「頭が悪い」とはどういうことかと尋ねると、テストの点数が低い、公式を覚えられない、漢字をすぐ忘れる──そんな「勉強ができない」ということを「頭が悪い」と評する人は少なくない。でも、それらあくまで“結果”にすぎない。
では、本当に「頭が悪い」とはどういうことなのだろうか。
電球を思い浮かべてみてほしい。もし点かない電球があれば、それは単なる不良品だ。モーターが回らないなら、それも故障だ。ところが「頭が悪い」とされる人は、そういう意味で“壊れている”わけではない。光らない電球や回らないモーターのように使えない存在では決してない。
むしろ問題は、その電球やモーターが「何のために光るのか」「何のために回るのか」を理解していないことにある。目的や意味を知らないまま点灯し、回転する。自分がどこに向かっているのか、何のために努力しているのかを考えない。だから成果も曖昧で、時には「光っても意味がない」「回っても役に立たない」と感じ、光ることや回ること自体をやめてしまうことすらある。
つまり、「頭が悪い」とは能力の欠如ではなく、方向や目的を見定める揚力の欠如である。光る力も、回る力も備わっている。けれど、そのエネルギーがどこに向かうべきかを考えないがために、無駄にエネルギーを使ってみたり動きが止まったりする。
逆に「頭がいい」とは、勉強ができることではなく、「自分の力を何に活かすか」を理解している状態だ。電球ならば、暗闇を照らす場を知っている。モーターならば、必要とされる機械を動かす役割を自覚している。その意味を見つけたとき、学びや努力は本人が思っている以上に自然に積み重なり、結果として“勉強ができる”姿に結びついていく。
だから、私たちが本当に考えるべきは「勉強ができるかどうか」ではなく、「何のために学ぶのか」「自分の力をどこに使うのか」という問いだ。電球が光る理由、モーターが回る意味を探し続けることこそ、僕たちに必要な“頭の良さ”なのだろう。



コメントを残す