島と美術・自転車とうどん の旅

1日目。
月曜日が仕事の代休で休みになったので、日月でどこかへ出かけようということになりました。遠くへ行くより、近場でも密度高く楽しめるところはないかと思って挙げたのは、直島~讃岐ツアー。以前から気になっていたコンテンポラリーアートの島、直島と、讃岐うどん巡りの旅です。
ナルキを実家に預けて広島を出発したのが午前10時。月曜日は晴れという予報でしたが、日曜日は昼まで雨ということで、のんびりしたスタート。道中雨で、気分も萎え萎え。ETC割引対策で一度高速を降りた尾道で「目的地変更しようか‥?」という話にもなりました。それでも天候回復を信じて岡山県玉野市の宇野港に到着しました。

■直島へ
港に到着したのは12時半。直島までのフェリーは頻繁に出ているようだったので現場到着してから時刻を調べると‥次の船は14時20分!2時間も間があるのです。これは困った。

でも、船着場で時刻表をよーく眺めてみると、13時発の小型旅客船がありました。これは人を乗せるだけの船のようです。そこで自転車出動。BD-1を折りたたんだまま載せようとしたら窘められましたが、輪行バッグを持ってきていたので、2台とも袋に入れればお咎めなし。自転車は袋に入れないと車両ですが、袋に入ってしまえば手荷物になるのです。島まで一人280円。
外観のカッコイイ連絡船の内部は中央の通路を挟んで3列/2列のシート配列で新幹線のよう。動き出すとガラガラゴロゴロと響く音と振動でバスのようでしたけど‥。
15分ほどで島の西側にある表玄関、宮ノ浦港へ到着。まだ小雨がぱらついていましたが、雨は上がりそうな空です。港の施設はガラスと金属でできたような妙に近代的な建物でしたが、それの周辺はコンビニも期待できなそうな「港町」といった感じです。

海に張り出した芝生の広場の隅に草間弥生の大きな赤いカボチャが据えてあって、いろんな人に写真を撮られていました。中は床が控えめにライトアップされていて、ただ置いてあるわけではなくて誰かが維持管理をしている様子が伝わってきます。
港の施設で島の地図と美術館のガイドを手に入れて、移動開始です。島は東西に港があって、そこを一直線に結ぶ幹線道路が走っています。南半分の海岸線には道が通っていて、地中美術館、ベネッセハウスなどの文化施設がそこに集まっています。そこで、自転車で南半分側へ向かって走り始めました。

漕ぎ始めて5分程したら傾斜の急な山道になりました。男性なら問題ない程度ですが、産後まともに自転車に乗るのは初めてというRyocoにはちょっときつい坂です。最後は自転車を押して歩いていました。坂を上りきると地中美術館の入り口がありますが、チケット売り場は150mほど下ったところにある駐車場にありました。美術館は写真撮影が禁止されているので、以下文章でレポート。「です・ます」調一時中断。

■地中美術館

-安藤忠雄-
地中美術館は美術館そのものが安藤忠雄の作品である。「地中」という名前の由来は名前の通り、施設のほとんどが地中に埋まっているからで、その状態をもう少し詳しく説明すると平坦な土地の地下にあるのではなく海に迫り出した丘状の山の中に埋まっている。地上部には(空からしかわからないが)三角や四角などの幾何的な「窓」が一見不規則と思える配列になっているだけで美術館という施設そのものの様子は掴みようがない。
建物の入り口は安藤建築らしくコンクリートの大きな壁の切れ目になっている。その先はひたすら打ちっぱなしコンクリートの世界。長く続く薄暗い廊下の先は空の開けた四角柱の内側の壁に沿って昇っていく階段。手すりも階段も全てコンクリートで、恐ろしくエッジがシャープに作ってある。階段を昇りきったところにミュージアムショップのある空間があるが、この時点で建物の角を曲がったその角が90度ではないことに気づく。ここに来るまでに四角柱の内側をぐるぐる回ったり上下の移動があったりして、もう入り口がどちらの向きだったのか、東西南北さえどちら向きなのかが分からなくなっている。普段自分の頭の中では常に北がどちらかということを意識しているように思う。カーナビも進行方向にあわせて地図が動くのではなく、ノースアップ状態ではないと気がすまない性質だ。この建物はそういう杓子定規な基準をまず一切捨てて、何かに照らし合わせて考えるのではなく、今自分が直面している状態の意味だけを感じるよう強要している。ミュージアムショップを抜けると縦にも奥にも細長いコンクリートの廊下が続いている。天井は抜けていて、空が細長く切り取られたその廊下の壁は‥傾いている。
その先は左に折れて屋内の廊下だが、空からの光が直接注ぐ廊下とは対照的に床からの間接照明だけの真っ暗な廊下。ドン尽きは分岐していて、目立たない表示で展示室が右手であることが示してある。展示室は更に下層になっているが、そこへ降りていくのは、天井の抜けた三角柱の内壁を降りていくことになる。この内壁も壁面が微妙に傾いていて、東西南北だけでなく「垂直」という上下方向の基準も否定されている感覚になる。この先、3人の作家の展示があるが、ここに至るまでの日常的な基準や常識の否定は、この美術館で展示を閲覧する上で大変重要なことであることに後に気づくのである。

-ジェームズ・タレル-
分岐はあっても順路とは書かれていない。ここではどの作品、どの部屋から見てもよいのだと解釈する。まず最初にジェームス・タレルの部屋に入ってみる。芸術、特に美術というものは主に視角に訴えながら、閲覧者の過去の体験や経験につながる感覚やそれらを組み合わせた新しい感覚を作品によって引き出すことで訴える表現だと思っている。タレルの作品は「この過去の体験や経験」というものが、夢や物質的な体験ではないところの「超感覚」である。拠り所となるのは「光」だけで、距離や空間というものを超越した作品が多いように思う。この美術館での作品は3点。壁のコーナーに投影された立方体(のようなもの)、奥へ進むと入れ替え制の部屋があり、それを通り過ぎた先には天井に矩形の穴が開いた部屋がある。
一番奥の部屋の天井の穴には厚みを設けていないので、空が天井と同一面の1枚の絵に見える。曇天の今日はグレーの色幅の中で雲が流れるストイックな光景になっていた。壁面は上に広がるテーパー状になっていて座面も設けてあるので、座って上を眺めるポジションが自然にとれるようになっている。座って落ち着いてしまうと、周囲に余計なものはなにもなく変化があるのは穴の中の空のみ。嫌でも意識はそこに集中させられる。人工物と自然、無変化と変化、制限と無限‥いろんな対比が見えてくる部屋である。
入れ替え制の部屋の前で並ぶ。8人ずつ入れ替えるその作品は、ついたての向こうにあるので中の様子がつかめない。中から出てきた先のお客の表情からも作品の様子はわからない。靴を脱いで部屋の中に入ると、ピラミッドを半分に切ったような、上に行くほど小さい箱を積んだ黒い階段があり、その先に青い大きな窓が空いている。青い窓の中は青い光で満ちている。順番に階段の中心を登って青い窓の前に対峙する。自分が1人目だったのでそこまでで終わりかと思って戸惑っていたら、窓の中に入っても良いようだ。足を踏み入れ、全ての視界が青い部屋の光に奪われたとたん、位置感や距離感を喪失する。次々と他の人も入ってくる。青い部屋の一番奥は周囲よりも強く光っているが、そこが壁なのか、さらに窓になっていて奥があるのか掴めない。何の解説もなく、しばらくその空間を楽しんだ後に最初の窓から外に出ると、現実世界のピラミッド状の階段はその形状から最上面しか見えなくてちょっと不安を感じる。後に解説を読むと、以前のタレルの作品は目で見ることでその不思議世界を味わうものが多かったが、最近はその不思議世界の中に入っていくものが多いということである。まさに不思議な世界、夢のように光や色を感じるのに距離感が曖昧な世界を、起きているのに体験することが出来るのである。

-クロード・モネ-
タレルの部屋を出て真っ暗なホールに戻り、モネの部屋に入る。ここも靴を履き替えるようになっている。入り口をくぐると変わった床に気づく。木目のような模様がある、角を極端に落とした親指大の直方体が敷き詰めてある。ここ以外は直線的なコンクリートの空間で、物音ひとつがものすごく反響するような状態だったので、なんだか少し落ち着いた気持ちになれる。中には大きな部屋が2つ。手前は椅子があるだけの暗い前室で、奥の明るい部屋にモネの作品が掛かっている。ここも展示方法が変わっている。というより、これまでの美術館がいかに余計な情報を与えてくれていたのかを感じることが出来る。まず、キャプションがない。画題などは手元のパンフレットを見ればよいわけで、絵の脇に制昨年や画題など書く必要は確かにない。絵に集中できる。それと、額がない。壁体に枠が設けてあるが、絵の周りは額装されているわけではなく、白い縁があるだけである。とにかく白く高い壁の中に、モネの睡蓮が納まっている以外、ほとんど何もない。天井からの光も間接照明で、絵にかなり近づいてみてはじめて絵の前にアクリルが入っているのがわかるくらい反射がない。これも後で知るのだが、天井からの光は屋外の自然光なのだそうだ。つまり天気によって絵を鑑賞する環境が変化するのだ。なんとも変わっている‥というより、絵を描いた作者の環境に近い感覚で鑑賞の出来る展示室となっている。作品は睡蓮を描いた作品が4点。奥行きのある水面をモチーフにしながらも、その空間性を再現するのではなく絵画としての平面空間の奥行きに転化した表現に努めようとした作品と思える。

-ウォルター・デ・マリア-
地中美術館ではジェームズ・タレル、クロード・モネの他にウォルター・デ・マリアの作品が展示、というよりは設置されている。デ・マリアの作品としては「ライトニング・フィールド」が有名であろう。文字通り、避雷針を整然と並べたフィールドをつくり、落雷する様を作品として仕立てたものである。地中美術館でのデ・マリアの作品は、先の2名のフロアより1層低いところにその入り口が設置してある。入り口をくぐると、宗教的な何かを感じずにはいられない、シンメトリックな大空間。部屋の横幅いっぱいの階段が奥まで続いているが、踊場にテカテカの球体が設置してあり、壁面には金の箔押しされた角柱が3本ずつ左右均等に立ててある。最上段まで登って見える風景は、昔の(西洋の)偉い人的な上から目線。わずかに湾曲した天井からの光はここも自然光で、部屋の長軸は東西に合せてあるということから、朝や夕方は(晴れていれば)斜光が壁面に沿って差し込んで、金ピカな角柱が光り輝きながら長い影を落とす空間にかわるのである(多分)。

館内は分岐・ショートカットが結構設けてあるので、一巡するだけでこの建物の構造を把握するのは難しい。分岐点に戻ってこれまで見ていない側へ行くと、カフェが設けてあったので休憩してみる。ガラス張りの大窓の外は海景。高松(多分)の町が遠くに見える。これも後で知るのだが、調度品は安藤忠雄設計の特注品だそうで、シンプルな机や椅子が建物の存在の邪魔になっていない。

出口まで向かう途中も長い廊下、四角柱内壁の階段など、外界にでるまでにしばらく余韻を味わえる。考える時間がある。展示や建物を理解しきらずに、半ば「騙された」感を持ったまま、コンクリートのトンネルを抜けていくのが、初めてこの美術館を訪れた際の楽しみ方ではないかと感じて、美術館をあとにした。

■ベネッセハウス
地中美術館でかなりソリッドな時間を過ごした後、まだまだ島巡りは続きます。コンテナに犬を積んだ原付に抜かれながら下り坂を下っていくと、一般自動車は入れない「ベネッセハウス」への入り口があります。自転車は通行OK。そちらへ曲がってしばらく進むと、高台にベネッセハウスミュージアムが建っています。ここも地中美術館同様、安藤忠雄の設計です。建物の中心に巨大な円柱の空間を持っていて、そこに箱がつながっている感じの3層構造(<ホントはもっと層があるのかも)。展示は主に戦後のコンテンポラリーアート中心ですから、近代・現代美術を勉強せずに訪れると面白くないかも。大原美術館の所蔵品よりももうちょっと現代寄りな感じ。

■直島 本村港へ
というわけですっかり日が翳ってきましたが、まだまだ島巡りは続きます。東側にある本村港周辺には「家プロジェクト」という旧家を展示場にした作品展示があるのですが、残念なことにそちらはタイムアウトになりそうです。それでも帰りの船は本村港から程よい時間に小型旅客船が出るようなのでそこを目指して走っていきます。途中の海岸にも様々なオブジェが並んでいます。

自転車を立てる時間も惜しんでオブジェ見物。

最初、これも草間弥生の作品かと思いました(笑)。FRP製の船の後部。前部はバラバラになって近所に刺さっていました。

支持部が前後に動くので、風にゆられてゆらゆら動く板のオブジェ。遠くから見ると無垢の金属板かと思いますが、薄い金属板の張り合わせで作ってあって多分中はがらんどう。でもちょっとびっくりします。

埠頭の突端にもカボチャ。こっちのカボチャは絵になりますね。

■宿泊

本村港に着いてから、まだ少しだけ日が残っていたので漁村を自転車でグルグルめぐってみます。家プロジェクトで使われている家々は外からしか見ることが出来ませんでしたが、次にきたときのために下見しておきました。
天候の都合で午後上陸となってしまった直島ですが、半日弱ではとてもじゃないけど巡りきれません。展示物を見るだけじゃなくて、自転車で巡るにしても島はちょうど良いサイズで楽しめます。地中美術館は天気の良い日に是非また訪れてみたいし、見逃したオブジェはまだまだたくさんあるしで、「物足りなさのある満足」というヘンテコな充足感を持って島をあとにします。

船が出発した18時10分には、すっかりあたりは真っ暗。今回も5月の旅行同様、野宿体制は整えてきたのでその後なんとでもなるのですが、翌朝一番に有名うどん店で食事をするために高速道路のSAかPAで宿泊することにしました。というわけでその日の宿泊は、瀬戸内海のど真ん中、瀬戸中央自動車道の与島PA。到着して、島のガイドを見てみると‥島の半分は周遊遊歩道が設けてあるようです。自転車を持ち出すとなんだか楽しめそうなムードが‥。(以下続く)

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