけれど、柑橘畑は迷路のような魅力的な風景を作ることが多いです。

ここは斜面の柑橘畑の遠景に干拓してつくられたと思われる田畑がパッチワークのような平原をつくっています。開放感も景色も道も最高に気持ちが良い。

日当たりの良い山の斜面は上の方までものすごく整然と作られた柑橘畑になっていて、その作り方には瀬戸内の島のそれとは違った律儀さが伝わってくるポリシーを感じます。傾斜角度・広さ両面で瀬戸内海の島よりも地形がゆったりしているせいかな。

20年も前に天草へ向かう途中に初めて見たときも「おっ!」と思った長部田海床路。干潮時は海に向かってコンクリートの道が現れ、満潮時は海から電柱が生える、それぞれにオモシロイ風景になっています。

昔は灰色をしたイメージの飾り気のない風景だったのに、今では「インスタ映えする」ということで小洒落た観光地になってしまっています。西向きなので夕方はさぞ映えることでしょう。

水平線に浮かぶ島は島原(雲仙岳)。うん、映える場所だ。

天草に来るのは4度目だと思う。天草五橋を渡った先は袋小路なので、リバースしない場合は船で脱出することになります。おかげでいつも船の時間にせかされてしまう。それに勉強不足なこともあってひとつ見どころがわからない。天草五橋周辺の平板な海景がちょっと面白いなとか思ったくらい。

それでも今回はロマネスクやゴシック様式の聖堂がいくつかあるのを知ってそれを目的にしたのに、船の時間に縛られて立ち寄ることもできずに港に到着。

家を出る直前にこの牛深ハイヤ大橋というものを知りました。海上でT字路になっていて、その先の下須島へのアプローチはループという、いろいろとんがっている橋です。目的地のひとつにしていましたが、この橋は港の上を通っているのでわざわざ立ち寄る、という感じでもありません。でも、時間切れで渡れなかった。

30分ほど船に揺られて、疲労感もあったので15分程寝てしまいました。この15分睡眠がとても良い時間で、エナジー多少復活。

鹿児島県側に到着、といってもここはまだ青島という島です。どうでもよいけれど、何だこのレトロなフェンダーは?と思ってしまった。

難読漢字。

鹿児島へは来る機会自体が少ない上に、広島からのアプローチだとついつい霧島を超えてしまうので、東洋のナイアガラと呼ばれる曽木の滝には足を運んだことがありませんでした。東洋のナイアガラって、日本国内にもあちこちにあるし、これまでにも群馬県の吹割の滝、大分県の原尻の滝は見たことがあります。あれらを超えるの?曽木の滝ってどんなもん?って思っていました。

想像以上の迫力でした。滝幅210m、落差12m、前日まで雨だったこともあるかもしれません。すごい波飛沫です。

川下側に向かって変な通路がある。

人為的に作られたこの通路、というか穴は発電施設の配管の通っていたもの。

事前に訪問しようとマークしてあったにも関わらず、僕はこの後行こうと思っていた曽木発電所遺構に立ち寄るのを忘れてしまったよ‥なかなか来ることのない地域なのに!いつか家族と再訪しよう‥。

この日、鹿児島まで足が延ばせるか怪しかったのだけれど、何とか届いたので突然ですが平日仕事上がりのmaruさんとお会いしてジムカーナ談義。もう、くたくたで意識飛びそうでしたが、とても楽しい時間でした。アジの寿司とか、僕の好物中の好物です。

暗がりの中、ゴソゴソとハンモックを釣って、22時ごろ就寝。

ハンモック泊事情について。
僕はカナダのヘネシー社のハンモックを愛用しています。布1枚物のただのハンモックではなく、側面に蚊帳、本体と離れた上側にフライシートがあるので、虫も雨も平気です。設置・撤収があっという間、フレームもないので畳むとシュラフ1個分の塊になるのがバイクで宿泊ツーリング上では大きな魅力。今回は3種類持っているうちのウルトラライトという小型軽量モデルを持参しました。なお、ハンモックそのものについての詳細はこちらの記事をご参照ください。

夏はこれだけあれば宿泊のために他の装備を追加することもなく一晩気持ちよく寝られます。背中面のすぐ外側は外気になるので夏はこれで良いのですが、寒い時期は断熱のためのマット必須です。

家の庭で年間を通して寝てみることで、朝の気温と追加装備の関係を試しました。その結果、明け方の気温が10度を下回らないならエアマット+シュラフ(モンベルダウンハガー#3)にバイク装備の服装で朝までは寝られることが分かりました。最も寒い日で明け方2度でも寝ることができましたが、この日は明け方の気温が10度。一番冷え込む午前4時に肩が冷えて目が覚めました。肩は張り出しているので内側から生地を押すように接してしまうため、背中に次いで外気の影響を受けやすい箇所です。B5サイズくらいの断熱シートを持ち歩いて肩に挟んでおけばこの問題も解決できますが、今回は持ち歩いていなかったので粘らずその時点で起きました。

【2日目へ続く】

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