
宿で目が覚めて「今、針尾を出発して長崎の稲佐山まで行ったらちょうど日の出の時間だな‥」と思い立ってしまったので、小一時間南へ下って長崎まで。
道はガラガラだけど真っ暗な国道は、走っていても面白さは一切なし。おかげで残りの距離と日の出の時間を見ながら、自由に速度を調節して走ることができました。
日中だと突発的に起こる写真撮影タイムも、この暗さでは発生しません。稲佐山の展望台に登ったところで狙い通り太陽が昇り始めました。

展望台には外周を取り囲むように双眼鏡がいくつも設置されています。

よくみると電子決済対応。というか現金用の穴が見えないな。
現金回収の手間がなくなるのでこういう場所に設置されるこういうものには電子決済が向いていますね。どの方向が人気あるのかも即座にわかるし。

ライブカメラの真正面に立ってしまった。
YouTubeのライブ配信で24時間いつでも稲佐山からの景色をみることができます。昔から夜景の有名な場所でしたけれど、今は「新・世界三大夜景」として紹介されています。

稲佐山に来たのは、朝日を拝むタイミングがぴったりだったから、だけではありません。

展望台の駐車場の端に、ひっそりと三角点のある稲佐山の頂上があります。

これ。ここに三角点(枠の中の四角柱)があるのには、普通気がつかないなぁ。
1990年に東京の座標を基準に調べた稲佐山の座標と現在との座標にずれがあって、そのずれを計測してその距離や原因について考えるアースキャッシュが設置されているのです。意外とそのずれが大きくて驚きますよ。

トラディショナルキャッシュは今回無視していく方向だったのですが、稲佐山の中腹には恐竜がいるそうです。面白そうなものがあったので、ちょっと藪漕ぎしてみました。
登山ルート無視の直登で、文字通り山肌を這うようによじ登って見つけました!

こりゃ恐竜だわ。目まであるし。

裏側からそーっと背中に登って宝探ししろ、と。

無事発見!これはまたとっても面白いキャッシュです。
もうすぐ還暦だというのに、こんなことばかりしているから小学生魂が抜けないんだな。

長崎北西部の海岸沿いを北上して、出津という地域にやってきました。ここは遠藤周作の小説「沈黙」の舞台となった地域とされています。
沈黙を読了したのは随分昔のことなので細かい内容は覚えていませんが、救いようが無く悲しい、虚しい話だったという覚えがあります。今思えば何で沈黙を読んだんだろう。
出津は何も知らなければただ通り過ぎてしまうだけの国道沿いの小さな漁港ですが、掘り下げてみるととんでもなく面白い秘密が隠されている地域で驚きましたし、大変楽しめました。

ここに設置されているアドベンチャーラボに挑戦。出津の周辺5箇所のポイントを巡って、それぞれのポイントに到着すると現れる質問に、現地の様子を観察して答えていきます。
この社は全国に3箇所しかないというキリシタン神社のひとつ、サン·ジワン枯松神社。

すぐ近くにはキリシタンが集まって祈りを捧げたという場所もありました。

100年前に完成した、煉瓦造りの黒崎教会。今回の教会巡りの中見た中でも非常に大きく立派な教会で、にわか作りではない重みを感じる佇まいです。

遠藤周作がこの地を訪れた時に「神様が僕のためにとっておいてくれた場所」と大変気に入ったそうですが、そんな言葉の出る場所に出会えるなんて本当に羨ましいな。
海の見える高台に遠藤周作の記念館がありました。

海に迫り出したスペースは「思索空間アンシャンテ」。
パノラマの窓越しに海と空を見ながら本を読んだり創作活動をしたり自分と向き合ったりするための空間として、入館者以外でも利用ができるようになっています(無料・要受付)。

小説の沈黙のことが頭にあるので、ついついロドリゴという神父が本当にこの地域に居たんじゃないかと思ってしまう。
実はこの地域に、実際にド・ロ神父という方がフランスからやってきて、74歳で亡くなるまで母国に戻ることなくパンやマカロニやそうめんを作るための施設をつくったり教会を中心に自立して生きる力を地域の人に伝えた、という業績を遺しています。
その事業のひとつ、旧出津救助院を尋ねてみました。

こちらは内部の撮影禁止だったので画像はありませんが1階がそうめんやパンをつくる施設、2階が礼拝堂。シスターの装いの方にガイドしていただくことで、説明していただかないと分からないような用具や地域の歴史について学びが深まりました。
礼拝堂に置かれている、世界に数台しか残っていないというオルガンを演奏してもらいました。鍵盤を手前にスライドして演奏すると短音を押しても和音が出たり、足踏み板の横のペダルをスライドすると音響がパイプオルガンのようになったりと、ものすごく凝ったギミックが仕込まれています。訪れる際にはガイド付きで、是非演奏してもらってください。

この地域で採れる石を加工した石材をさまざまなところで利用しているのを見ることができます。泥岩が変性して規則性のある方向に割れやすくなった結晶片岩という石です。この石をテーマにしたアースキャッシュについて考える時間。
石組み、レンガ、コンクリートと、強度のある壁を自由に作るために僕たちは建材を変えて来ました。加工しやすい石が地元でふんだんに手に入るというのは、当時としてはとてもありがたいことだったことでしょう。

並行してアドベンチャーラボ。
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連」を構成する資産のひとつ、ド・ロ神父の建てられた出津教会。黒崎教会に負けないスケールの非常に立派な清潔感のある教会です。日曜日でもないのに、讃美歌が聞こえてきます。
この空気は現地に来て体験しないと分からないものです。小さな漁村なのに、見所いっぱいで、とても良い時間の過ごし方でした。

げと。アドベンチャーラボの回答が正解するともらえるキーワードが揃うと座標が見つかるおまけキャッシュ。

げと。こちらは沈黙の碑の近くに置かれたキャッシュ。こいつは邪魔な石を退けている最中に触ったのに気がつかなかった。

長崎北西部に数あるアースキャッシュの中で、今回一番楽しみにしていたのがこれから訪れる「石鍋」というアースキャッシュです。
山奥へ徒歩で行くことになるのですが、地図を見ると車道がそこそこ近くまで伸びていたので入ってみると、車道とはいってもダートで、ガレ度合いも傾斜もだんだんとキツくなっていきました。
荷物付きのCRFではなかったとしても、その先へ進むのは無理ゲーになってきたので、バイクを降りました。

帰りのために向きを変えておこうとしたら、リアタイヤがスタック。脱出すると今度はフロントタイヤが凹みにはまって身動き取れない。んー、困った。
このあと乗船する船の時間の制約があるのでかなり焦りました。なんとか荷物を下ろさずに脱出して、バイクは置いて先へ歩きます。

下生えがなく、人が歩いたような雰囲気のあるところは良いのです。
途中でピンクリボンを見逃して分岐を間違えたらしく、自分の背丈ほどもある薮を草木をかき分けながら行軍する羽目に。
間違えたと思われる分岐まで戻ればよいのに、それまでの行軍が無駄になるのが嫌で前へ進めば登山道へ出るのではないかという期待もあって前へ前へ進んでしまいます。こうやって人は遭難してしまうんだろうなぁ、とか。

抜けた先に、それっぽいものが。

岩肌に人為的に削られたような跡がこちらにも、

あちらにも。

登った先に何があるのかと思ったら、

藪漕ぎを終えてたどり着いた時に見た場所に出ました。
ここは鎌倉時代あたりに石で鍋をつくるために削り出していたホゲット石鍋製作遺跡で、現在でも鍋を掘り出しかけで放置されたままの途中経過を見ることができるという、大変面白い場所です。
削りだした石鍋は大変高価なもので、12世紀初めの記録では石鍋4個で牛1頭と取引されていたそうです。

道の途中に、つくりかけの鍋が放置してあったり。こんなのが数百年間この場所に転がっているということが、奇跡のようです。

いや、荷物積んでガレたダートに入るんじゃなかった。特に時間の制約があるイベント前に。

洞窟巡りに加えて今回のツーリングのもうひとつの目的にした、炭鉱跡へ向かいます。
「長崎県」「炭鉱跡」というと端島(軍艦島)が真っ先に思い浮かぶところですが、端島は上陸はできても崩壊が進んでいるので一般人の構造物への立ち入りはできません。
そこで今回は現在唯一操業を終えた炭鉱の坑道へ入れる、しかもトロッコに乗って入っていくことができる池島炭鉱跡へ向かいます。
沖に出ると思いのほか波高が高く、船が波を乗り越える度にふっ‥と浮いて次の瞬間海面にズドーン!と叩きつけられる‥を繰り返すこと約20分。女性が悲鳴をあげてしまうようなアトラクションっぷりです。船体ってとても頑丈なのね。

島に渡り、事務所で15分ほどレクチャーを受けて屋外へ。

憧れのトロッコ。先頭客車に乗りました。

普段バイクのコンディションを丁寧に整えている身からするとちょっと考えられないくらいの、金属同士がぶつかり合って発するすごい振動と軋み音を響かせながら坑道へ。

ガタンゴトンじゃ効果音の表現として物足りない。サスペンションのないリジッドなのか、振動がダイレクトに伝わってくる。

右、救急センター。後でこちらから帰ってくることになります。

雑然と雑多なものが並べてある、ザ・漢の仕事場。最新の男女雇用機会均等法においても、女性の坑内労働は禁止されています(現行法では女性は監督・管理業のみ行えます)

AKIRAっぽさもあるね。

わー、テレビで見るやつ。

これがグリグリ回転しながらアームを上下左右に動かして掘り進み、掘り出したものを黄緑色の爪がかき集めて、腹下のベルトコンベアで後方へ送るという仕組みがセットになった装置。
ドリル先端の白い爪は摩耗したら交換します。爪を固定するU字金具を引き抜くことで、簡単に爪を脱着する体験もできました。

天井を支えるスチールの梁をどのようにして正確に組むのか、という説明。

機械を使わずに(水準器は使っていましたけれど)、目視で垂直水平傾きを正確に弾き出す方法を教えていただきました。

こちらは手前と奥にドリル刃のついた掘削マシーン。数値的なデータは忘れちゃったけれど、驚くほど効率よく掘り進んでいける。

坑内で火災が発生した際、上から被って頭の上から圧縮空気を送ってもらうエアーマント。坑夫の安全には万全を喫していたようです。

200mほど先にこの坑道の入り口があるそうです。傾斜角18度だけれど、遠いので入り口が高いところにあって、ものすごく急な坂に感じる。

坑内に設置された救急センターへ向かいます。
トンネルの中に防火壁を設けて、火災の際に坑夫が避難する空間です。

中にあるのは虚飾抜きで実用性に特化したサバイバルグッズ。

右の電話は古いモデルで手回し発電で交換手に繋がるタイプ。交換手は若い女性だったので、女性と会話がしたくて用も無いのに電話をかける輩がいたけれど、交換機を使ったダイヤル式になったことでそれも無くなったとか。

ダイナマイトと、電気式着火スイッチ。ダイナマイトに電気式雷管を差し込んで配線、着火スイッチに鍵を差し込んで右回しにすると電池からコンデンサーへチャージが始まり、パイロットランプが点灯したら左回しにすると放電して着火。
現物を見て触るというのは、リアリティと凄みがあります。

1時間半ほどの見学コースが終わり、オプションコースを申し込んでいる人はここからガイド付きで島内や坑夫の住んでいた団地などを車で巡るコースへ。
僕は申し込んだ時点でそのオプションコースが満席だったので、次の船が出るまでの2時間ほど、徒歩で島を巡ります。

古いだけじゃない、かなり崩壊が始まっている金属の塊。人が通れるほどの太さのあるパイプを上に向けたり下に向けたりするための設備っぽいのだけれど、何のための設備なのかは外観からでは判断できませんでした。
こういうのはガイドしていただけるとありがたいですね。

島の台地状の丘の上にある団地へ到着しました。誰も住んでいない団地群です。

お、屋上にオプションツアーのみなさんが居る。

2001年に閉山し、約2500人の従業員がそこで全て解雇になって以来、放置されて続けている高層アパートの社宅。高層といっても端島ほど高いものではなくほとんどすべてが4階建てですが、人がすまなくなって20余年も経つとこのように植物にのまれてしまうのですね。

まさに一朝一夕には作ることのできない景色が出来上がっています。

坑夫のお給料は当時の一般的なサラリーマンの2倍、アパートの家賃は閉山時で400円だそうで、仕事の内容はさておき待遇面ではかなり優遇されていたようです。

ああ、もうこうなると作品だな。

不気味を通り越して、キレイ。

これじゃ物足りない。

場所や日当たりによって、植物に飲み込まれる度合いにも当たり外れがありそうです。

建物に100を超える番号が振られています。1棟あたり、4階×6室で24室、100棟だとしても2400室。閉山時2500人解雇、というのと数字的にはバッチリ整合します。これにご家族も加わって、最盛期には島に7000人が住んでいたとのことです。

軍艦島の人口密度が約83,600人/1㎢で世界一だったのですが、あちらの方が建物が高く、範囲も狭かったからですね。

緑に包まれている建物ばかりに目がいってしまうのでそんな建物ばかり写真に撮っていますが、割合的には10棟に1棟がこんな飲み込まれ系な感じでした。

ちょっと毛色のちがったモダンな建物もありました。こちらは7階建て。屋上の渡り板が腐食してスカスカになっています。

池島中学校。小学校は?と思ったら入り口の左の門柱に「池島中学校」、左の門柱に「池島小学校」と書いてありました。体育館が手前と奥に2棟あるのも納得です。

学校前の信号機。現地を歩いて、また衛星写真で確認した限りでは島内唯一の信号機。左の階段から団地の子供達が雪崩落ちるように学校へ向かっていたのでしょう。

かろうじてパナソニックと読めるシャッター。巻き上げ装置がむき出しになっていて、勉強になります。

歓楽街も、夢のあと。

もう管理もされていないようです。

高台の団地群から海岸線に伸びる細い下り坂沿いには2階建ての1軒屋が並んでいます。昔の飲み屋街だったそうです。

坂沿いに人の気配のする家は2軒だけ。
1時間半ほど徒歩で散策、20分ほどジオキャッシング。最終便の船まで2時間もあったので時間を持て余すかと思ったら、見るところだらけで全くそんなことはありませんでした。

連絡船は双胴艇だったのね。
本土に戻って入浴して、宿泊場所へ向かいます。

2年前、カブでこの地域を走った時に泊まった場所で野営。
(2年前の長崎ツーリングはこちら)

2年ぶりに居酒屋竹とんぼさんへ。不思議なことに全然久しぶりって感じがしない。
実は昨日今日と2日連続で竹とんぼさんへ来ようかと思っていたのですが、昨日は針尾に泊まったので来られませんでした。お店も昨日までご主人が南九州の旅をしていたということで、お休みだったとのこと。
今日の行程の話になって、池島炭鉱の話になると、ご主人の奥様が実は池島出身とのことでなにかこう、つながりのようなものを感じました。
前回一緒に飲んだお客さんにご主人が旅行のお土産を渡すための電話をしたついでに「広島の人、来てるよ」と。

明日団体さんの予約が入っているそうで、奥の団体部屋も相変わらず。

2年前、ご一緒させていただいたご夫婦もやってきて、楽しい時間。
こんな遠いところで楽しく呑めるお店があるの、幸せ。
次の日また4時ごろ目が覚めるのは分かっているのに、ついつい長居してしまいました。
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