協議その3

ある国の、大量虐殺をした看守の裁判で「その看守がどれほどの悪人であったのかを確かめてやろう」と傍聴した人の話を読みました。すると、その看守自身は極悪人でもなんでもなく、ただ言われたことをするだけの人であったそうです。そこで、悪とは「悪いことをする人」を指すのではなく、「考えないこと」を指すのではないか、と結ばれていました。虐殺に関わる人たちの中に、自分自身で人間らしく物事を考えることができる人が幾人か居れば、人の不幸はもっと少なくすることができたでしょう。

前回の話し合いから2日おいて今日の話し合い。相手も自分も仕事や住むところを決めるために差し迫った期日があります。その制約の中で子どもにとって最善の話にもっていかなくてはなりません。2日の間になにか答えをみつけてくれているだろうか、と期待して話に臨んだのですが、何も考えてくれていませんでした。いや、用意はしてくれていましたが、「その条件をそのままこちらが君に提示したら君は納得できるんだね?」というと「できない」と答えるような内容ばかりです。そんな程度の条件や覚悟でこちらが納得できるわけではありません。その上相変わらず、「君が斗威を引き取ることになるという理由は?」に対する答えは「斗威を好きだから」の一点張り。

僕は斗威をこちらで育てたいのはやまやまですが、斗威が幸せに健やかに賢く成長してくれるのであれば、週末会うことだってできるわけですから普段は相手が育ててくれても良いと思っています。これは何度も言いました。

6時間話しました。こちらの質問に対して、ほとんどが沈黙でしたので、「はい」か「いいえ」で答えてもらって少しは進歩がありました。こちらが提示している内容は斗威にとってメリットが大きく、妻が引き取った際のメリットは今のところ薄いということに同意はもらいました。ならば前回同様「こちらが斗威を預かり、その間に君が修行をして斗威を喜ばせて幸せにできる人になって、斗威自身に「お母さんと一緒に生活したい」と言わせられたら斗威を託すよ」と言うのですが、これには全く同意してくれないのです。「君は理不尽なことを言っているよね」という問いに「はい」と答えるのです。
普通ではあり得ないようなムチャクチャな条件をこちらが提示して、その条件をのんででも君が斗威を引き取るということに同意できるのか?と問うと「はい」とい言うのです。
そこまでして、誰が幸せになるの?と尋ねると、「私」と答えるのです。

僕は、妻が僕より「現実性」という点では勝っていると思っていました。それさえ崩壊させて、自分が理不尽であることを自覚した上で、ただ単に自分の幸せや欲求のためだけに何も考えず何も提案せず我を通そうと人に、大事な息子を託せるわけがないでしょう?仕舞いには午前4時を過ぎて「もう‥まともに考えることができなくなった」って言われても、それにつきあわされているのはこちらです。

当事者3人が顔をつきあわせて斗威に決断を迫るのは胸が痛すぎます。離婚というわがままを通す両親が、これ以上わがままを言わずに子どもを幸せにするにはどうしたらいいだろうね?って建設的な意見を出し合う時間なら何時間でもつきあいたいです。

調停離婚という手もあります。妻はこれを持ち出してきました。でも、第三者が決めたことに君は同意できるんだね?という問いに返事はありませんでした。

3人の人生がかかっている問題です。その中の一人が自分のわがままに更にわがままを上塗りすることで、3人がみんな不幸になる構図に向かっているようにしか僕には見えないのです。そして今日も決着がつかずに過ぎていくことに。

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