SuperCub アシカさんと往く呉界隈

愛媛のアシカさんから「呉を走りたい」と連絡をいただいたので、今回は呉界隈のなかでも「ちょっとここは‥!?」と思える場所をあらかじめピックアップしておいて、時間の許す限り巡ってみることにしました。

呉は明治22年(1889年)に呉鎮守府が開庁したところから大きく歴史が動き始めた街です。人が集まり、鉄道が引かれ、軍港と呉海軍工廠による造船の街として育っていきました

9つの峰に囲まれた坂道だらけの街や、休山半島や倉橋島・江田島に囲まれて複雑な形になっている海岸線やそれらをつなぐ橋など、呉には歴史的側面だけでなく特殊な地理地形の魅力もあります。視点の幅を広げることで走り甲斐も楽しみ方も大きく広がる。今回はこれらを欲張って体感できる呉巡りを考えてみました。

そんな仕込みを入念にしたにもかかわらず、アシカさんが寝坊‥。呉港からスタートするルートを考えていたけれど、急遽トランポ&高速で来呉することになったので、集合場所もひと山超えて東の広の街になってしまいました。

とはいうものの、あらかじめ入念にルートを考えたといっても、そもそもバイクで移動するルートなのでスタート地点が変わっても一筆書きの描き出しの位置をズラすだけ。ノープロブレムです。むしろ集合場所が繁華街を外れることで車を安心して置いておける駐車場が見つかって良かったです。

広の海側には山を掘り抜いて作った地下工場跡や、螺山(つぶやま)防空砲台跡など、割とディープな戦争の遺構が今でも残されています。地下工場跡はその入り口をコンクリートで入念に塞がれて何も言われなければただの壁に見えるし、砲台跡は解体されたり逆に整備されたりすることなくひっそりと山頂の林のなかで朽ちるに任せて放置されているため、一般の人が目を向けるところではなくなっています。

でも、こういうものがここ100年間に起きた呉界隈の大きな変化を心に強く訴えてくる爪痕なんじゃないかな。広くアピールすれば良いのに。

呉の高台というと呉の街を見下ろす灰ヶ峰が定番ですが、こちらは呉の南東にある休山半島の休山、アシカさんのお家の方を見ています。

休山は360度展望が開けているので、呉の街だけでなく四国方面やとびしま海道の島々など角度を変えるごとにそれぞれ違った風景を楽しむことができます。

休山半島の尾根を北端から南端まで走って音戸の瀬戸。対岸の倉橋島と警固屋岬に挟まれたクネクネ曲がった狭い水道で、広島や呉から安芸灘へ抜ける近道になるので結構な船舶の往来があります。

もともと両岸が砂州でつながっていたところを、平清盛が京都方面から向かいの倉橋島を大回りする航路で広島入りするのを嫌がって「開削して船が通れるようにしろ」と指示を出しましたが、あと少しで完成というところで日が沈んでしまいそうになりました。そこで清盛が小岩の上に立ち金の扇を広げて「かえせ、もどせ」と叫ぶと日が昇ってきたため、工夫は作業を継続して工事は無事終了したそうです。

「ブラックやな」とアシカさん。

他にも清盛が厳島の巫女に恋をしていて、巫女が「厳島の繁栄のためにここを開通させたら恋しちゃうかも‥」と思わせぶりな態度をとったので工事を完成させたけれど、巫女は大蛇に姿を変えて開通した水道を泳いで逃げた。船で追いかけようにも逆潮で進まない。そこで清盛は舳先に立って海を睨みつけると潮の流れが変わった‥など、いろいろと平清盛の超人的な伝説が残る場所です。

岬の山頂には扇を広げた清盛像、中腹には金の扇を広げるのに立ったといわれる小岩が残っています。

音戸大橋の駐車場へ行くと、ミニバイクが数台‥まさかのトニーさん、JUNさん、みらい君。要所要所の移動の履歴からこのあたりに網を張っていたら、まんまと引っかかった‥ようなのですが、それにしてもここに立ち寄ると決まっていたわけではないのにすごい偶然。

古い方の音頭大橋への警固屋側のアプローチはS字カーブを抜けたら360度ターン、橋を渡った倉橋島側はグルグルグルグル900度ターン。

昔は5月のツツジの咲き誇る音戸の風景を「古臭くて、ダサ」っと思っていました。今は昭和の香りが色濃く残る風景が素晴らしく思えてしまいます。時代が変わったのか自分が変わったのか、5月になったらまたどのように感じるか確かめにきてみようと思います。

最近街道沿いに増えている台湾料理屋さんで6人の食事会が始まりました。トニーさんが「セットがお得」と言っていましたが、単品で頼んでも830円、2品のセットを頼んでもこれ2つ分の皿が並んで830円。セットがお得というか、セットがオカシイ。

午後になって風が強くなりました。アレイからすこじま沖に停泊する潜水艦からものすごい湯気が出ていて、蒸気なのか排気なのかわかりませんが海風に煽られて周辺一帯はものすごいディーゼル排気の匂いです。

アレイからすこじまって変な名前、由来はアレイが路地、からすこじまは烏小島です。烏小島は大正期に水没してなくなってしまった小さな島でここにも呉の歴史が刻まれています。

潜水艦も良いのですが、僕たちはもう少しディープな方へ‥。

近くの工廠神社(跡)の参道の階段を登ります。結構な急階段にふーふー言っていましたが、今日はこのあと両城の二百階段が待っていますよ‥。

何の案内もありません。Googleマップにも載っていませんがここには僕の知る限り一番立派な監視壕が遺されています。

このあたりから休山の山腹には結構な斜度の土地に、その土地の地形に合わせて家がびっしりと並んでいます。山の等高線沿いにアップダウンのない幹線道路が走り、そこから魚の小骨のように上へ下へ坂道の路地が地図に載りきらないくらい生えています。少しお邪魔してみました。

50%くらいの確率で、階段に行手を阻まれて、切り返しができないような路地を汗だくになりながら右往左往する羽目になります。なにやってんだか‥無茶苦茶楽しい。

呉の坂道の宅地は、呉の平地を囲む山ごとに表情が違っています。幹線が標高の変わらない横線の休山側に対して、北の灰ヶ峰側は幹線が山と海を結ぶ縦線で家々の間を縫う枝道は目を瞑って無茶苦茶な線を引いたような感じ。

いずれも土地の形に逆らわず、というより開発された時代は土地の形に逆らえなかったからこうなった、という感じで現代的な感覚で乗り込むともう、整然さのない迷路ようなの宅地です。

灰ヶ峰側の宅地の高いあたりにある、すずさん家。この世界の片隅にの作者が住んでいた土地がそのまま漫画のモデルになっていて、劇中の間取りが再現されています。

もう公開されてしばらく経ちましたから他に観光客は居ませんでしたが、ここができたばかりの頃はここまでの交通手段は徒歩か自転車みたいな場所なのに結構な人が訪れていました。

呉から灰ヶ峰に登る県道174号線はとても長く楽しいワインディングロードですが、地図で宅地から真っ直ぐ峠へ向かう道があるのを見つけていました。恐らく灰ヶ峰への古い登山道。グナグナ曲がりくねりながら登る県道174号線をまるで無視するように途中県道を跨ぎながら真っ直ぐ峠へ道が抜けているのです。当然急傾斜。あっという間に峠です。

灰ヶ峰。呉の街並み、光る海。(アシカさん撮影)

この日、江田島で火災が発生しました。灰ヶ峰からはその様子を真正面に捉えることができました。

ここから本日のメインイベントの両城の二百階段へ再び路地を繋いで向かいました。その途中、地形からするとこの道は面白いんじゃないか?と思って迷い込んだ山と宅地の境界線にある道が、図らずもこの日のメインイベントになってしまいました。

走り通しで写真はありません。机に置いた手のひらの輪郭線をなぞるように、海側へ張り出したり深い沢を山側へ戻ったり‥右は側溝、左は崖でガードレールのない軽トラック1台分の道が急傾斜の山肌をなぞるように延々と続いているのです。傾斜が強い斜面なので、海側に呉の宅地や港を見晴らしながらトコトコ走る‥地形に逆らわず発展した呉の生活バンザイ!と叫びたくなる道です。

【追記】
この道は水不足に悩む灰ヶ峰山麓の斜面へ二河川から水を引くために設けられた二河上井手という水路の跡ではないかという表記がみつかりました。高低差のない道が地形に沿って延々と続く特殊な道というのも、水路に沿って設けられたという話なら納得できます。ますますもって呉の歴史と生活への思いが深まります。

両城の二百階段。道路から見えた瞬間「!!」ってなる。

僕は先週も家族と登ったからね。両城の二百階段。実際は240段以上あります。下に小学校、上に中学校があるので、それぞれの学校近くに住む生徒児童は通学路がこれになるんじゃないかと思います。

これまで何度か訪れて頂上まで登ってリバースしていましたが、今回はそのまま抜けて別ルートで降りてみました。踊り場なしで200段も続く階段のある斜面の途中に建つ家々は、上から降りるにしても下から登るにしても大変なご苦労の日々だと思います。中腹にはもう人の住んでいない家が目立っていました。

こちらは空へ向かってストレートに伸びる両城の百段階段。ひねりながら続く二百段はカーブを抜けた途端の絶望感、こちらは対峙した瞬間に威圧感を味わうことができます。

大きなS字カーブを描く阿賀マリノ大橋に寄り道して、この日の呉界隈巡りは日没終了。江田島の山火事から東へ長く伸びる煙を夕日が赤く染めていました。

日の短い季節でしたけれど、濃密な時間になったように思います。こうして人に声をかけていただいて、これまで巡った地域の再確認または総集編みたいなことをするのはとても面白いですね。

ご要望があれば尾道とか宮島とか、また違った地域で第2弾をするかもしれません。

2 Comments

吉崎章和

呉出身で、現在は江田島市に住んています、私も知らない呉の世界でした。

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tsugataku

>吉崎さん
コメントありがとうございます。呉って潜り込んでいくとものすごくいろんなものが見つかってとても面白い街というか地域だと思います。戦争関係の遺構も普通に人が住んでいるエリアに沢山遺されているのに、まったくアピールされていないのがもったいないくらいですね。
またお邪魔させていただきますw

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