ITにまみれた生活

柳田邦男さんの「壊れる日本人」という本を読みました。
近年の少年犯罪やマニュアル化された大人の行動を例に挙げ、様々な情報メディアとの接触や依存によって日本人が日本人らしさを(というよりも人間が人間らしさを)喪失していくことを啓発する内容でした。
決して懐古的になるわけでもなく文明否定するわけでもないのですが、結論としては、「情報メディアに関わる時間を減らして、人と人が直接ふれあう時間を増やそう」というものでした。

柳田邦夫さんはこの本の中で「楽をすれば失うものがある」と何度か説いています。僕自身は人にとって「情報化社会を迎えたメリットはなにか(楽をした上で、特筆するほど失うものがないものはなにか)」と問われたときに「仕事の効率が上がった」ということ以外は「身障者の自立が促された」というくらいしか実のところ言えないのではないかと思っていました。インターネットでは匿名性を利用して本音を語れますが、それは良い面よりも悪い面の方が際だっているようにも思えます。一般の人がインターネットを利用し始めて「なくては生きていけない本当に必要なもの」を得るよりも、実は生きていくために本当に必要な時間を消費しているデメリットの方が多いんじゃないかと思っていたところです。

だからといって、この柳田さんの本はスバラシイといいたいわけではないのです。デメリットのあるものに触れる時間を減らして、旧来のメリットのある時間を確保しようという考えは今時点では「過渡期」ですから言い得る提案の一つだと思います。しかし今後間違いなくITにまみれた生活に人が飲み込まれていく中で、それにいかにあらがうかという提案よりも、IT化によって失ってはいけないものをどうやってITとつきあいながら確保するか、またそれをどう標準的な規範意識として認識できるようにするか、という発想が必要ではないかと思うのです。

第三者が他人の幸せをとやかく言うより、一人ひとりがそれそれ幸せを感じながら生きる方が大切だとは思います。というわけでITまみれの生活が幸せだと思う人もいるでしょう。ただそれだけで社会全体が幸せになるかということに「ハテナ?」と思えるようにならなくては、現状で世の中がこれだけ壊れてきているのに今後が危ぶまれるということは意識していかなくてはなりませんね。現状維持ではすでにダメなのです。

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