
どんな時間に就寝しても目が覚めるのは決まって4時台で、一度目が覚めてしまうと二度寝できない体質になって早10年。
この日も4時過ぎにハンモックから這い出して、丁寧に荷物を撤収して、長崎の街なかに到着したのが5時30分。ここから夜が明けるまでの1時間、何をするかというと、長崎の市街地に設置されているアドベンチャーラボに挑戦です。
街の中心地をあちらこちらへ移動するので、人が動き出す時間までが勝負。まず、原爆の凄まじさを現代に伝える遺構を巡ります。
山王神社の鳥居は爆風で吹き飛ばされて、片方の柱だけが残る鳥居になってしまいました。

バラバラになった鳥居のパーツも道路脇に並べてあるのね。

桜島の地面に埋もれた鳥居も噴火のものすごさを分かり易く伝えていますが、こちらも原爆の勢いが分かりやすく伝わってきます。鳥居の横の梁は柱の上に載っているだけでなく、刺さっているんですね。

爆心地から500mの距離にあった長崎医科大の門柱も「原爆の爆風で台座から9cm動いてしまいました」と書かれていました。石の塊が、ですよ。
1㎠あたり1kgの圧力のかかる爆風だったということですから、目分量ですが160cm×100cmの面をまともに押されたら‥16トンの圧力が風の力でかかったということになります。

浦上天主堂は夜が明ける前なのに、中では集会なのか礼拝なのかが行われていました。

敷地沿いを流れる川のほとりに、被爆前は2本あった浦上天主堂の鐘楼の、北側の被爆して崩れ落ちた鐘楼の一部が遺されていました。いろいろと広島と比較してしまいます。これは広島でいうところの原爆ドーム的立ち位置の遺構ですね。

被爆建物の残る城山小学校へ続く坂道にはコンクリートで塞がれた防空壕跡が並んでいます。
広島は長崎よりも平坦地の面積が広いので、街なかでは堂々とこのような防空壕跡は見かけることはありませんが、市街地の丘や島などでは似たような防空壕跡を見かけます。

爆心から500mの旧城山国民学校校舎は、北側・南側の校舎内は破壊されてしまい、現在階段棟を残して建物は取り壊されています。
コンクリート造りの建物は広島でも爆心地に近い場所でも被爆建物として現在でも残って使用されているものがあります。

長崎の平和公園内の爆心地表示はとても分かりやすいですね。広島の爆心地は原爆投下目標となった相生橋から200mほど南東の病院上空なので、このような作りにはなっておらず、プレート表記があるだけです。

爆心地のすぐ近くには付近の地面の下の様子が昔のまま保存されています。

瓦礫、焼けた何か、溶けた何か。
ガラスの融点は500度以上です。爆心地付近は熱いとか感じる前に燃えてしまいそう。

平和公園内を散策する、もうひとつのアドベンチャーラボも同時進行で。

平和公園の入り口の右側には防空壕が口を開けていました。掘った方の性格が伝わってくるような間口。

前回長崎の平和公園を訪れたのはいつだろう。もう数十年来ていないので、この公園を象徴となる平和祈念像をみたということ以外すっかり忘れてる。

昔は全く気にもかけなかった、平和の泉の床材として使われている石。

アースキャッシュのおかげで模様の来歴が気になるようになってしまった。

世界中の国々から贈られた平和を祈念する像が並んでいます。

広島の平和公園はもともと公園ではなく被爆前は繁華街でしたが、長崎の平和公園は刑務所だったのですね。檻房の基礎が形だけ遺っています。

スミマセン、昔からヘタウマな感じの像って、思っていました。

「カラいと思って口に放り込んでみたら、甘いものだった」時のような微妙な瞬間の表情してる。

鐘があります。毎月9日の11時2分に鳴ります。

地元の感覚で地図を眺めて、気になる道に潜り込んでみると、そこから見える景色は既視感のある呉のような街並みでした。

いやほんとに呉っぽい。
この高台から平坦地へ降りていく坂道が超急傾斜・超急カーブ・超バリアブルで、非常に面白い道!写真を撮れなかったのでストリートビューででもみてみてください。

長崎で眼鏡橋なんて、今更って思うでしょ?もう何度も来てるし、僕もそう思います。

でも、今回はこの橋がアースキャッシュの対象になっていたので立ち寄りました。

地元長崎産の安山岩でできているそうです。地産地消ですね。

端島(軍艦島)の対岸、長崎半島の途中にある夫婦岩。
こういうものも今更って思うでしょ?僕も何も立ち寄る用事がなければ横目でチラリと視界に入れるだけで通り過ぎていると思います。今回立ち寄ったのは眼鏡橋同様、ここがアースキャッシュになっているからです。

周囲が数万年前の地層なのに対して、この辺りだけがなんと4億8000万年前(古生代 オルドビス紀〜シルル紀)の斑れい岩なのだそうです。もともと深成岩で大陸の地殻などを構成する岩石ですから露頭そのものが珍しいのですが、地球ができて45億年、その歴史のなかでもここが4億8000万年も昔のものというのは驚きです。緑色っぽい岩石の露頭で、海岸に落ちている角の摩耗した石を拾ってみるとその色がよく分かります。

しめ縄の向こうに端島が見える。

今回、このために20倍望遠のカメラを持ってきたので、ズームして寄ってみます。

光学の最大望遠。

デジタルズームにすると、それなりに大きくはなるけれど、フィルタをかけてイラスト化したみたいになっています。

右の山の上に端島神社の社が見えますね。

長崎半島の先端の展望台。ここは初めて来ました。

高台の展望台なので、端島を俯瞰できます。面白く新鮮な視点だ。

こうして望遠でとらえると近くに見えますが、肉眼では建物の棟数を数えるのが難しいくらい小さく見えます。

げと。

長崎半島先端南部の樺島にある灯台のキャッシュもゲット。

灯台の先にある展望台からは周囲300度くらいが海に囲まれた景色が広がっています。

潮騒と風の音と鳥の鳴き声しか聞こえない。パノラマの水平線を追いかけると地球の丸さも実感できる。

なんでもないけれど、ハッとした帰り道の景色。
撮りたい、と思った時にシャッターを押せる生き方をしたい。

灯台に関するグッズが展示されている建物もありました。灯台のランプは切れたらすぐに予備のものが光り始める仕組みになっていました。

長崎半島南側は、付け根まで50km信号のないワインディングがつながっています。
長崎の左下に伸びる長崎半島の突端目指して、ここでも国道の反対側にある海沿いの道を走ってみましたが‥なんと最高に気持ちの良いワインディングが延々と続いています!地図で見ると全く期待出来そうもない道なのに、道幅・路面ともに良くて、何でツーリングマップルでオススメしないんだろう。交通量もほとんどないのでとても走り易い道です。
11年前の記事にこう書いてありました。人にも勧めまくっている道なので、自分が走らないわけにはいきません。道幅も十分にあるので、ワインディング好きの方にはとてもおすすめ。

ひたすら黙々と走って雲仙。雲仙といえばドラゴンロード。この場所にバイクを停めて撮るのがもう定番です。

ここも毎度毎度訪れていますがいつ来ても良い、雲仙新湯温泉館さん。

許可なく撮影禁止、なので許可を取れば良いのかと番台のおじさんに伺ってみると、「誰もおらんかったらよかとー」とのことでしたので、遠慮なく。

昭和32年築ということで、もう建てられて70年近く経つ建物ですが、脱衣場はとてもこざっぱりとしています。

この1年間は茶色い堆積物が鍾乳洞の展示物のように固まったような山陰の温泉ばかり入っていたので、ここは浴室もとてもさっぱりすっきりとして見えます。
お湯はうっすら白濁していて熱め。誰も入っていない温泉は表層で高温のお湯が膜のようになっているので、よく混ぜて入ると良いです。

足湯広場だって。近所に欲しいな。

雲仙地獄を歩いてみましょう。

雲仙地獄を貫く国道389号は風向きによっては前が見えなくなるくらいの蒸気に包まれます。

多分、スチームの位置とか人為的に配されているよね。

蒸気を抜けても熱くはない、けれど湿度がすごい。

雲仙地獄で一番広いのがこの大叫喚地獄。噴気がおーおー言う人の声ように聞こえるので大叫喚という名前がついたと言われています。

雲仙から熊本へ渡ります。有明フェリーの多比良港へ向かう途中の道で普賢岳振り返って見上げると、稜線にモコモコとした溶岩ドームが見えました。

普賢岳の噴火から35年経ちましたが、侵食もされず生まれたばかりといっても良いゴツゴツした様相の溶岩ドームは、生々しさに伴う強烈な存在感があります。

ここでバイクを降りて船を待つこと30分、気が抜けて一気に疲れが吹き出してきました。

これまで長崎市街を除いて人のあまり居ない地域を走っていたので、船で熊本県の沿岸部へ渡った途端に違う世界にやってきたみたいです。

「久留米ラーメンでかなりガツンとくる系」という地元情報の垂れ込みをいただいたので、寄ってみました。

見た目より味という見た目。「ガツン」に負けないようかなり構えてスープを飲んでみると、濃厚なのにしつこくないという不思議な味。

スープを飲んでいる時に感じるザラザラ感は何だ?と思っていたら、スープの底に細かい砂のような固形物がたまっていました。豚骨の中の細かく薄い骨だそうです。
こういうの普通は濾して提供するものでしょうけれど、逆にこういうのも本物とは何なのかを考えさせられて良いですね。

道端にあるソフトクリームの形をしたソフトクリーム販売店。
「このボリュームで400円」という垂れ込みの通り、これは食べておかなくちゃいけないボリューム、400円。お客さんが途切れません。
フルーツが本当に生フルーツで、満足度は半端ないです。

炭鉱の街、大牟田。三井三池炭鉱の跡が現在も数多く残り、巡るには十分の魅力があります。が、もうクタクタになってきたので万田坑は外から眺めて次へ。

宮原坑はバイクを降りてゆっくりと歩いて見学します。
何も知らないと目の前に見える構造物が何のためのものなのか、どうして炭坑には櫓が立っているのかが分かりません。

ガイドのお爺さんについて歩くと、これが垂直方向へ人や物資を移動させるリフトだということがわかりました。
2機のゴンドラが、片方が上がれば片方が下がるという関係で、重量のバランスを双方でとりながら動いていたようです。

電気の時代以前、この手の構造物の駆動力は蒸気エンジン。電気と違ってスイッチオフで即停止する、というような芸当ができません。
このリフトが破損したら地下から石炭を運び出すことが一切できなくなって、生産力がゼロになってしまいます。万が一巻き上げ中に蒸気エンジンが制御不能になって巻き上げを停められなくなった場合、吊り下げているゴンドラがこの櫓の天井部分まで行った時点でワイヤは自動的に切り離され、それと同時に吊り下げ部分に爪が飛び出して出てゴンドラが天井部分に引っかかる、という方法で施設の破損や損失を防ぐ仕組みになっていました。

こちらは落下中に停止するためのブレーキ。木のガイドへ食い込む形でブレーキが作動します。

外して展示してあるゴンドラ。人間18人乗りですが、当時は地下での動力原として馬を使っていたので、馬も運搬していたそうです。

生産性を維持しつつ、人員の安全と作業環境の維持には万全の体制を作っていました。こちらはトロッコが勝手にゴンドラへ侵入しないようにするストッパーで、係員が足でペダルを踏むと爪が下がる仕組み。
電気じかけの現代に比べると、目で見て構造が理解できるのでそれらに対する興味が尽きません。

坑夫の詰所。

櫓に隣接したこの煉瓦造りの建物は、巻き上げ用機械の入った建物。

リフトにつながるワイヤが巻き取り機につながっています。ワイヤが絡まず綺麗に撒かれるようにドラムは中央部分のがふくらんでいて、自動的にワイヤの巻きがきれに揃っていく仕組みになっています。非常に賢いです。
このドラム自体は松でできていて、炭坑内で使用する木材もほぼ松材だったそうです。檜や杉などの他の木だと、破損する際一気にバキっといってしまう。ところが松材は破断するまでにミシミシと音を立てている時間があるので、その音がし始めたら破断するまでにわずかでも避難する時間が稼げる、という点から松材が選ばれたとのこと。
ここまで、ガイドのお爺さんの長い話にお付き合いしてきましたが、先のガツンとくる系のラーメンが効いたのかフルーツたっぷりのソフトクリームが効いたのか、おなか急降下でガイドの途中で離脱しました。ガイドの内容自体はテンポも良く、とてもためになりました。

大牟田から佐賀まで、下道40km。疲れているのに街なかを延々走るのか、と気が重くなりましたが、行程の3/4は高架を走る無料の自動車専用道路、有明海沿岸道路で、あっという間に佐賀に到着しました。便利な地域なのですね。大変助かりました。
佐賀市周辺を地図で開いて、是非ズームしてみてください。信じられないくらいの水路だらけなことに驚きます。実際にどんな景色が広がっているのかこれも楽しみで仕方がなかったのですが、俯瞰するならまだしも地面を走っている限りでは水路だらけだということを実感することは相当意識して頭の中に地図をつくっていかないと難しいです。

2泊3日のツーリング、おしまい。
予定ではここでこの日は車中泊して、翌日は福岡や飯塚の炭鉱施設や「青春の門 筑豊編」の舞台を巡ろうかと思っていたのですが‥もうクッタクタにいくたびれてしまったので、帰ることにしました。
バカですね。ここから4時間半、車の運転ですよ。とりあえず泊まって翌日考えればよかったのに。
でも、帰った翌日に仕事とか、これだけくたびれるともう無理ですね。この3日間、詰め込めるだけ詰め込んだ感もあるので、十分満足です。筑豊や大牟田はまた改めて、そのためだけに訪れてみます。
いつも思うことですが、今回も思いました。長崎は、ハズレなし。
今回のルート。
コメントを残す