GB250 彼岸花とトンネル

表に「夏」と書いてあるカードをひっくり返したら「秋」って書いてあった。と思えるくらい、途中をすっ飛ばしていきなり季節が変わった。

今日は昼まで走ろうとメッシュジャケット着用で、下に防風インナーも着たけれど、10度ちょいちょいの気温では正直寒い朝だ。

羅漢まで上がっても寒くてそこから先へ進む気が起きない。続々と上がってくるバイクの人たちと歓談して小一時間ほど雨宿りならぬ寒宿り。

9月中旬のお休み。彼岸花を見に行こう。

もうひと月もしたらススキ野原に「らかん」の文字が浮き上がる羅漢高原を越えて、

毎年訪れている六日市近くのひがん花の里に来てみた。

毎年花が咲く前に、路傍にのアスパラガスのような茎を見つけられたらその年は「勝ち」ということにしているのだけれど、今年は1週間前に負けてしまった。

というか、そもそもそんな遊びを思い立って勝てたのは過去に1回しかない。咲き始めたら一気に開く彼岸花、地中から頭を出してからどれだけ短い時間で花が開いてしまうのだろうか。

でも、今年は同じ場所でも咲き方にムラがあるというか、一斉に咲かずにゆっくりと開いているように感じる。テレビのニュースでも今年は花が咲き揃わなくて観光農園が困っているというようなことを羅漢で誰かが話していた。

この日のひがん花の里の彼岸花は色が抜けて枯れ始めたような花もなく、これから盛りに向かって生え揃っていく途中だ。

ただでさえ華々しく妖しい造形の花なのに、朝の木漏れ日でさらに幻想的に見えた。

短い花の季節が終わると、ここは1年のほとんどがただの草むらだ。

花のない季節に通りかかってそれに気がついてからは、ここに生え揃う彼岸花の華やかさがさらに際立って感じるようになった。

この道は、

津和野へ向かう道。

「山陰の小京都」と言われる津和野のイメージからすると「和の町」という感じ何するけれど、町の真ん中に教会が陣取ったりしている。

黒いお揚げで包んだいなり寿司の美松さん。10時開店という情報だったけれど、10時は持ち帰り品の販売開始で、お食事は11時から。

GoogleMapの営業時間の情報から食事できないこのパターン、これで3例目だな。なんとかならないかな。

そのまま日本海へ抜けようと思っていたら、気になる看板が見えたので寄ってみた。結構な山の中である。

バイクを降りて数分歩いた先の、林の中に小さなお墓があった。

小さな小さなお墓だ。墓石は小さく、墓の周囲に何もないのが慎ましくて良い

墓を囲った柵がとても無粋だ。柵がなければ広さと小ささのギャップと驚きがより大きいだろうに。

佐々木小次郎は巌流島の決闘で死亡したことになっているが、出生や年齢も含めていろいろ謎が多いようだ。巌流島で亡くなったのに、小さな墓がこのような山中にあるのも謎。

人は死んで肉体も魂もなくなるけれど、その人が居たことによる価値観や歴史が残ればそれだけで十分その人がこの世に生きた意味がある。墓なんか小さくても良い。墓も時が経てばなくなるけれど、良い価値観は人が引き継いでくれる。

日本海側へ抜けた今日の目的地は、グロ(壠)と呼ばれる謎の石垣だ。

萩のすぐ近くの鵜山という日本海側に張り出した小さな半島状の地域の山中に、かなり広い範囲を囲む形で石垣が組まれている。いろいろ調べてみたけれど、何のために積まれたのか来歴の分からない石垣とのことだ。

南西側から訪れるとカーブを曲がった先にいきなり石垣のトンネルが現れて驚くことになる。

石の大きさは人力で持ち上げて積んでいくには何とか組める限界の大きさ。

特にここはアーチ型の通路が設けてあるので、他とはひと味違う雰囲気だ。アーチは下すぼまりで、明らかに主に人が通ることを意識したサイズになっている。

数百メートルに渡って石垣が微妙なカーブを描いて続いている。石垣が切れた先でも途中で切れ切れに石垣が残っている。

鵜山の最北端に高代の溶岩崖という場所があるので寄ってみた。木の衝立ての向こうに日本海が見える。

この木の衝立てを「魚付保安林」とか書いている個人ブログもあった。何のことか調べてみた。

「魚付保安林」そのものは魚の繁殖や保護のために海岸や湖岸に設けられた森林を指す。ここには「(魚付保安林として)黒松350本を植林した」という情報があった。上の写真をみると衝立ての陸側に松が植えられているのが見える。おそらくこの衝立てはこの魚付保安林として植えられた黒松を海風などから守るための壁ではないだろうか。

バイクを置いて、藪を刈り込んで人が踏みしめた道のようなところを歩いて海岸へ向かってみる。木のトンネルも人が刈り込んで作ったもののようだ。

ざっぱーん!日本海。

溶岩崖の名前の通り、ゴツゴツした溶岩がそのまま波に洗われている海岸だ。

日本一低い火山、萩の笠山のすぐ近く。火山の作った地形が露骨にあちらこちらでみられるのも山口県北部の特徴だ。

この鵜山地域はコンクリート製で軽トラで走ることを前提にしたようなうねうねした道が迷路のように入り乱れている。似たような分岐が次から次へと現れて、ナビに頼らず国道へ戻ろうと思ったら迷子になってしまった。

国道の南側、近くに円光寺穴観音古墳という古墳があるので寄ってみた。

登り口が分からなくて地図をみていたら地元の人が声をかけてくれた。古墳は個人の敷地内だとか。

実際、個人の庭先の激坂を登った先にトンネルが口を開けていた。民家の庭先で爪を切っていたおばちゃんが「電柱にスイッチがあるから、点けてね」と教えてくれる。とても優しいのどかな地域だ。

これか。

この界隈では例をみない巨石を使った古墳だそうだ。残念なことに古い時代に盗掘に遭って遺物は残っていなかったとのこと。

ここでは奥にお地蔵さんと賽銭箱まで置かれたリノベ物件になっていた。自分が個人所有していたらどうするかな。バイクガレージかな。

ネコ寺近くの味酔というお店でお昼ご飯をいただいた。

「今日はバイキングなので、隣(にある別棟の食堂)へ行って!」と言われたけれど、食が細いのでバイキングとか食べ放題なら帰りますと言うと、おじちゃんが特別に料理を作ってくれた。味酔定食800円。いやいや、びっくり、ボリュームもあってとても美味しかった。

客がいるのに新聞広げてなんでも鑑定団を見ながら与太話をするようなことが許されるおじちゃん。また行こう。

美川方面から帰宅する時に使うショートカット路に、コンクリートの構造物が残っているのが見える。河山鉱山跡。今日は少し踏み込んでみた。

河山鉱山についてはこちらの記事が面白い。僕のブログよりも断然面白い。

斜面にインクライン跡とか階段とか、確かにあったけれど撮影が難しい構造物なので写真を撮らなかった。

県道から見える大きな構造物(ホッパー)は昔大型車のガレージとして使われていたが、今は全体的に立ち入り禁止の縄が貼られていた。老朽化が進んでいるけれど壊すのも大変、というところか。

鉱山跡の山の斜面は一面彼岸花に覆われていた。こちらの盛りはもう少しになりそう。全部咲き切ったら見事な斜面になるだろうな。

坂道を登り切ったところに、鉱山施設の名残と思える小さなトンネル。今日は図らずもいろんな穴を見つけるなぁ。

帰り道に立ち寄った定点観測しているS字道路の田んぼ。次に来る時は稲刈りも終わっているだろうか。帰宅途中のルートに定点観測の場所があると、帰りのルート選びに悩まなくて済む。

秋らしい晴れの日で気持ちの良いツーリングだった。

ほんの数年前までは、晴れの日の休日はバイクで出かけなければ気が済まなかったのに、最近は家を出るまでに気持ちを持ち上げるのに労を要する。走り出してしまえばいつも楽しいし新しい発見もあるのだけれど、腰をあげるのがちょっと大変。

年齢的なものなのか心の問題なのか、特に視力と体力はかなり走り出す気持ちに影響していると思う。

人はポンコツでも、生産から25年を越えたGB250はノントラブルでとてもよく走る。今日もとても楽しかった。

GBの持病のキャブレターのバキュームピストンの張り付きも、最後にピストンをコーティングしてから500kmくらい走っているけれど、いまのところ問題なし。キャブに関してはなんだかんだといろいろ試してみたけれど、コーティングが一番安定しているように思える。

僕に施せる、長期間効きそうなコーティングはないものだろうか。

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