正欲

正欲 朝井リョウ / 新潮社

かつてアニメはサブカルチャーの象徴だったが、いまやサブカル界のメインカルチャーである。いや、もうサブカル界にすら属していないのかもしれない。アニメファンが人目を避けるように生きる必要は、もうなくなったといえる。

似たようなことは、性的マイノリティにも起きている。今では「マイノリティ界のマジョリティ」としての立場を得ており、公共の場には男子トイレでも女子トイレでもないトイレが設けられ、アンケートの性別欄にも男女以外の選択肢が並ぶようになった。社会の側が、マイノリティに合わせる時代になっているのだ。

これまでのマイノリティは、マイノリティであるがゆえに、同じ性質や傾向を持つ者同士が出会う機会にも恵まれず、個々が孤立した存在として社会の中に散らばっていた。

この本は、「性的」ではなく「性癖的」マイノリティが、マジョリティに理解されないまま抱える苦悩を描いた物語である。当事者の側から、そして彼らを包む社会の側から、それぞれの登場人物の視点で丁寧に紡がれている。


それはそれとして。

本書の冒頭で「人の行動は、つまるところすべて明日を無事に生きるための行動である」と説かれていた。食事も、学習も、人付き合いも――すべては明日の自分が無事に生きるための行為だというのだ。

この言葉に、僕はかなりの衝撃を受けた。

僕はこれまで、人が学ぶのは、最期に「ああ、良い人生だったな」と思って逝くためだと思っていた。ただ同時に、「どうせ死ぬ」「諸行無常」「盛者必衰」といった考えが深く身に染みついており、どれほど徳を積もうと技を磨こうと、結局は無に帰す――そう思うがゆえに、仕事も遊びも人付き合いも、いつも八割ほどの力加減で関わってきた。

「終わりが来ると分かっているから積み上げない」という僕の姿勢に対し、「明日を無事に生きるために積み上げる」という考え方は、とても新鮮だった。思い出すのは、ある百歳近いおばあさんの言葉だ。

「死んだ先のことなんか分からないんだから、分からないことを考えても仕方ない」

と笑って、日々を元気に生きていた。この本の冒頭で受けた衝撃は、あのとき感じたものに近い。全くもって、その通りだと思う。

自分の中にあるネガティブさを見直す、良いきっかけになる一冊だった。

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