SEROW 近くにある楽園

広島の宇品港8:25分発、江田島三高港行き。いつもの出勤時間くらいの時間に家を出れば余裕で間に合う時間です。

この日はもともと下関あたりへ車でバイクを運んで遊ぼうかと思っていましたが、まだ日が短いので近場遊び、ということであやのすけさんとセローでツーリングのようなもののはじまり。では出発。

船内で始まる携行食交換会。僕はポテチを、あやのすけさんはようかんを相手に渡しました。あやのすけさんには「パリッとはじけるクソリプ」と読めるようです。いろいろ終わっている人だとは思っていましたが、そこまで‥。

三高港は江田島、といっても東西に張り出しのある島の西側、沖美町に近い港です。港に近づくに連れてくっきりと見えてくる一番高い山が砲台山、一度くびれて海に張り出している山が今日のメインの目的地、鶴原砲台跡のある山、さらに海に張り出している小さな山が岸根鼻砲台跡地のある山です。

公園計画が頓挫して中途半端に開発されたところで終わった岸根鼻砲台跡地。手すりなどが整備されていますが荒れ放題です。僕の仕掛けたキャッシュへ向かいます。

施設はとても綺麗に残っています。後付けされた手前のベンチが朽ちているのに、基本レンガとモルタルで組まれた砲弾庫は100年以上経った今でも人が住めるくらい綺麗なものです。

世間では土下座と言われるやつ。ジオキャッシングの世界ではDGZといいます。あやのすけさんのDGZは可愛いですね。

宮島と江田島の間にある大奈佐島。ここにも砲台跡があるとのこと。無人島なので定期船などはなく、接岸も難しいとか。

宮島。一番高い山が弥山で、そのちょっと下にロープウェイの駅が見えます。普段僕が野宿しているのは画面左端あたりの海岸。

岸根鼻砲台跡を出発して今回のメイン、鶴原砲台跡へ向かいます。先日訪れた際に水害で山上から流れてきた草木が道の上から覆い被さるように道を塞いでいたので、堆積物の状況を踏まえて今回は俺ののこぎりに加えて俺のナタも持参でやってきました。

バイク1台分ギリギリ通れるくらいのトンネル開通。

一応舗装路ですが、アプローチ路は荒れすぎてもう車では走れない状態になっています。MTBなら登れそう。倒木が横たわったりしているので、GROMあたりでギリギリかな。

到着。朝日の差し込む鶴原砲台は、不気味さも少し和らいだ感じ。ここ、曇りの日に一人で来ると結構怖いです。

平成時代のゴミだろう、というようなものが結構散乱しているのですが‥わざわざこんなところに何しにやってきてゴミを撒くんだろうか。

砲床の真下に地下弾薬庫、それが4門並んで設置できるという作業効率の良さそうな恵まれた地形の砲台です。1枚の写真にそれ収めようと思っても、規模が大きいのと荒れているのとで、無理。

一本道を歩いて少し標高が下がったところに、6連アーチの倉庫のようなものがあります。

ちゃんと整備すればまだまだ使えそうなところがすごい。

100年の間にどれだけの、どんな人が訪れたのでしょうか。昭和60年3月にターボ〜〜‥確かにあの時代、車にTURBOってやたら貼ってあったよ、鏡文字で。僕、高校1年生のころ。

さとうよしかずくん、今は何歳なんだろうね。

うちのガレージがこんな空間だったら、ちょっと自慢できるな。

初めてきた時はひとりだったのであんまり長居しませんでしたが、今回は2度目でふたりなのでちょっとじっくりと観察してみました。

天井から垂れている石筍のようなもの、天井上から染みてきた水にモルタルの中の成分が溶かされて伸びたようです。

床側にはそれを受け止めるように伸びた石筍が。これがつながるのにあと何年かかるのでしょうか。100年でこれなら、あと2000年もすればつながりそうですが‥それまでここ、存在するかなあ。

何も無ければただの六連塹壕なのに、一番奥に置いてある三菱の軽自動車、この存在感はとても大きい。
調べてみたら、三菱360バンという1960年代の2サイクルの軽自動車でした。全く同型ではありませんがほぼ同じ型をレストアして乗っている方の記事はこちら。

デラックス。

メーターパネルの形状に特徴があります。シート、薄っ!

これと同じエンンブレムが先のリンク先の写真にもありました。

砲床、倉庫と見つかって、兵舎や観測所がわからなかったのですが、あやのすけさんが観測所を発見。宮島側の海が見渡せたと思われる場所にあります。

テーブル状のものがあるので、テーブルにして廃墟ラータイム。

森に飲まれ始めている早瀬第一砲台跡とはまた一味違った朽ち方の進む鶴原砲台跡。2年前に岸根鼻砲台跡・鶴原砲台跡初めて訪れた際の記事はこちら

山を降りて、以前訪れた際に道が崩れていて先へ進まなかったところへ行ってみると、鹿と思われる動物の頭蓋骨が転がっていました。

どこだかわからない部位の骨も。転がっていたのはなぜかこの2つだけ。

そして、道は相変わらずでした。もう直さないのかな。

お天気がとにかく最高。2月だというのに全然寒くない。だからといって海に潜って海藻を獲るのはどうかと思うけれど‥お仕事なんでしょうね、ご苦労様です。
この写真右上の水平線あたりに、

潜水艦が浮上していました。肉眼では全然分かりませんでしたが、コンデジの望遠撮影で甲板に人がいるのまで見えます。

佐々木製麺店といううどん屋を探してみつけられず、通り過ぎたようなので折り返したら道の下にそれらしい建物が。ここ、どうやって行けばいいのかわからない。

少し移動して、巡洋艦利根記念館。おじゃましまーす‥と思わず言いたくなるような民家風な佇まいの内外。

いろいろとセルフサービス。

利根の煮炊所では、しゃもじの事を「みやじま」と呼んで調理器具として使う以外に、精神注入用として使用される場合もあった‥と婉曲表現されていますが、みやじまでしばきあげたわけですね‥。

豆が島のセルフサービスで巻き放題のソフトクリーム。レバーを離すのは1度限りで巻き足しお断り。容赦無く出てくるソフトクリーム。

ブリブリブリブリ‥匠の技を身につけるのは難しい‥。

お、これならいくらでも巻けるぞ‥と思ったら、コーンの下側が台に当たってしまうので高さの制約があるのね。

これまで追の浦渓谷 丈ノ内展望所という大岩の上の玉ヒュンスポットには何度も行っているくせに、そのすぐ近くにある天狗岩というところには行ったことがありませんでした。こちらは平板なスペースも広くて寛ぎやすいスペースです。
今この写真見て思いましたが、この足元の岩、侵食されてはいますが巨大な一枚岩ですね。

平板なところもありますが、突起っぽい岩もあって、その先は落ちたら死ぬでの世界。

早瀬大橋が見下ろせて、とても気分爽快な場所にキャッシュを仕掛けておきました。

ホント良いところ。ご飯食べるためだけででもまた来てみたい。

本州側へ戻ってきて高烏砲台跡。

ここは砲台跡というよりは、平清盛関係の公園という色が濃い。

清盛公が立った岩そっちのけで、怪しいところに手を突っ込むあやのすけさん。さすが、一発ツモ。

休山の展望台からは奇跡の風景が‥!なんと松山市街の建物が見えるのです。写真の中央に船が行き交っていますが、広島-松山フェリーです。こうしてみると、音頭の瀬戸を抜けたあと一直線で2時間かけて松山へ向かって行くんですねというのがよく分かります。

水平線の向こうに見えるのが四国の山々。石鎚、瓶が森だけでなく、剣山まで見えました。意外と近いんじゃないかと勘違いしてしまいそう。

休山の展望台で気になったのが、「瀬戸内海大型水理模型」という表示。調べてみると、

「専門職人が手作りで施工精度3mm(現地換算約50cm)の厳しい条件で仕上げた三次元海底地形」「1潮汐(満潮-干潮-満潮)は12時間25分であるが模型では約5分で再現される。これを連続して1年間分を実験すれば模型では約55時間かかり、実験準備等を含めると約3日間模型で実験作業を行うことになる。この水理模型の潮汐潮流の精度を極限まで満すために約5年間の調整を行い、再現性を99%まで高めた。」

など、東京ドーム1個分の広さに瀬戸内の特に水面下の地形を精巧に再現して、コンピュータによるシミュレートができない時代に潮汐や河川の流入による水理を調べるのに利用したようです。こちらに建築中の写真が紹介されていて、なかなか胸がときめきます。平日見学ができていたようですが、もうその使命を終えたので使っていないのかな?建物自体はまだ残っていました。

こちらも立ち寄ってみました。

ついでに灰ヶ峰展望台。もう、大きく広がる風景が箱庭みたい。

安芸灘大橋と、その奥に連なっていく山々はとびしま海道の島の連なりです。こうしてみると島というよりは半島状に大三島方面へ伸びていっているのが良く分かります。

黒瀬から熊野にかけてつながる盆地方面。帰りはこちらへ降りて熊野から海田へ降りたら、呉方面から広島へ夕方帰るのに渋滞が一切なくて快適に走れることが分かりました。

100kmちょっとしか走らないのに、ムッチャクチャ充実した内容の1日。朝イチで船を使っていきなり島スタートという楽しみ方、大型バイクに乗っているとまずやらなかった遊び方です。今回はセローでしたけれど、GROMで見つけた船・橋・島・廃墟巡り遊びのおかげで、身近な地域の楽しみ方がものすごく広がりましたね。

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