SuperCub 隠岐の島々ツーリング(1/3日目)

広島でG7が開催されることで木曜日から月曜日に在宅勤務となって、これを機に年休を取って長距離ツーリングでも‥と思っていたら妻が「隠岐の島行ってくれば?」と。そうか、隠岐の島か!4つの島を巡るのに最低でも3日、でも天気が保証された3連休になかなか巡り会わなくて、というかそれ以前に遠すぎて気が滅入って放っておいたのですが、木曜から月曜にかけての5日間のうち3日間天気の良い日を狙っていけば‥!というわけで、カブをハイエースに積み込んで木曜の夜に出て車中泊(ああ、ということ3泊4日になるのか)、金曜日の朝の松江からスタート。

あやのすけさんが「うんこ絶対に踏むことになりますから」ということで、今回はカブです。金曜日の朝は雨。でも北の方から午後になって回復するということでこの日を選びました。島を巡る順番は相当悩みましたが、まず、一番大きな島後島へ。

乗船前に待機する屋根下スペースを用意してくれています。荷物の大きな釣り客などもここで待機していました。

日本海の荒波にも負けない大きな船で、波が6mを越えるまでは欠航しないそうです。車両フロアから客席までもエレベーター移動です。

ゴミ箱の横にはご気分が悪くなったお客様向けの洗面器が。

トイレにはその洗面器のものを流し込む専用の流し器があります。日本海、こわい。

隠岐の島町、島後島の島影が見える頃には天気も回復してきました。どなたか存じませんがとても良い雰囲気の老カップル。素敵ですね。

特殊手荷物のバイクは釣り客のクーラーバッグと同じ扱いでガッチリ固定してくれています。

天気は回復傾向なのかと思ったら、だんだん雲が厚くなっていきました。海景って空が青くないと全然魅力が増しません。壇鏡の滝という滝の写真が気になって山の中へ入ってみました。舗装が終わったところに鳥居があって、そこから徒歩5分ほど。

また鳥居。右の柱は折れたのでしょうか、鉄のパイプで補強されてる。

その奥、この建物の左手にも岩肌をたらたらと流れている長い滝がありましたが、圧巻だったのは右手の水量の少ない滝です。この弱々しい滝のどこが圧巻なのかというと、

滝の裏側がかなり広い凹みになっていて、木々で囲まれた輪の中に水が滴っているような様相なのです。最初見た写真は広角レンズでも使っているんだろうと思っていたのですが、実際は見た目にコレです。

オーバーハングするように滝の裏側がえぐれています。いろんな滝の裏側を見てきましたが、こういうパラパラと雫のように水が垂れる弱々しい滝の裏側に入れるというのがとても新鮮で、場所柄もあって神々しい感じも。時間帯や違う天気の日にまた来てみたいです。

海沿いを走っていたらすごく遠くの山からも滝が落ちているのが見えました。これは那智の滝と名前がついていましたが‥まぁ、それっぽい。

灯台ではなく燈台。明治期から昭和にかけて地元の住民がいかなる気象条件でも火を灯していた、とありました。見知らぬ人のために、見知らぬ人が何かをする、というのが良いですね。取り壊しになりそうなところを文化財の保存ということでここへ置くことになったのですが、それを記している看板自体が昭和56年のものなので、そちらも次の元号になるくらいには看板そのものが文化財になりそうな気がします。 

海面のすぐ下に平らな岩棚があってちょっと気になった海岸。日本海は瀬戸内海に比べると2割くらいしか潮位差がなくて、ここに張り出した古くて弱い地層が波食棚という地形を作っているそうです。沖に向かって100mほど続く平らな層の向こう側は急激な崖になっていると書いてありました。ちょうど水平線あたりに見えるような地形が海中にある、ということでしょうか。

福浦トンネルここは現在徒歩でも通行止めになっている海沿いのトンネルです。このトンネルは時代と共に手彫りに始まって発破、工作機械と土木技術の発展に従って広く拡張されていった跡が残っているとか。
断崖の続く地形なので、集落を結ぶ道は山側に険しい道を開拓するか、岩山をくり抜いてトンネルで繋ぐかしかなく、いずれにしてもこの岩と崖でできた島で人の往来を確保するのはなかなか大変だったのだな、と思わされます。

トンネルそのものが時代の変化を残すタイムマシン。ところどころ光が射しているのは明かり取りかな。

先ほどのトンネルは新道ができているので使われなくなって廃道一直線です。ガードレールも補修する意味がないので朽ちるに任されています、

ぺらっぺら、ボロッボロ。

西海岸を北上し続けていると、観光名所のひとつ、ローソク島の展望所までやってきました。が、唯一繋がっているアプローチ道は通行止め。ローソクの形をした島の先端に夕日が重なる位置へ遊覧船で観光するのが映えるようなのですが、僕はそういうのあんまり萌えないので先へ。

ローソク島自体はもう少し北上した先から肉眼でも確認することができました。

柱のように海に聳り立つ岩塊をいくつか見ることができますが、どうやったらこういう地形ができるのか。その答えは翌日別の島へ行って分かることになります。

この辺りまで来ると、よく隠岐の島の風景として紹介されている「断崖絶壁の上の芝生に馬が放牧されている」風景がなかったし、ここまできてしまうとこの先そんな場所はないんじゃないか?ということに薄々気がつき始めます。同時に、世間でいう「隠岐の島」はこの島を指すわけではないのか?という匂いもしてきます。

そろそろこの島一番の目玉だと思っていた最北端の隠岐白島海岸に到着‥ってガスが急に濃くなりました。展望台まで登ると‥

ぬわ。この島で一番見たかった景色なのに!ここは3種類の色の違う岩石が集まってできている地形ということで、その色の違いを確かめたかった。全然分かりません。

もともと岬のこちら側は、風と湿度によっては地形的にガスがかかりやすい場所のようです。

なので、岬の西側へ回り込んでやりました。バッチリ見えます。

海沿いの港まで降りてくると一番間近に見られます。奥の岩肌と手前で色が違うのですが、ここに設置されているアースキャッシュの解答になってしまうので、細かい情報は伏せておきます。

島後島の最北端を超えたのでここから島の東海岸。時間も遅くなってきたのでそろそろ宿泊地探しの始まり。途中、やたらと水木しげる関連のオブジェが増えてきました。

学校の裏側にも、

水木しげるさんご本人。

海辺のキャンプ場にも。

こんなに良いロケーションなのに管理人が居ないので宿泊を諦めました。

江戸時代の隠岐造りでつくられた「佐々木家住宅」。玄関が3つあるのが隠岐独特の建て方で、身分の違いや用途によって使い分けられていたとのことです。内部の見学時間は終わっていましたので、外回りだけ拝見しました。大きなお家です。

手で触れる分にはものすごく硬いのに、何がどうしたらこんな海蝕洞が、しかもこんなにたくさんできるんだろう。この疑問も翌日の島で解決しちゃうんですけれど。

ほぼほぼ島を一周して立木キャンプ場へやってきました。ここは管理人に連絡がつかなければ倉庫のコイン投入口に300円突っ込むというスタイル。

僕以外に先客のチャリダーがお一人、同着のW800のライダーがお一人。ライダーの方は広島の方でした。冒頭で「あまり(プライバシーに関わることを)話すと(広島に帰って)個人が特定されてしまいますから」と言われるあたり信用できる人ですw 旅することについての価値観の合う方で3時間くらい話し込みました。

沖のイカ釣り漁船の明かりが雲を照らしています。

自分のテントは夏用インナーメッシュなので、風を避けるために軒下の凹みに移動したら、テントの中でライトを点けるとなんとも妖艶な空間が‥。

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