協議その2

妻との本格的協議の2回目。

離婚自体は親のわがままで、子どもにとっては悲しいことであります。僕らが考えなくてはならないのは、離婚すること以外のところで、できるだけ子どもにとって良いと思える方向に話を進めるということだと思っています。

前回妻は「子どもは手放す気はない。ただ、学校がお休みの時にはそっちに長期預けてもいい」といった案を出してきたのですが、これはあくまで親のエゴを満たすことだけが目的で、子どもの幸せは2の次になっている大変悲しい提案だと思いました。また、そんな程度で相手の欲求を満たせると本気で思っているのであれば、そっくりそのままひっくり返してこちらで子どもは育てるから、休みには妻のところに預けるという論理が通ってもいいということになります。

僕らが話さなくちゃいけないのはそんなことではなくて、子どもを自分が引き取ったら、子どもにどういった幸せを与えてやれるのかという点でしょう?僕は個性が社会性の犠牲にならないような子どもを育てたいし、そのためには自己表現能力を身につけさせたい。自分ができるとしたら絵画表現からそれを教えるくらいしかできないけど、それでも他の人にはない自分なりの接し方ができる、と言いました。それに対して妻は、妻にしかできない、妻なりの愛情の注ぎ方を口にすることはありませんでした。
僕自身は子どもが幸せであれば、今生の別れでもあるまいし妻に引き取られるという結果もあり得るという方向で、いろんなパターンで考えています。ただ、自分が子どもを手放すには、自分以上に子どもに幸せを与えられるという宣言なりビジョンなりを示してくれないと到底納得できるものではありません。
妻は社会的に親であることや妻自身が子どもが好きであるということを盾に話をしてくるのですが、その点では言うまでもなくこちらも同じなので交渉の基準にはなり得ません。

妻に、斗威を幸せにしてやれる自信があるのか、という問うと自信があると答えます。ならば、「斗威を妻が預かって、余暇にこちらが子どもと遊ばせてもらうことにして、その上で斗威が「やっぱりお父さんの家族と一緒がよかった」と言ったら、斗威をこちらが育てても良い、という条件で引き取る覚悟はあるか」と問うとそれでも良いと言いました。そこでそっくりそのままひっくり返して、「そこまで自信があるなら、こちらが斗威を育てるから余暇に斗威と会ってもらい、「やっぱりお母さんの家族がよかった」と言わせたらそちらに育ててもらうというのでも良いではないか。それだけの覚悟と自信はあるのか」というと黙ってしまうのです。それって、単に自分の手元に子どもをおいておきたいという気持ちでしかないということになるではありませんか。
上記の提案は、どちらにしても、今の斗威の親が双方全力で子どもを愛していくことにつながるならそれはそれで子どもにとっては少なからず幸せなことだと思うのです。妻に引き取られたら、僕は全力で「お父さんが良かった」と言わせるように努めます。その逆だったとしても、妻にも同様の決意があるということを示して欲しいのです。

このままいけば、春からそれぞれの新しい生活が始まることになります。もう2月も中旬。家探しをはじめどうしても片づけていかなくてはならないことが目白押しです。子どもと一緒に生活ができるのかできないのかということでお互い住む環境も変わってきます。辛い話ですが、子どもをどうするかを今考えなくてはならない時期なのです。図らずも、今日は斗威の6歳の誕生日。ハッピーバースデートゥーユー。

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