CRF250L 二河の井手

1ヶ月ほど前の呉巡りで、二河(にこう)の井出(いで)を偶然知ることができました。井出というのは田んぼに水を引くための用水路のことです。呉の灰ヶ峰山麓は大きな川がなく水不足に悩んでいたので、江戸時代にひと山超えた二河川から約10kmの水路を設けて水不足を補っていました。その取水口がこのあたりにあるというのですが、道路からの降り口といったらこのくらいしか見当たらない。

バス停には由来が簡単に窺える名前が。

対岸に渡る橋は、「このはし渡るべからず」。変な橋だと思ったら、古いコンクリート橋の真ん中に鉄の橋が載っています。

古い橋は欄干がもうボロボロ。
危ないから通行止めにするわけでもなく、架け替えをするわけでもなく、ブリッジオンザブリッジという新しい解決方法。

呉市水道局が真ん中の鉄板に載るなという案内をしています。その下に穴があるということですね。

さらに進むとハンドルが並んでいます。よくわからないけれど、ハンドルの向きが90度ずつずれて4方向を向いていることに意味があるのでしょうか。これも水道関係の施設でしょうね。

岩塊の隙間を歩くような山道を下っていくと、岩が折り重なったトンネルの先に明治13年と記された石柱がありました。

江戸時代に作られた井出は、その後明治期に海軍ための給水設備として徴用されました。石柱の、年号以外の文字は判読できませんでしたが、おそらくその頃のものでしょう。

呉軍港水道 二河水源の坑門。戦争時代の遺構を探していると各地で見かける明治時代の石造りの構造物は、コンクリートよりも強いようで120年以上前の設備が今でもしっかりと残っています。

あちこちの日本陸海軍施設の遺構に立っている日本遺産の案内がここにもありました。

その先、わずかに下り勾配を作ってある石道の下には、おそらく水路が埋まっている。

石道は途中から通行止めになっていましたが、その右にもともとも取水施設へ向かうという坂道の古い門は通行ができるようになっていました。

元きた道を戻ります。リュックサックを背負っているとガリガリ擦ってしまうような穴が通路になっています。夏に来ても涼しそうなところでした。

岩山と、その脇に続く急坂の道を登っていきます。

岩山の上まで登れる道がありました。

この日、仕事関係の動画撮影をしていて、要所要所の写真を撮るのをすっかり忘れてしまっていました‥。

呉の町まで続く車道はしばらく水路に沿って走っています。その途中にある本庄水源接続井という設備。

坂道の宅地でショートカットしようと地図を頼りに細い道に入り込むと、結構な確率で階段に阻まれて結局遠回りになってしまいます。

そうそう、呉の坂道巡りはCRFだとちょっと楽しさ半減でした。比較対象が先月のカブだからというのもあります。餅は餅屋、適材適所、バイクによって同じ道でも楽しめ方はそれぞれ、ということがよくわかりました。

先月訪れた、上井手まで来てみました。日向ぼっこしていたお爺さんに話を伺うと、ここへ来るまでのコンクリートの道は、今でこそ散歩道として利用されているけれど、昔は確かに水路だったそうです。なるべく遠くまで水を運ぶためにつくられた勾配はほとんどないような道なので散歩にはちょうど良いですね。

その先、未舗装ながら水路があったのではないかという道が続いています。行ってみます。

逝ってしまいました。

さて、今日の呉行脚は二河の井出巡りが目的になったように見えますが、実は家族に言いつかったお使いがメインタスクだったのです。

だしゲット。うどんを食べて帰りました。

人の都合っで作った構造物や景観が主だけれど、呉は掘っても掘っても新しい発見のある面白い街です。また違った切り口で新しい呉を見つけて楽しんでいきたいです。

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