阿蘇2日目。いつも通りの時間に起きたので、寒くても朝焼けを拝むために宿を発ちます。
湿度100%でミラーが曇る。この状況は雲海が出ても良さそうなコンディションだということだけれど、空には星が瞬いていました。
阿蘇駅前から山上へ続く阿蘇吉田線は朝日を見るのにとても良い向きの斜面を走ることができます。
この十数年、阿蘇に来たのはGWやお盆の時期です。どちらも6月の夏至から前や後ろに約1.5ヶ月離れているので、自分が阿蘇へ来る時の太陽の昇る位置は毎回ほぼ同じ。
11月手前ともなると日の出の位置は大体あの辺かな‥と見立てた位置から相当南側に寄っていました。
何度か明け方に朝焼けをみるためこの道を走っています。平地の内牧よりも標高が上がるので寒いのかと身構えるけれど、いつも坂を登っていくと気温が上がります。草千里や山上あたりの方が盆地の底よりも気温が高いのだと思います。
そうは言っても寒いので、ここぞとばかりにコーヒータイム。
日が昇りました。陽光が馬の産毛に透けて白い輪郭線の馬を描き出していました。
昼間にはありえない空気感。
もう、このために来たと言っても良い。ありがとう、充たされました。
山上は噴煙がモクモク。火口見学路は完全にアウトな向きに噴煙がたなびいています。
日の出直後だというのに草千里を歩いている人が少なくない。
それどころか、杵島岳の山頂に登っている人が居ました。御来光を拝んだのだろうか。絶景だったろうな。
日が高くなったので、チブサン古墳へ向かうことにしました。
目の前で横に伸びて外輪山へ突っ込んでいる道路は北側復旧道路の国道57号線。九州震災の時は黒川に架かる橋が落ちて熊本方面から阿蘇へのアプローチ路は山越えする道だけになってしまいました。そこで外輪山を突き抜けるトンネルをつくってしまったのです。今回初めて走ってみます。
山鹿市へ向かう国道325号は初めて走る道かと思ったら、以前も立ち寄ったことがあるな、ここ。一度見たら忘れられないようなものが道の駅の屋根に載っています。
山鹿市立博物館前には川に架かっていた水道橋が移設設置されています。
水道橋って子供の頃は意味がよくわからなかったけれど、水は低きに流れるので、一度川に水が流れ込んでしまうと川を越えて対岸に水を送ることができません。そこでこのような水道橋を設けて川を跨いで水を対岸に送っていたのです。
市の博物館で9時にチブサン古墳見学の予約を入れて、10時に現地集合することになりました。
1時間ほど近隣の遺跡を見学して回ることにしました。
古墳が大量にあったり、道端に横穴が空いていたりする。面白いな、この地域。
トケイソウの花が咲いていた。
こちらの鍋田横穴のひとつには入り口の横に落書きのような彫刻跡があります。
入り口左に人間が彫られていました。他にも縦や弓が彫られている。情報を伝えるための支持体としての石はスゴイ。紙や布ではこうも長くきちんと当時の記録は残せません。
遺体を安置していた横穴群。
ちょっと不思議なのは、位置が妙に高い。使い勝手が悪そうな高さです。
古墳がいくつか集まっている周辺が公園になっています。園内には石棺が剥き出しで置いてありました。もともとそういうものをもともとの形で見せるスタイルなんだろうか。
チブサン古墳見学までまだ時間があったので、近くのオブサン古墳に来てみました。
円墳に見えるけれど、入り口の前の方へ突き出した石垣が方墳の意味を成しているとのことで、一応前方後円墳。
玄室へは入れなくなっています。手前の空間までは自由に出入りOK。
こちらにもチブサン古墳のように装飾があったらしいのですが、今はほとんどが消えてしまっています。
自然石の形ではない、綺麗に整えられた石組み。宗教や人の生き死にに係るものへの気遣いが感じられる場所です。
それにしても、さぞ達成感のある仕事だったんだろうな。
少し離れたところにオブサン古墳の埋葬物のレプリカなどが置いてありました。
この石は墓の入り口の蓋(本物)で、割れていたのを補修してあるが西南戦争時に盾がわりに使われたことから弾痕が今でも残っています。
憧れ続けてン十年、やっとくることができたチブサン古墳。
ひと昔前は懐中電灯やロウソクを持って地元の人が自由に入れる古墳だったそうです。
現在はコンクリートの通路を設けて厳重に管理されています。近くの市立博物館でガイドの予約をすると、週末1日に2回、各回10名限定で見学できます。
扉をくぐるとすごい湿度と外気よりも高い気温で、こんな環境で保存は大丈夫なのかと心配になります。内部には空調等一切置かず、年間を通してこんな環境だそうです。夏はこれが涼しく感じるらしい。
気を付けていても頭をぶつけてしまうような狭い石の通路をくぐると、ガラス越しに薄暗く照らされた玄室と装飾を見ることができます。ちょっと距離があるのであまりはっきりは見えないけれど、まぎれもなくホンモノの装飾画。
ガラスにはハンドルが付いていました。ガラスの向こう側が結露したときには窓の水滴をぬぐうワイパーでした。湿度、本当に大丈夫なんだろうか。
屋外に原寸大で再現されたモノが接地してあります。チブサン古墳と言えば幾何学文様の中で目立つ白丸に黒点の模様にどうしても目を奪われてしまいます。
社会見学の小学生は「カマキリ!」「セミ!」というらしいのですが、これを乳房に見立てたことや、形も崩れて二つの緩やかな丘になった墳丘を「ちぶささん」と呼んだことが転じて「チブサン」という名前になったとのこと。
向かって右壁には人の全身像らしい絵も描かれています。頭には冠、下半身にはズボンの姿から、当時の人の姿が偲ばれます。
満足した。来て良かった。
そしてここで、眼鏡をなくしました。1時間くらい探した。おかげで装飾古墳博物館へ行く気力が萎えてしまった。
願わくば、1600年くらい経って僕の眼鏡が遺物のひとつとして後世の人達を喜ばせるものになってくれると嬉しい。
※※後日追記※※
つがさん、これじゃww pic.twitter.com/OAyEh3g0yU
— n工場長 (@ntkjcho) October 28, 2023
なんと、X(Twitter)でメガネを知った方が1週間後にチブサン古墳を訪れて見つけてくれました!すごい!(※※追記ここまで※※)
阿蘇へ戻るのにもこれまで走ったことのない道を選びました。
これまで走ったことのない道、となるともうどうしても細くてクネクネした道になってしまいます。けれど、嫌いじゃないしこういう時間はかかっても新しいものを発見していくこと自体がとても楽しい。
道はミルクロードの手前で巨大狛犬のところにつながっていました。
何もしないに限る。ただただダイナミック。
小さく咲いた花も、ここでの時間の意味を大きくしてくれます。
船は国東半島から19時に出航です。港まで2時間少々見ておけば到着するので、阿蘇を発つのは17時前‥この時点でお昼なのでかなり時間がたっぷりと残されています。
気持ちに余裕も生まれるので、やたらと時間を取られることに没頭できます。未開拓の道を探して頭の中の地図を広げていきます。
カブト岩展望所を見晴らす展望所。
本当はただの広域農道なのに「マゼノミステリーロード」という名前を付けられた道があります。その名前の由来になっているマゼノ渓谷に来てみました。
見どころは滝と紅葉。駐車場で200円払うことになるけれど、管理しているおじさんが「紅葉はあと2週間後かな‥滝は水量が少なくて‥」と「(今日は見ごろじゃないよ)」と暗に伝えてきたのでそのままスルーさせてもらいました。
スルーというのは本当にスルーで、駐車場前後が一方通行路なので、そのままお金を払わずスルーして私道のような道を延々走ってミステリーロードへ戻ることになります。
今回の予想外の目玉はここ、押戸ノ石(おとのいし)石群です。
外輪山の外側、メインの観光ルートから外れている、しかも石でしょ?とこれまで放っておいた場所。せっかく近くを通ったのだから、と立ち寄ってみると、良い意味で裏切られました。
この小山の上に個性的な石がいくつも転がっているといいます。この斜面はお帰り専用で、上りは山裾を巻いていくように歩道を歩いて登っていくことになります。
山はきれいに刈られていて、山の上の石群も下の方から小さく見えています。
駐車場から10分少々、振り返ると外輪山越しに阿蘇が見える。
なぜここにだけ石群が?と思わされるだけでなく、それぞれの石に個性があります。この岩は「石の狭間が夏至に太陽が昇り、冬至に太陽が沈む地点になっている」ということになっている。ちょっと何言ってるのか分からないけれど、ついでに嘘つきがこの石の間を通ると挟まれるそうです。いろいろ濃い石。
シュメール文字が刻まれている、という岩。メソポタミア文明の文字が、何故ここに?
受付で渡された方位磁石を磁石を持って一周すると、磁針がぐるりと一周する。この石だけかと思ったら、この石の右の石でも磁針が動いていました。
周辺の丘というか山の中では一番突き出しているので、視界は360度。朝日も夕日もバッチリだ。
秋に来てこの景色、これは春にもう一回来て新緑の丘が連なる風景を拝まなくてはならないな。
帰りは山頂からきれいな斜面を直滑降。盾サーフィンしたくなる。
ここまでのアプローチ路が荒れ気味で、車の後ろを走ると砂ぼこりがバイクに積もるような道だけれど、それを圧してくるだけの価値がある場所でした。
お昼も随分すぎてしまいました。この界隈は15時半あたりで蕎麦屋が店を閉めていきます。
3軒フラれて、結局いつもの隠庵さん。いつも頼まないものを選んでみようとまかない蕎麦というものにしてみました。蕎麦の上に具材が載っているものが出てきまし。
僕はここのお蕎麦は蕎麦だけをあまり噛まずにつるりと飲み込むのが好きなので、具材が混ざっているとそれがなかなか難しいです。普通にザル蕎麦にしておけば良かった。
くじゅう連山を南側から。高いところは赤みを帯びています。
これまでのこの山々のイメージをアップデートしなくては。
往路で五岳が見えた瞬間は漲るものがあるけれど、復路で五岳が背後に消えていくのは物悲しい。さようなら、阿蘇。
帰りのルートを考えながら、そういえばまだ脱いでいないことに気が付きました。この界隈にはいくつか無料や低料金の丸見え温泉があるなかで、今回はガニ湯へ。
お務め終了。ますます旅が終わる感じがする。
国東半島を時計回りコースで港へ向かう途中に、国道の横に彫られた人道が何か所かあります。壁の様子からして国道よりも後に彫られた新しい隧道みたい。
歩行者専用なこともあって、内部はとても明るい。
夕焼けをバックに砂浜と海面が縞々模様をつくる最高の真玉海岸を期待していたけれど、残念ながら満潮でただのビーチになってしまっていました。
2時間のフェリーは意識があったのは正味15分くらいで、大分から山口ってこんなに一瞬で着くのかと錯覚してしまうくらい寝ていました。
1日目、主に南阿蘇でチャプチャプしていました。
2日目、山鹿市が意外と遠かった‥。
2日間で800km。驚いたことに疲労感が極端に少ない。CRFは微妙にパワーがなくて人間の方が頑張らなくても走れるからなのか、夏に比べて暑くないからなのか。楽しい!という思いだけが残る良いツーリングでした。
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