SuperCub 下関巡り

正直、下道日帰りができる距離の近隣地域は行き尽くした感があります。そこでハイエース泊を快適仕様にして宿泊しやすくしようと、庭で2連泊しながら従来の簡易宿泊所っぽい感じよりも自宅の寝室に近い環境を整えて迎えた年末のお休み。とりあえず山間部は雪で走れないので西を目指して平日19時に家を出発で走れるところまで走ります。

この日で3連泊目。テント泊でもハンモック泊でも車中泊でも、旅の初日は朝起きるまで熟睡ということはあまりなくて、大抵深い睡眠と覚醒を短いサイクルで繰り返します。これまでそれが不快に思っていましたが、この晩、生きているってことをより長く実感できるじゃないか!と思ったらそれほど不快に思わなくなりました。
あと、こういう状況で眠くなる方法も開発しました。オーディオブックを聴きながら寝るのです。そうすると朗読される言葉について考えるより働きたくないから寝た方がマシ、と脳が思い始めてしばらく聞いていると勝手に眠くなります。

トランポ移動&泊にしたのは距離を稼ぐってこともあったのですが、平日の深夜割引の時間を跨ぐためということもあります。また、そもそもこの時期の寒い時間は車で移動してバイクで走るのは日中の美味しい時間だけにする、という目論見もあったはずなのに、結局早起きして夜明け前に山越とかするもんだから無茶苦茶寒い思いをする羽目に。このあたり、もうちょっと移動•宿泊・出発の時間を綿密に計画立てて行った方が良いのかな。

福徳稲荷神社。国道沿いですの急坂を登った上にある、キャッシュがなかったら立ち寄らないような場所。300m以上続く鳥居の回廊が凄いです。

この日いくつか大きな神社を巡りました。12月末、初詣に向けた準備でどこも無茶苦茶忙しそうでした。

今年何度か訪れている角島大橋。朝よりは昼の光量が多い時間帯の方が海の青さが際立って綺麗に見えるのですが、朝の光でも見てみたくて寒い中北上して日の出直後の時間帯に立ち寄ってみました。ゴウゴウと音を立てながら斜め奥方向から押し寄せてくる白波が新鮮。角島は割と穏やかなイメージがあったので、日本海らしい荒々しさに妙な意外さと安心感とがまぜこぜになったような景色になっていました。

橋の角島側のグニョンとしたところ、背の高い船はここを通れっていうことですね。大きな船の往来がある海峡の橋の架け方の工夫を見るのも楽しいです。

カブだとこれまで入り込んだことのない細道に気軽に潜り込めます。

あら、角島大橋手前の展望台の下、トンネルになってるのね。旧道かしら。

角島大橋の見えるとても良いビーチ。ここは海水浴シーズン意外は誰も訪れなさそうだし、最高の穴場だな。

下関へ向けて南下。お日様出てきた。

川棚温泉の観光協会の建物なんだけどね、モダン過ぎて浮いてる。

誰も来ないような山の中でゴソゴソ。楽しい。

下関へ向かって南下するのに幹線道路はなるべく外してできるだけ海沿いの道を走りました。ビーチあり、港ありで空は終始こんな感じ。日差しもまだらで気温が上がらない。

本州最西端にきました。もう何十年か前に訪れたことがあるはずだけど全然覚えてない。

その南側に、昔はなかった処分場ができていました。地図を見ると最西端の展望所よりもこちらの方が西の端。

下関でキャッシュを巡ります。砲台跡というので期待して来たら、こちらは幕末の砲台の跡だそうで。

火の山公園。これまで何度か訪れたことがありますが、広島界隈で戦争の遺構を巡るようになってからは訪れていないので、今回この大きな規模の砲台施設跡をとても楽しみにして来ました。

砲台や付帯施設の跡がとても綺麗に整備されて残っています。

ただ、公園として開発され過ぎていて、当時の砲台施設としての全体構造を把握するのは難しくなっています。このあたりは当時のまま放置している広島の山中の砲台跡の方が今に生きる資料としては恵まれている。

明治から昭和初期にかけて、広島湾では外洋から侵攻してくる船舶から広島を守るために島々に砲台を設置して湾全体が要塞化されていきました。でも、よくよく考えたら広島を守る以前にそもそも瀬戸内海に外敵から侵入されなければ良い、ということで瀬戸内海の入り口になる紀伊水道・豊後水道そして関門海峡の3ヶ所を徹底的に強固な守りにすることで広島湾の要塞施設は使われなくなっていきました(その後航空機の時代になって水道や海峡を守ること自体に意味がなくなりました)。火の山の砲台施設は広島よりも後の時代のものかと思うのですが、見た目広島湾の施設と構造が同じに見えます。ここ、観測所。

榴弾砲の砲座跡。加農砲の砲座よりも浅い。

半地下の砲弾庫は造形は広島のそれと同じようです。

コンクリートが使われ始めた時期の構造物なので、レンガと石とコンクリートのハイブリッド建築になっています。オールコンクリート造だともうボロボロでしょうが、石とレンガは100年経っても堅牢。

火の山はどこもとても丁寧に手を入れられて、ゴミひとつ落ちていない綺麗さです。

よく見ると展望台の下に当時の施設が。見晴らしの良い観測所の上に展望台を新設して載せています。

当時モノの階段も新設された木製の階段の下になって使われていませんが、綺麗に残っています。

観測所下の司令室だかなんだかの空間。公園内は当時の伝声菅らしいパイプもところどころ覗いていました。

ロープウェイ駅屋上の展望台から。関門海峡は極端に狭い上に蛇行した水路なので海峡の両側から対向する船がお互いを見通せず、なかなかの難所だということになっています。この高さから奥の方を見ると、日本海側と瀬戸内海をS字の水路で繋がっているというのがよくわかります。

武蔵と小次郎。この下を門司側までつながる歩行者用の人道トンネルが通っています。今回時間がもう少しあれば(日照時間がもう少し長ければ)人道トンネルをカブで押して歩いて、九州側からまた関門トンネルで戻ってこようと思っていました。日の入りまでにキャッシュを全部巡れなくなってしまいそうな時間だったので、今回は断念。

少し待っているとすぐ大きな船がやってくるので、飽きない。

唐戸市場は今回カレーにスルー。

どちらかというと、こういう普段足を運ばないようなところを巡れるのが楽しいです。山口銀行旧本店。大正期の建物。

レトロさとモダンさが混在しているのは対岸の門司も同じですね。歴史のある地域らしいです。

下関の南端は小瀬戸海峡という超絶狭い水道で本州と隔てられ、3本の橋で繋がる彦島という島になっています。小瀬戸海峡は日本海側と関門海峡側とで最大1.2mの潮位差が発生して激しい海流によって小型船舶の運行が難しくなるため、橋を兼ねた水門を使ってパナマ運河のように水位を調整しているという、知ってしまうとヤバいくらい見に行きたくなってしまうトコロ(水門は以前の下関観光でじっくり見たので今回はスルーしました)。

武蔵と小次郎の決闘で有名な巌流島は彦島の東にポツンと浮いている小さな島です。この島は下関の市街から見るには少し遠くて、どこから見たら良いのかと思っていましたが、今回キャッシュを巡っているうちに彦島の私有地っぽい展望所に案内されて島全体を見ることができました。

彦島の南は関門海峡の入り口になります。ここに大山の鼻検潮所という小さな施設があります。名前の通り、潮位をここで調べて、無線で航行する関係船舶に通信する施設だそうです。こういうなんでもない、なんにもない、ただ対岸の北九州市街へ日が沈んでいくのを楽しむだけの場所って良いな、って思います。僕も家の近くでこういうなんでもなんにもないただ時間を潰すだけの場所見つけよう。

彦島のこのあたり、整備されていない砲台跡やら、ブラントンの灯台やら、時間をかけて巡りたいところがまだまだたくさんあります。

下関巡りも終盤、天まで続く急階段‥これを一気に登れる人がいたらスゴイ。

階段を上り切ったらさらに階段があって、ちょっと大物ゲット。

ああ、暮れていく‥夜明け前から無茶苦茶充実した1日になりました。

ただ、この時点でまだあと4箇所巡りたいところが残っています。そのうちのひとつ、彦島西山の化石層。どこにあるの?と思ったら道路の下。

びっくりするくらい露骨に貝の化石が堆積した層が丸出しです。貝の化石の下の層の砂岩は粘性のある液体が踊っているみたいに浸食されているし。情報が盛り盛りで面白い!

今日はかなり狙って日が沈む時間に本州西岸を北上するルートに設定しておきました。でもちょっと夕焼け不発かな。

下関巡り最後のキャッシュ。ちょうど日が沈んでここから隣町に停めたハイエースまで30分、寒いけれどなんとか凌げる気温の中戻りました。

本当だったら夜また車中泊してから家に戻るか、年末休みなことを良いことに翌日もうひとつアドベンチャーしてみるか、という感じだったのですが、30箇所以上キャッシュを巡ってすっかり満足してしまったので帰ることにしました。

日の出日の入りともにあと1時間ずつ日が長ければ下関を、特に彦島をもう少し余裕を持って巡れたのにな。カブに乗って半年になりますが、僕のペースと体力でカブを使って1日に巡れる範囲というのが大体掴めて来たように思います。尻痛くならない、疲れない、カブ便利。

今回の下関攻めで、山口県内を隈なく行き尽くした感が出て来ました。

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