2泊3日実家の旅 2日目

自宅の近くのコーヒー屋で買ってきた豆を実家へのお土産に持って帰ったのだけれど、実家には「コーヒーミルがない」と。

「ああ、そういえばおじいさん(母の亡くなった父)が使っていたミルがあるかも」とガサガサしたら、ナショナルと書かれた箱入りのミルが出てきました。

こういういろんなタイムカプセルがあるところはさすが実家。

午前中だけでも東京へ行ってみようと家から車で10分ほどの駅まで母に送ってもらって、車が去っていったところで携帯を実家に忘れてきたことに気がつきました。

東京へ行くのに携帯なしか。現金あるし、コンパクトデジカメも持っているし、なんとかなるか。むしろ携帯どころかインターネットもなかった80年代の高校生活を追想できて面白そうじゃないか。東京で携帯がないとどれほど不便か知るのも面白そうだし。

ということで、上野。

ロダンのカレーの市民って、これまで「カレーの市民」というひと塊で捉えていたけれど、この日は雨だからか、写真を撮ろうと携帯の画面越しに見ることがないからか、自分の中で思っていた塊じゃなくて「一人ひとりが集まってできた群像」を強く感じました。

それぞれが全体の1/6じゃなくて、1×6に見えるというか。これは面白いぞ。

考える人も、アイコニックな塊として捉えていたけれど、自分が知っているロダンの作品の特徴と言える肉感表現以上に強く人体を感じます。自分の目で見る時間が長いからか?面白い。

足の指、右足はグッと握り込み、左足はリラックスして伸びている。

このポーズのまま固まったようにじっとして考えている人、の瞬間を表現したのではなく、ここを見る限り「正答へ思い至らず、足の指を動かしてモジモジしながら考える人」の、瞬間ではなく考え中の時間そのものを表したようにも見える。大変面白い。

西洋美術館を通ったのはロダンの作品が見たかったわけじゃなくて、科博方面への斜めショートカットだったんだけれどね。

若い頃はすることがなく行くところもなかったらとりあえず科学博物館、だったけれど、今回は国立博物館へ。何でかな、お年頃なのかな。

小学生の頃、僕は展示物の説明文は全て読まないと気が済まない子供だったですが、初めてそれができずに負けたのが国立科学博物館です。館内広すぎ、展示物多すぎ。

時間に余裕のある東京観光で、特別することがないなら国立博物館を訪れるのが良いです。知っている物の本物に出会える。まず間違いない。

今回は時間に余裕があるので、本館だけでなく平成館・東洋館・法隆寺宝物館・黒田記念館も完全制覇を目指します。まだ一度の訪問で全館制覇をしたことが1回もありません。

博物館なのでとりあえず石器時代から近代までの遺物や作品を何でも展示してあるのですが、僕は絵画鑑賞目的で本館の2階だけ狙って来ることが多かったです。

これ、着物の絵の袖の柄なんですが‥もうこれだけでもやられちゃいます。蜘蛛の巣とか、糸のかけ方なんてまるで嘘なのに、蜘蛛の巣っぽいこの筆運び。だいたい着物の柄に蜘蛛の巣を選ぶか、って話です。

昔は工芸にはあまり興味がありませんでした。けれど、漆工芸とかこの過剰に施された絵柄の箱を手作業で仕上げるというのは‥3Dプリンター世代としてはため息が出てしまいます。

扇子を配するセンス、どころか扇子をモチーフにするセンス。また扇子ごとに表情の違う絵柄を配するセンス。これを受け取って使っていた人は、そのセンスにまで感じ入るセンスを持っていたのだろうか。

つい10日ほど前、長崎を巡っていたので「キリシタン関係遺品の保存と研究」特集のコーナーに見入ってしまいました。踏み絵といっても一様ではなく、その形態そのものにも歴史があることを知れました。

教科書に載っている銅鏡もついつい青銅器文化のひとつのアイコンとして捉えてしまいますが、教科書の小さな写真ではなく現物をしっかりと見てみると、その紋様の面白さに気が付かされます。

幾何的な矩形と流紋のようなオーガニックな模様が組み合わせてあって、昔の人のリズム感や品に脱帽してしまう。

4世紀〜5世紀の刀剣の柄に収まる茎(なかご)に描かれた絵の、なんとコミカルなことか。ウロコとか頑張って表現しようとする気持ちが伝わってくる。

裏側の、馬。つむじがまた、可愛い表現であるとともに、平板な表現にならず馬の筋肉や量感をなんとかして表そうという気持ちが見えてくる。

小判と一分金。一分金4枚で小判1枚分と書いてありました。

アメリカの25セントコインって、どうしてドルの1/4?って思っていましたが、日本にも江戸時代にクオーター的な発想があったのですね。

本物と同じ金属の含有配分でつくった大判のレプリカ。金が含まれているのでどのくらい重いのかと思ったら、それほどでもなかった。同じ大きさならステンレスの方が重いんじゃないか、という感じ。

これは触って知る国立博物館館内案内。金属や陶器や木や繊維など、触感の違う素材を指で触ることで館内の配置を知るための案内。視覚障害者向けというわけでなく、博物館に飽きてしまわないよう、子供へ対する配慮なのかな。

ムスメに写真を送ったら、「パズルのピースにフクロウの顔がついとるみたい」との感想が返ってきた。

手前の傾斜した板は何なんだろう。レフ版か?

サバゲー向きな館内構造。

抱一。

今回、嬉しくなるような絵画作品が思っていたほど多くなかった中、坂井抱一の屏風にはため息が出ました。金地が見事に空間だわ。

「流水四季草花図屏風」

こういうの、タイトルが先で絵柄を考えるのか、絵を描いてタイトルを考えるのか‥四季の植物の移ろいが川の流れとともに描かれています。

シュッシュと伸びた黒い葉は、水を引いたところに濃墨をちょんちょんと落として滲ませたような表現、要するにほぼ厚みのない表現なのに対して、その後ろになっている白菊や芙蓉は胡粉や緑青の岩絵の具を使った物質的な厚みのある表現なのです。厚みの上にシュッシュとした葉を描いたのではなく、葉の部分を避けて厚塗りしあるのですが、葉の表現って一発描きみたいな勢いを感じるし、なかなか描く手順を考えると戦略的というかゴールありきで計画的に描かれているのに、自然な表現なんですね。

「琳派」といっても同じ系統の人のつながりなのではなく、タイプの違う天才の流れというなかで、俵屋宗達の天真爛漫な勢いで描くのとは違ったタイプの天の才に恵まれた凄みが坂井抱一の作品にはあります。上手すぎてため息。

上手いから良いか凄いかというと、風神雷神図屏風のように同じモチーフを描いても俵屋宗達の作品の方が圧倒的に野生というか自然さという点において魅力を感じる。坂井抱一の風神雷神図は「つまんない」。坂井抱一はこの流水四季草花図屏風のように強烈に力強い画面構成力と緻密な自然描写のギャップで魅せる絵においてその才が輝く作家さんだと思う。

博物館を出てずっしりと重さを感じ圧倒されるのは、ここに収蔵・展示されている作品群を作るために人がかけた時間、いやいやそれを作ることができるようになるために修練したり伝播したりするために人がかけた時間の膨大さです。

本館の続きで平成館は巡ったけれど、今回ももうすでに満腹で全館制覇できなかった。丸一日という時間的な余裕と、体力と気力、全て揃わないと、国立博物館全館制覇は無理です。

非常に寒い日でしたけれど、上野の桜と冬の東京を両方楽しめたと思えばラッキーか。

広島ではあまり見ない、春菊の天ぷらのそば。ツユは関東らしく色濃く味も濃いです。

広島でポッドキャストの落語番組を聞くようになってから、東京の演芸場にもいつか行ってみたいと思っていました。上野なんて数えられないくらい訪れているのに、東京に残る演芸場のひとつ、鈴本演芸場へ足を運んだことはありませんでした。

この日は携帯を持っていないので街のタッチパネルの案内板で演芸場の場所を探してみましたが、見つかりません。中央通り沿いなのは間違いないはずなのだけれど、もう少し御徒町寄りだったっけ?と後ろを振り返ると、

案内板の目の前が演芸場でした。

作法も何も分からないので、チケットを買って言われるがままに奥へ進んで、3階まで登れる長いエスカレータに乗りました。

演芸場内に入ってびっくり、なんか目の前の席の背もたれについている小テーブルを立てて、ビールを載せているどころか日本酒を瓶で持ち込んでコップに注いで飲んでいる方が少なからず居る。3時間半と長丁場の昼の部を楽しみ尽くすためなのか、つまみもふんだんに持ち込んでいる。ほぼほぼ皆さんなにか飲み食いできるものを持ち込んでいる。他の人の迷惑にならなければ気軽に飲食しても良いみたい。

僕も仲入り(10分ほどの休憩時間。中入りと書かない)の時に売店で牛乳もなかを買ってみました。周りに倣って何か食べながら見てみたいじゃない?

ちょっと相撲を見るのと似てますね。相撲もマス席で弁当食べたりしているじゃないですか。

生で見る落語や演芸は、高座と客席の近さから表情や息遣いやしぐさの一つひとつまで見て取れるし、逆にそれで客を引き込んでいくという技も見受けられました。こういうのはテレビやポッドキャストからでは伝わらないところです。

途中退出するつもりで見始めたのに、結局終演まで見てしまった。最後は演者の皆さんが揃って高座で踊るんですね。ドリフのエンヤーコーラショはこれに端を発していたのだろうかと思います。。

秋葉原方面へ歩いている途中、目の端に一瞬だけとまった目立たない看板を見逃しませんでした。コアな専門店ともいえる店が‥さすが東京。

さらに適当に歩いているとまた路地にある看板が目の端に入ってきました。

学生時代や、社会人になってからも非常に愛用して大変お世話になっていた筆を作っている筆屋さん、宮内不朽堂さん。こんな路地の途中みたいなところにあるんですね。全く店舗っぽくないし。

アキバへ向かったのは、ここが見たかったから。

アニメ/ゲーム、シュタインズ・ゲートのメイクイーンニャンニャンのモデルになった建物。壁側面のライト、1階のガラス張りの様子、床置きのサインボードまでそっくり。

秋葉原の、この妙に高さの揃ったビルの並ぶ中央通りとか、まさに運命石の扉を感じる。いや、ゲームやアニメを見た人以外は感じない。

ということで、主に国立博物館と落語鑑賞で1日が終わってしまった東京観光ですが、前々から足を運びたかったところに時間をかけてどっぷりと浸ることができて、非常に贅沢な1日になりました。

→3日目につづく

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