GROM 四国の高いところ巡りツーリング 1日目

キョウちんがハンターカブを手に入れ、「キャンプツーリングデビューしたい!」ということで、四国の山へ行くという企画があやのすけさんとの間に立ち上がって僕もそれに誘っていただきました。
10月で気温が低いということと、さらにもしかしたら高地での宿泊ということで、今回は宿泊方法と場所に制約のあるハンモックではなく、超久しぶりのテント泊。機材一式積んでみたところ‥GROMには見るからに荷物たっぷり感‥他の荷物を減らして、テントは収納袋から出して各所にバラして積み込みました。

動きが読めない台風のせいで、四国へ渡るのにどの船が動いてどの船が欠航するのかが全く読めません。「船長が出港30分前に欠航を決める」というせきぜん渡船はアテにせず、比較的頑張って動いている大三島フェリーを利用することにして土曜日の朝6時に広島市内に集合して竹原市の忠海港へ移動です。

このルートで愛媛県へ渡るの、僕は初めて。うちから1時間半ほど走って大三島へ渡るフェリーが30分ほど。そこからしまなみ海道経由で今治へ小一時間です。

途中の大久野島は野生化したウサギの島で人気が出ています。そのせいもあってこの航路はホームページから波止場まで、とにかくウサギデコが至る所に為されています。

大三島にはパパさんがハンターカブで迎えに来てくれていました。

初めてのお賽銭。キョウちん、しまなみ海道はお初なんだそうです。以前赤GROMで僕と一緒にあちこち行っていたように思っていたのに、一緒に走ったのはとびしま海道だったね。自慢の唐草模様のガマ口から50円玉を取り出すところ。

しまなみ海道でだけでも巡りたいところはたくさんあります。今回は四国の高いところ巡りが目的なので、立ち寄るところも程々に‥ということで見近島のキャンプ場。土曜日の朝なので、少なめの5張りほどのテントがありました。

先の九州ツーリングの都井岬で手に入れたトラッカブル、カレーライス。これはジオキャッシュにたまに入っている「トラッカブル」というアイテムで、これを持ってあちこち訪問(visit)したログを上げると持ち主さんにこのトラッカブルが移動した情報が伝わる、という仕組みになっています。そしてあらためてどこか適当なキャッシュに入れて、別の人がまたそれを拾って移動させて‥というモノ。とりあえずvisit。

亀老山にも立ち寄りました。とりあえずvisit。

雨の心配はないけれど雲はご覧の通り。この雲で高いところへ登ってもガスの中、という可能性もあるので、この日標高が1000mを超えるようなところへ行くのはやめて、ここからはそれぞれが訪れたいところへ行こう、ということにしました。宿泊先だけあらかた決めて、僕とあやのすけさん、キョウちんとパパさんの2グループに別れて行動することにしました。

かつての軍都・廣島を守るため、広島湾と外洋を繋ぐ海峡には敵船の通過を防ぐために砲台が各所に設置されていました。ここ数年、僕はその砲台跡や旧陸海軍の施設跡を見つけては巡るのを楽しみのひとつにしています。それらを調べていく中で、来島海峡の小島(おしま)に大変状態の良い砲台などの施設が大量に残っていることを知りました。以来、ずっと訪れてみたいと思っていたのですが、こんな日でこんな場所でこんな行動の自由が与えられたので、これは行ってみるしかないじゃないですか!

というわけで今治の波止浜港。小さな旅客船が待機していました。

波止浜港を10:10に出発して、小島に10:20着。帰りは12:10小島発。施設がどのくらいあるのか詳しく知りません。でも島の大きさからすると2時間弱あれば巡れるんじゃないかと考えていました。往復440円です。

出発!船は滑るように凪の来島海峡を走ります。青空も広がってきてなんか最高に気持ちが良い!あ、写真の小さな島は港から5分の来島。「来島海峡」という名前の由来になっている島は、こんなに小さい島です。

さらに5分で小島に到着です。来島海峡大橋を、普段見慣れない位置からみることができます。本当に大きいですね!

ありがとう!また後で迎えにきてね!
高いところ巡りだったはずなんですけれど、なんだか低いところ巡りになってきました。

港に島内の旧軍施設の案内があります。写真に撮った上でざっくりと頭に叩き込みます。

各施設間の移動時間も記載されていました。合計すると64分なのですが、一巡してきて僕たちは90分かかりました。ここに書かれている時間の合計は単純に各施設間を移動するのにかかる時間です。実際はその場所でキャーキャー言う時間を加味しなくてはなりません。

この島、いろんな種類の木や葉のアーチやトンネルがいろんなスケールでたくさんあるのが印象深かったです。ここも木のトンネルの向こうに、気持ちよさそうな海が覗いて見えます。

探照灯跡。瀬戸内海のこの手の施設は明治末期から大正時代につくられたものがほとんどです。この時代はコンクリート建築が始まったばかりなので、全てをコンクリートで作った施設は非常に少なく、頑強な建物をつくるのに基本的には天然石やレンガを多様する工法になっています。ここの探照灯施設も見た目やスケール感ともに広島湾界隈のものと一緒です。

特に立ち入りに制限があるわけでなく自由に見学できます。内部の探照灯格納庫は内張りがレンガ作りです。

格納庫の上側。一応転落防止の柵が設置してありました。

発電所跡。珍しく木造の屋根が残っている‥と思いましたが屋根だけ妙に新しいので掛け替えたのだと思います。

この時代の建物は柱で建物を支えるのではなく、壁体そのものが建物の形を保つ強度メンバーになっていてそれに梁をかけて屋根を載せるという構造なので、頑丈な壁は残っていても屋根は落ちているという施設跡が多いのです。このように梁や屋根の構造が分かる建物はとても勉強になります。

ハンモックを吊るのにちょうど良い間隔の木立‥。

弾薬庫跡。保存のためにわざわざ誰かが手を入れているものと思われます。各施設の状態が大変良くて驚かされます。広島の地図にも載っていないようなこの手の施設跡は、建物周辺の手入れもされていませんので一帯草ぼーぼーです。

この弾薬庫跡は屋根が落ちていました。壁で建物を支える構造、内部が広く使えて良いですね。

中部砲台跡。海からは直接見えないところに砲座を設置してあります。奥に見えるのは兵舎で、たくさん並んだなかの一番奥のひとつだけが崩れていました。ここも全体的にはとても綺麗に施設が残っています。

北部砲台跡。このあたりは施設の運用が終わってから日本軍の爆撃演習の標的として使用したということで、他の場所と違って結構崩れています。

といっても直撃がなかったのか炸薬を抜いていたのか、植物に呑まれ気味なところもありますが全体的に崩れているわけではなく一部の建物自体はしっかりしていました。

島内の案内板はたくさんあるので迷うことはありません。施設の維持整備状態に比べると看板はもうほとんど読めなくなっているところもあったりするところから、そもそも観光用に一帯を整備をし続けているのではなく、あくまで維持したいのは砲台跡などなんじゃないかという姿勢が見えてきます。

北部砲台の崩れた砲台跡。写真資料によるとこの砲台より海岸側がもっと崩れている様子でした。ここに登っても藪が邪魔をしてうまく見えなさそう。

時折樹間から見える来島海峡大橋が、どれだけ歩いたかの尺度になります。左奥が大島、右側が今治で、奥から来島海峡第一大橋・第二大橋・第三大橋です。正面に馬島が見えますので、直線距離でも第三大橋1本分は歩いたようです。島内の道はウネウネと曲がっているので実際はもっと歩いています。

南側から歩き始めて北部砲台の一番北側、司令塔跡。基礎部分は綺麗な丸ではなく、内側には歯車のような形で凹凸があります。何のためなのか分かりませんでしたが、こういうのは初めてみました。

海岸を歩いて南に戻ります。往路は基本的に施設にワクワク、復路は豪快な橋と海の風景にワクワクするので、退屈することはありません。

この手の船が往来するわけですから、それは高いところに橋がかかることになりますよね。

集落はありますし人も住んでいるます。全体的に昭和の風景が砲台などと一緒に変わらず残っている様子。コンビニありません。車も走っていません。原付は鍵が付けっぱなしでナンバープレートもついていません。

110分間という次の船の時間までの制約と初めての訪問で先が読めないという状況の中で、若干急ぎ気味で施設を散策しました。一巡して港に戻って来るのに約90分。お昼の時間帯はもう1便遅らせても45分後ですから、もう少ししっかりと見学するのが目的ならそれもアリですね。

今治に戻ったところでちょうどお昼になったので、地の物など。

今治から山越えして松山へ。途中拾えるキャッシュを拾いながら進みました。ここは石手寺の裏山の裏にある、僕が5年越しで探している「地下マントラ出口」というキャッシュが設置されている場所です。今回、あやのすけさんがサックリと発見!いや、嬉しかった!スッキリとした気分で地下マントラへGO!もう、すっかり四国低いところ巡りツーリング。

内部はかなりディープでヘヴィーなのですが、あまり詳しく書くと面白くなくなりそうですから、割とどうでも良いところを載せておきますね。

カレーライスをvisitさせておきました。

こちらはお寺側の入り口。大雑把に言うと「大雑把な胎内巡り」です。結構衝撃的。ふふふふ‥さぁ是非中へどうぞ。

アシカレコードのアシカさん宅が近いと思い込んで突撃訪問のご連絡をしました。石川寺からは近いのかと思っていたけれど、それは思い込みで実は結構遠かった‥急ぐ旅でもないのですが暗くなる前にテントを張りたいので、お茶をご馳走になってササっと出発しました。突然凸ってスミマセン、御馳走様でした!

途中雨に降られながら久万高原の千本高原キャンプ場。ここも軽く雨が降り始めていましたが大降りには至らず助かりました。先にパパさんとキョウちんがもう設営済みだったのでその周辺にテントを設営です。

雨がどうなるかわからないので前室のゲートをフライがわりにしました。ランタンスタンドがポールがわりにちょど良い高さなのを発見。小川テントのステイシーST-2は、ソロキャンプで使うには少し大きめが雨が降っても前室でヘリノックスチェアに座って調理できる余裕はとても心強いです。

時折雨がぱらつく中、焚き火を囲んで雑談など。ふと見上げると雲が晴れて満天の空になっていました。ぱっと見て天の川が分かるくらいの満天の空。流れ星もいくつか見えました。

この夜、焚き火台はパパさん持参のコレを使わせていただきました。あやのすけさんが雨で濡れた足を乾かそうと靴を脱いで焚き火台の下に足を突っ込んで、あっはぁ〜んになっているので僕も真似してみました。これは‥コタツ!輻射熱でじわじわと温まって、靴に残っていた水分も綺麗さっぱり。試しに靴を脱いでみたら、コレはけしからん、あっはぁ〜んです。とても良いです。オススメ。

あやのすけさん、ここで余市を持ち出してきました。僕は氷と冷えた炭酸水を提供して酔いに追い討ちをかけるハイボールに。やー美味かった!

就寝後、夜中2回ほど外に出てみました。空に星は見えませんでした。朝焼けも期待できそうもないな‥と変な話ですが安心して眠りにつきました。テント泊、防寒グッズを投入するまでもなく、この夜は全く寒くありませんでした。

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