- 2007-10-26 (金) 17:36
- 思
以前、季節に匂いがあると書きました。
ダーリンもキンモクセイの香りについて触れていました(いま思い出しましたが、キンモクセイの香りだと教えてしまったのは、同僚時代の私でした)。
教材研究をしていて、三浦綾子さんの「孤独のとなり」の抜粋を読みました。庭に芽を出したカボチャを収穫したことを通じて、秋という季節に対する自分の偏見に気づいた、という文章です。
「月見れば千々にものこそ悲しけれ 我が身ひとつの秋にはあらねど」
(月を見ていると、あれこれともの悲しい思いがつのってくる。
なにも自分一人にだけ来た秋ではないのだけれど。)
《古今・秋上・193・大江千里》
「さびしさに宿を立ち出でて眺むれば いづくも同じ秋の夕暮れ」
(あまりのさびしさにに耐えかねて、わが庵を出てあたりを眺めわたすと、
どこも同じようにさびしさにつつまれた秋の夕暮れであるよ。)
《後拾遺・秋上・333・良選法師》
彼女は古歌にあるように、秋は寂しくはかないもの、と思っていらしたそうです。それが、収穫の喜びを知り、まさしく「我が身ひとつの秋にはあらねど」だとわかった、と。
みんなそれぞれに、秋を感じているのでしょう。
だから、「○○の秋」がたくさんあるのかもしれませんね。