衆議院選挙から思うこと

自民党の石破さんが首相在任中にあまり支持を得られなかった理由として、「おにぎりの食べ方が汚いからだ」という話が、冗談とも本気ともつかない調子で語られることがあります。理念や政策ではなく、所作や印象といった分かりやすい違和感が評価を左右する——その現実を端的に示す例だといえるでしょう。

2026年2月の選挙で惨敗した中道改革連合は、一貫して野党としての与党批判と、党にとっての正論といえる改革理念を掲げていました。しかし、その内容を理解し、是非を判断するには、一定の前提知識や思考力が求められます。そうした議論が届きにくい層が存在するという指摘自体は、現実的な見立てとして十分に成り立つものです。

一方で、自民党を好意的に評価する際に聞かれる「自民党は他党から悪口ばかり言われていてかわいそうだ」「高市首相は他党の悪口を言わない」といった声は、政策の中身というよりも、感情や印象に根ざしたものです。政治が是非の判断ではなく、叩く/叩かれる、感じが良い/悪いといったことを軸として扱われたとき、そこに共感した層の感覚が投票行動へと結びつくのは、自然な流れでもあります。

こうした見方を踏まえると、特定の層——複雑な議論よりも、分かりやすさや情緒的な納得を重視する層——が自民党へ多く投票したのではないか、というあるラジオ番組のコメンテーターの仮説には、一定の説得力があります。ただし、ここで重要なのは、その層が「存在する」という点だけではなく、決して少数派ではない、という点でしょう。

学力層という切り口で考えた場合、社会は高・低にきれいに二分されているわけではありません。分布はなだらかで、しかも中間層が圧倒的に分厚い。選挙は票を積み上げる行為である以上、この中間層に訴えかけるメッセージを発することが、最も効率のよい戦略になります。高度で精緻な政策論よりも、「分かりやすい」「嫌な感じがしない」「なんとなく納得できる」といった要素が重視されるのは、「選挙に勝つ」という目的に照らせば、ある意味では合理的ですらあります。

だからこそ気になってくるのが、学力層別に見た各党への投票分布です。学力や教育水準は人格や価値の優劣を示すものではありませんが、抽象的な議論や制度設計をどの程度ストレスなく扱えるかとは、一定の相関があります。もし、学力層が上がるにつれて投票先が他党へと分散し、しかもその層が多様な政策志向を持っているにもかかわらず、全体としては自民党圧勝という構図が見えてくるなら、現在の政治言説が、どの層を主な対象として設計されているのかが浮かび上がってくるはずです。

今回の選挙では「減税」や「所得向上」といった「分かりやすい」「嫌な感じがしない」「なんとなく納得できる」言葉が声高に叫ばれましたが、そもそもなぜそれが必要とされる社会になってしまったのか、その舵取りをしてきたのはどこなのか——政治がボリューム層の感覚に最適化され続けるとき、本当に重要でありながら複雑な問題は、社会の背景へと追いやられてしまうのではないでしょうか。

誰かの正しさを測ったり優劣をつけたりするためではなく、誰が何をどこまで理解して何に納得して一票を投じているのか。理屈だけでは割り切れない選択や、印象や安心感に支えられた嗜好が、実は世の中や政治を動かしているのではないか。今回の選挙は、そのことがいつもより分かりやすく疑問として浮かんでき多と同時に、日本の民主主義の現在地とそのあり方、そして現代社会における「正しさ」をについて考えるための、とても良いきっかけとなりました。

2 Comments

アシカ

私がみて面白いなぁと思った考察は、高市さんの発言は言い切り型でショート動画に適している。中道はその逆でショートに切り抜きしにくいというものでしたw

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>アシカさん
さすがの視点です!たとえどちらも正論を伝えていたとしても、型の時点で差がついてしまっていると、今どきの人は馴染んだ型に寄ってしまいますね。僕はSNSで情報収集しませんでしたけれど、普段からSNSを使っている人立ちならなおさら。
でもこれって、伝えることを仕事にしている僕も自分を振り返ってみる良いきっかけになりました。仕事で正論言っても伝わらない、よし、ショート動画調でいこうw

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