学校は「他とは違う、その子らしい力」を伸ばしたいと思いつつ、「みんなと同じようにできること」を求める場でもある。集団生活の中で基本的なルールや技能を身につけることは欠かせない。そのため「イレギュラー」=極端に外れてしまう子を作らないよう努めながらも、同時に「イレギュラーを育てないようにしながら、イレギュラーを育てたい」という相反する願いを抱えているのだ。
これは昔から私の中で小さな悩みだった。だが改めて考えてみると、一つの答えとして「ある社会的水準までのイレギュラーは避けつつ、その先にあるイレギュラーは積極的に歓迎する」というイメージに行き着いた。
たとえば「迷惑をかけるイレギュラー」は避けたいが、「世界を変えるイレギュラー」はむしろ歓迎したい。あるいは「ふつう」を土台にしながら、「ふつうを超える」芽を摘まずに育てたい、ということだ。
子どもたち自身が「それはイレギュラーだね」という否定的な指摘や、「そのイレギュラーさはいいね」という肯定的な評価に出会ったとき、自分の立ち位置をわきまえ、混乱せずに受けとめられることも大切だ。自分の「ちがい」がどのように見られ、またどう生かしていけるのかを考えられる――教育者に対しは、そんなちょっと当たり前にとらわれないイレギュラーな力を育てる姿勢を持ち続けることを願う。



コメントを残す