うさぎの島

6年前の冬、家族旅行で大久野島(うさぎの島)へ行ったことがあるのですが、当時2歳だったムスメは「全く覚えがない」とのことで、しばらく前からうさぎ島へ行きたい!とぶつぶつ言っていました。ムスコも妻も別の予定があって、僕自身はジムカーナの大会の日だというのに前週から膝がおかしくてエントリーしなかったのがすっかり完治してしまった日曜日、ムスメと二人で出かけることに。

ムスメ、前日からウキウキしながら着ていく服を床に並べて準備していましたよ。

8時半の船に乗るために自宅を7時出発。ちょうど良い時間に忠野海港に到着です。

写真のマリンラビットII号で行くのかと思ったら、

この時間の便はカーフェリーでした。最近僕がしまなみ海道へ行くのによく利用しているヤツ。

上陸早々、タタタタタ‥とこちらに駆け寄ってくるうさぎにムスメメロメロ。「夢みたい‥」とうっとり。

うん、でも確かに可愛い。

島の波止場を降りたら、各種施設の集まっている左側へ向かって歩いて時計回りに島を巡るのが順当な流れだと思います。前回その流れだったので、今回は反時計回りに歩いてみることにしました。そうなると最初に訪れることになるのは発電所跡。大久野島は戦争が終わるまでの毒ガス製造施設に絡んだ遺構がたくさん残されています。

これは当時もののペイントなんだろうか?

発電所跡。前回ここのキャッシュを見つけられなくてリベンジしにきたのですが、ムスメは先へ進みたいらしくあんまり捜索の時間が割けず今回もDNF。くそう、せっかく来たのに‥。

出会ううさぎ全てに餌を与えるために停まるので、全然先へ進めません。

島の各所にこういうものが。おそらく防空壕の入り口を戦後に塞いだもの。宮島などでも結構みかけます。

島の山側へのアプローチ路が、軒並み通行禁止になっていました。

島は1平方キロメートルにも満たない広さで、約3kmの外周路が設けてあります。車両は時計回りの一方通行。

島北部の砲台跡。前回は島の中央部にある砲台を通るルートを歩いたので、今回初めて訪問しました。この手の砲台跡が建てられた時代は日本でコンクリートの使用が始まった頃で、ここでは自然石とレンガで砲座が作られています。コンクリートの建物は管理せずに100年も建つとボロボロになっていますが、この手の組み方をしている構造物は今でもしっかりとした形を保っています。

弾薬庫、小さめ。

島中いろんなところに施設跡があり、ガイドが丁寧に設置されています。

水没している弾薬庫も。水が抜けないものね‥というよりどこからこの量の水が‥?

いかにも特殊な用途で使っていたと思われる跡もありました。砲座のスペースなのですが、何か筒状のものを置いていたのかな。

水没弾薬庫がここにも。

僕が各種施設跡に萌えているのを尻目に、ムスメはうさぎにメロメロ。「ひ、膝の上で‥食べてくれた〜!」明日学校で自慢するそうです。

この島の目玉はコレでしょうか。長浦毒ガス貯蔵庫跡。島の中央部の砲台跡も規模が大きく綺麗に残っていますが、この島の個性は「毒ガス」にあると思います。

いや、邪魔すんな。

貯蔵されていた毒ガスは薬剤で処理したり海に沈めたり焼却処分したり‥ということで、焼却跡の残った施設です。

元々の島のキャラクターととうさぎの可愛さとのギャップが大きなところ。

前回訪れなかった南部の灯台へ向かってみます。ムスメ、楽しそう。

島に来た甲斐のある風景がいきなり目に飛び込んできます。ムスメ、楽しそう。

うさぎの掘った穴?ゲートボールで利用できなそうな広場。

12月だというのに、南国感が。歩いている分には全然寒くありません。

南部探照灯跡。丸い部分の中央部が当時は吹き抜けになっていて、探照灯をこの中に格納します。下に収納空間と部屋がつくってある(立ち入ってくれるなというロープが張ってあります)構造等々、近隣の島の遺構と同じ。

灯台を見るだけならそれほど新鮮さはありませんが、

「どの灯台かわかるように、それぞれの灯台で、点滅のパターンや、色が決められています。これを灯質といいます。」と書いてあったのが勉強になりました。ただピカピカ光っているわけじゃないみたいです。確かに灯台の灯り方で区別がつけば、例えば夜でも自船の位置が確認できたりして色々便利ですね。

「幹部用防空壕跡」

妙に天井の低い市営アパートの入り口みたい。内部へ立ち入りはできませんが、半地下へ降りてていく階段がありました。

島を一巡しましたが、もっとうさぎと遊びたい!というので1便遅らせて船を待つ間、再び僕だけ発電所へ。ガサガサと落ち葉をかき分けていたら‥ありました!これは嬉しい!6年越しの発見で、これは思い出に残りそう。

忠野海港の切符売り場とお土産屋施設、周辺の建物からは浮いてるし、なんかうさぎ目当てに来る客層に媚びている感じがして馴染めません。渡った先の島がそれほど媚びた感じになっていないので尚更そう思うのかも。

ウィキペディアによると、ヒ素による土壌汚染(1997年までに対策済み)とか、それで地下水が使えないので上水を本土から配管しようかと思ったら海中投棄した毒ガス兵器が見つかって工事ができない(水は島外から移送)とか書かれています。単に訪島するだけでは知り得ない島のもつネガティブな歴史の一部分はそう簡単に切り離せるものでないのかもしれません。逆にうさぎの島として認知されたのが2010年頃からということですからこちらの歴史はまだ10年ほど。古さが新しいものに上塗りされるのは時間もかからないのかもしれませんが、この絶妙にチグハグしている島を今のうちに楽しむのが、現在の大久野島の楽しみ方なのだと思います。

「だ」と「の」にアクセントを置くのが普通の読み方だと思いますが、ムスメが「た」と「う」にアクセントを置いてました。ただの海じゃないんだよ、暗い歴史をもつ海なんだよ‥。

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