SuperCub 厳島 誓真釣井巡り

前週の日曜日に家族と宮島の弥山へ登りましたが、その時立ち寄った「誓真釣井」について調べてみると、江戸時代に掘られた10ヶ所の井戸のうち4ヶ所が宮島の市街地に点在しているということなので巡ってみることにしました。

朝10時までは大鳥居に一番近い岸までバイクで入っていけますが、よく考えたら自動車でもOKですね。「ハイエースと大鳥居」みたいな写真も撮れるのか。

最初に立ち寄ったのは先週も訪れた幸町の井戸ですが、写真撮り忘れ‥。

2つ目に訪れたのは魚之棚町の井戸。3方を家に囲まれていてここはもしかしたら私有地!?みたいな雰囲気なのでご迷惑にならないように静かに観察です。サビだらけのポンプからはポンピングしても水は出てきません。住人の方が出てこられたのでお話を伺うと、「壊れてる」そうです。家の前で水が出たら便利だろうに、直さないのはこれが使えなくても不便されていないということでしょうね。

3つ目に訪れたのは西連町の井戸。先ほどに増して個人の敷地っぽい。すだれのようなものの隙間から見える水面は地面から1.5mほど下です。井戸ってもっと深いところに水面があるのだと思っていました。

ちょっと寄り道。先週ムスメが見つけた神社への階段。

登った先には小さなお社。

この小山自体は要害山という山でした。港からすぐのこの山は厳島合戦の舞台のひとつで、宮尾城という毛利方の城がありました。1555年、大内方の陶晴賢が二万余りの大群で宮島に上陸し、塔の岡(現在の千畳閣あたり)からこの宮尾城を攻撃しましたが、包ヶ浦から博奕尾を超えてやってきた毛利の主力が背後から陶軍を急襲して討ち取ったという話になっています。

宮島の史跡を巡ると、この島の歴史的な背景が点の知識として貯まっていきます。以前博奕尾を訪れた時に毛利軍が包ヶ浦から超えてた峠だということを知識のひとつとして知りましたが、今日要害山と宮尾城を知ることで、毛利軍の行動とその結果が線としてつながりました。面白いなぁ。

4つ目、港町の井戸。現存しているなかではここが一番手入れが行き届いています。ポンプも生きていて水も出るので手に取って飲んでみましたが、海のすぐそばだというのに確かに真水でした。で、飲んだ後に井戸の蓋が網なことに気がつきました。雨水もだーだーに含んでいますね。

路地巡り。バイクで入ったことのない残り少ない路地を見つけては潜り込んでみますが、すぐ階段で行き止まり。不思議な形のトンネルがあったので今日は歩いてみました。

壁を見ると新しい感じもする。

抜けた先には新設された砂防ダムがありました。

振り返るとトンネルの上はたまに走る道路でした。なるほど、こういう関係なのか。頭の中の地図がアップデートされていきます。

高台に井戸を掘った誓真さんの碑があります。誓真さんのお墓は対岸の大野にあるそうです。神聖な島である宮島にはお墓を作れないのです。

その高台から見える風景。千畳閣と五重塔がよく見える。

その高台からちょっとした段差の続く坂道とを下っていくと、塔之岡茶屋さんのところまで来ましたが‥ここから山を下るのは階段しかなかったような‥。

がー。さすがに乗って降りる気にはなりませんが、押しながら歩く分にはこのくらいの段差はなんでもないです。

入りこんだことのない道を見つけては潜り込んでみます。

行き止まりだったけれど、良い路地の山道。

宮島水族館手前の超急階段が、もう30年越しくらいで気になっていたので上ってみました。

経塚(清盛塚)がありました。ちょっと変わった形の石碑です。家に帰って調べてみると、平安時代からの伝承で「平清盛が経筒を埋めた」ということにはなっていたが、戦争末期にこの辺りを耕していたら本当に経筒が出土してあらビックリ!という話だそうです。面白い。

塚からもう少し先へ進むと視界が開けて宮島の大鳥居を真横から見る、絵にはならないけれどある意味すごい景観の場所へ出ます。

10時ごろ島にやってきて12時の船で帰るショートツーリング。宮島ってほとんどの人が徒歩の観光だと思いますが、原付があると島の懐にさらに潜り込むことができて、楽しさの幅が広がります。宮島に限らず原付に乗るまで気が付かなかったことが、本当にたくさんあるな。

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