言葉の裏・裏の言葉

「楽しいから笑うのではない 笑うから楽しいのだ」というウィリアム・ジェームズの言葉を耳にして、単に額面通りに受け取るのではなくこう考えた。

「楽しいから笑う」人とは、逆に言えば楽しいことに出会わない限り笑えない、笑いに対して受動的な人を指している。一方、「笑うから楽しい」人は、いつでもどこでも能動的に笑えば楽しくなれる。つまり自分自身でモチベーションや根気をコントロールできる人を意味する。

ウィリアム・ジェームズは「苦しいから逃げるのではない 逃げるから苦しいのだ」という言葉も残している。この方が苦しみは能動的にコントロールできる、ということが理解しやすい。

ジェームズがこれらの言葉を意図的に発したかどうかは分からないが、今観ている安土桃山時代の作品で、登場人物が会話の代わりに歌を詠むシーンがある。例えば(これは作中にはない私の思いつきだけれど)、「ウグイスが枝にとまったよ」という上の句に対し、それを受けた側が「強い風が吹いてウグイスは飛び去ることになった」と返す。これは「私はここに留まりたい」という思いに「それは叶わないよ」と返したようなものだ。

このように「ぶぶ漬けおあがりますか?」のような言葉遊びや言外の意味を含む表現から、私たちの日常生活は(京都人以外は)遠く離れてしまっている。言葉を発する際も受ける際も、磨かれた感性が光るような、より深く楽しい生き方をしたいものだ。

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