夏の直島

ムスコが将来の進路として設計関係に興味がある、ということでそれなら面白い建築物でも、と安藤建築の宝庫である直島へ行ってみないか?と誘ってみた。

めんどうくさいと言うかと思ったら、意外なことに「行く」というので、地中美術館の予約をおさえたその当日8月22日を迎えた。

晴れたらカブ、雨ならバスで島内を移動するつもりで迎えたその日は、猛烈に良い天気の夏の1日になった。

バスで移動することも想定して計画していたので、少し早い時間に上陸することになった。建物の中に入る類の作品は軒並みまだ開館していないので、外から楽しめる作品を巡ってみることにした。

港に近いI♥湯(アイラブユー)も開館前。番台に向かって左側の浴室に入ってみたかっんだけどな。以前訪問した時の情報では月の前半と後半とで男湯と女湯の入れ替えをしているという話であった。

黄カボチャは坂の上から遠巻きに見ることにした。恐らくこの作品は、カボチャそのものよりもカボチャがこんなところに置かれているシュールさも含めて愉しむ作品だと思うので、少し引いた位置から桟橋や対岸の島を含めて俯瞰するのが僕なりの作品との触れ方だ。

カブがミニチュアに見えるゴミ箱。中に入っているゴミは産廃を溶かして固めて作りなおしたもで、「ゴミからゴミを作る」という洒落も効いている。

少し残念だったのが、安藤忠雄さん設計の「桜の迷宮」。以前はできたばかりで植林されたばかりの桜の細い木がきれいに並んでいた。時を追うごとにその変化を愉しめるな、と思って再訪したのに、なんだか荒れ放題である。これはこれで強く時の変化を感じることができるが、そんなことはうちの庭でもできる。

カブなので、観光客が普段通らないようなルートも走ってみた。これは直島ダム。直島にはダムがもう一つ、島の北の方にある。

直島小池。ため池。

南部を一周して港へ戻ってきた。船が港に入った直後は人が多くて近寄りがたい赤カボチャも、この時間には誰も居ない。

港の近くに設置されている直島パヴィリオンへ向かう。

ムスコ、腕の長さから想像できる通り、細長い。僕の家系ではなく妻の家系の特徴を強く受け継いでいる。

直島パヴィリオンは、27の島が浮かぶ直島界隈の28番目の島をイメージした作品。ムスコの着目したのはこのすぐそばにあるマンホールの蓋。香川県に17個所しかないというポケモンマンホールが敷設されていた。

雑然とした中に落ち着きも感じるのは水面という完全な平面とそこに映る風景、そこに浮かぶ睡蓮の葉のせいだろうか。

地中美術館は受付をするチケットセンターから美術館が離れていて、モネの池の小径を歩いていくことになる。

暑い。アプローチが木陰で助かる。

豪華さも虚飾もなにもない、ただの穴が美術館の入り口だ。中は凄い空間になっていることを、このシンプルな入り口からは伺い知ることができない。

入り口をくぐると奥に向かって遠近感を強く感じさせるテーパーになっている廊下で、まず距離感を惑わされる。

その先のグルグルのぼる階段や廊下は、壁の垂直線が斜めに傾いていたり、建物の中を歩いていると思ったら直射日光の射す廊下になっていたり(雨の日はもちろん濡れる)。

「当たり前」に安心することを静かに否定される。これから起こる作品との対峙を前に「少し身構えて、自分の頭で考えて受け入れる準備をせよ」と仕向けられているように思える。

地中美術館は丁度ムスコが生まれた年、16年前にも訪れている。この時は今よりもより鋭敏にこの美術館の作品群から感じるものがあったようだ。

他のお客さんの表情を見ていると、展示品との対峙だけを愉しんでいるように思う。ここは作品を展示するための美術館ではないのだ。作品に飲み込まれてその空気を吸い光を愉しむ美術館なのだ。

島の東側、本村港の周辺には、古民家を改装して作品を展示する「家プロジェクト」が展開している。歩いて巡れるエリアに現在7軒が公開されている。

内藤礼さんの「ぎんざ」は別料金であるが、それ以外は共通チケット(1,050円)を購入することで見て廻れる。ただそれぞれお昼休みが設定されているので、お昼ごろに訪問するならば予め時間を調べておいた方がよい。

入れ替え制で時間が決められるのはジェームズ・タレル(と安藤建築)の南寺で、チケットを買う際に時間指定整理券も手に入れることになる。

恐らくその背景を知らなければ何がどうしたものか分からない須田悦弘さんの作品。これらは花びらの薄さまで彫り込んだ木彫の作品。

以前広島で見た別の作品は、展示室の隅の上の方の壁に活けたバラの花だった。超絶リアルな木彫の作品を彫るだけでなく、それをどのような方法で鑑賞させるのかというところまでが作品である。

ちなみに、入り口を挟んで右と左に部屋があるが、向かって左の花のある部屋の手前の竹の柵は本物、右の部屋の竹の柵は木を削って竹風に仕上げた作品だ。またこの建物のある庭には椿が植えられているので、季節が良ければ本物とフェイクの対比を楽しむことができる。

神社の祠の横に穴が開いている。

懐中電灯をお借りして、お邪魔しまーす。

石室の奥にガラスの階段があり、地上まで続いている。

石室という閉塞的な、外とは切り離された空間にも、ガラスの透明な階段によって外部との関係性が生まれてくる。晴れれば明るいし、曇りなら薄暗く、夜は真っ暗になるだろう。

また、石室から外の開放的な世界へつながる通路は、世界中で様々な表現をされている胎内巡り・戒壇めぐりに通じるものがある。子どもが狭い空間からこの世に生まれてくる開放感を追体験できる。

地下から地上のお社へつながるガラスの階段。杉本博司さんの作品。

古民家の床面が浅いプールになっていて、ディジタルカウンターが明滅している。宮島達夫さんの作品。

ディジタルの数字は、0を表示しない。0を表示しないことが、変化・つながり・永続性を表している。

絵画作品も展示空間と一体化することで、当たり前に美術館の壁に掛かるのとは違った印象になる。といっても襖に絵を描くのは古来日本人にとってはなじみの深い表現だ。千住博さんの作品。

その裏手、蔵にはザ・フォールズ。これら外光を頼りに干渉する作品で、夕方はおそらく見づらくなる。

地中美術館の展示も自然光を積極的に利用している。直島では、外光を取り入れることで作品を通じて実世界とのつながりを感じさせる展示が非常に多い。それは日によって、時間帯によって2度と同じ作品との対峙を望めないと言うことを示している。その場その時が「リアル」なのだ。

ここを出るときに「福武方 千住」と書かれた表札が気になった。

奥には一幅の千住作品の掛け軸がみえる。

受付の方に伺うと、このプロジェクトの進行中、千住博さんがこの建物を大変気に入られてこの奥の畳の座敷に寝泊まりをされたそうで、それもあって、「福武方 千住」という表札を洒落で掛けたものがそのままになっている、とのこと。

気になったものには突っ込んでみると良いことがある。

大竹伸朗さんの「舌上夢/ボッコン覗」。かつて歯科兼住居だった建物を大竹さんが丸々作品に仕立てたもの。

外観だけからでは分からない、とにかく仕込みが多い内部は必見である。

家プロジェクトの並ぶ家並の中に、ANDO MUSEUMがある。直島の建築物だけでなく、これまで安藤忠雄さんの設計した建物の数々を振り返ってみることができる。

面白いのは外観は古民家、内部はコンクリート打ちっ放しの安藤建築なのだ。古民家の内側の空間にコンクリートの建物を「後挿し」で突っ込んで建てられている。

地上だけではなく地下階もあるが、ここもまた地表の明かりとり窓から拾った光で展示を鑑賞する体裁になっている。

光の教会(茨木春日丘教会)の模型もあったが、よく考えてみたら古い作品から一貫して安藤建築は自然光を利用する構造の建築であった。

コンクリート打ちっ放しも安藤建築の特徴のひとつであるが、この美術館では屋根は古民家そのものの屋根を使っているので、コンクリートの建造物には屋根がない。そのため、壁はコンクリートでも天井には古民家の木製の梁が通っている。その新旧、軟剛、有機無機のギャップ。

展示そのものではなく展示空間全体を観察して愉しまないと勿体ない。

もう暑い中移動して歩くのは大概にしろよと言いたくなるけれど、李禹煥美術館。

開館した2010年に訪れて以来なので、もうあれから13年も経ってしまった。

ミニマルデザインの作品が多いので、見るだけでは何が表現されているのか一般には分かりにくい。

よくよく考えてみると、それぞれの作品の根底には、「モノ同士や空間との関係性」「自然物や行為には同じものはふたつとないことへの気づき」などが示唆されている。

ところが李禹煥の言葉を読むと(これは美術館の展示にはそういった説明はないが、美術館の方に話しかけたら対話形式で作品について考えるブックレットを貸してくれた)、李禹煥本人が作品に込めたねらいと鑑賞者の気づきや思いが一致することは目的にもしていないし期待もしていない様子だ。作品と対峙して、その意味について考えることそのものに意味があるというスタンスだ。

「そのものが在ることで、そのものの存在や関係に気が付く」という根本のテーマを、李禹煥のその思いや考え方自体が示しているともいえる。

2022年に新しくオープンしたヴァレーギャラリーが、李禹煥美術館の近くにある。

小さな池に大量のミラーボールが浮いている。草間彌生さんの「ナルシスの庭」。

小沢剛さんの「スラグブッダ88 -豊島の産業廃棄物処理後のスラグで作られた88体の仏」は作品のタイトルが説明的なので何を云わんとしているかは語るまでもない。

ミラーボールは水面だけでなく、草むらや、

建物の中にも大量に置かれている。大量の自分自身の姿に酔いまくることができる。

暑い中頑張った。

2022年に新設された杉本博司ギャラリー「時の回廊」とベネッセハウスミュージアムを巡れば、直島のアート施設をほぼコンプリート、となるがさすがに暑さと歩き回った疲労感でギブアップ。

帰宅するのにも4時間程度かかるのでそろそろ港へ向かうことにした。

ムスコ、降車時にカブを倒した。周囲に居たトラックの運ちゃん数人が「ぅわぁぁ!」と声を上げ、ムスコは軽く青ざめていたが、僕は一種の病気なので全く動ぜず。

高校生のムスコと直島巡りをした、という記念のスクラッチが俺のモリワキに刻まれた。

高校生、といえば直島の展示物は「15歳未満は無料」である。うちのムスコはデカいので何度も年齢を確認されたが、このとき15歳である。

島の作品群は一般の方には難解なものが多いので、15歳以下といっても小学生や中学生では連れて行っても直島の本当の美味しさは味わえないかもしれない。16歳を目前に控えた子どもでギリギリだろう。

うちのムスコはどうかというと、まだちょっと早かったようだ。まぁ、今回は建築物を見るのが目的でもあったので、コンクリート打ちっ放しの無機的な建物と200年を超える漁村の民家との対比は、少なからムスコの刺激になったのではないだろうか。

帰りのサービスエリアでヒッチハイカーを拾った。ムスコの中での今回の旅の刺激は、ヒッチハイカーの彼にすべて持っていかれたようにも思う。

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