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三十路日記 2003

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■2003年12月某日 いまどきの話■

学校に来ている民間の人を前に
違法コピーのソフトを使っている話を
恥じらいもなくする教員ってどう思いますか?
それが権利侵害に当たっていることをお話しても
その上更にOSも違法コピー品だからなぁ‥と
自慢げに話す教員をどう思いますか?

悪いことをするなと諭すつもりは更々ないのですが、
速度超過や立ちションをしていることを
自慢げに話している姿に似ていると感じます。
人にモノを教える立場の者が
現代的な肌感覚を持たずに、
そのようなことを口にすることに
はばかりを感じないことに憤りを感じるのです。



■2003年12月某日 おじさん■

公園で銀杏を拾っていたら、小学生に
「おじさーん、なにやってるのぉぉ」と
声をかけられました。

おじさんかぁ‥おにいさんと呼ばれていたのは
いつごろまでだったんだろう。



■2003年12月某日 説教■

自分が教員になったら絶対に説教せずに進行してみせると
自信をもっていたのに、授業の補助中説教をしてしまいました。
1時間で作品をつくる時間でふらふら歩き回って
他人の制作を邪魔している子どもに、です。
説教の論旨は
「興味がもてなければやらなくてもいい。
ただし、他の興味を持っている人の弊害にならないように
自分自身で責任を持ってサボれ」
というものです。

自由を主張する権利と、それによる侵害を避ける権利は
侵害は受動的なものなので避けようがないが、
主張は(その行動しか表現のしようがない場合を除き)能動的な行為なので、
別の手法が考えられれば侵害を避けることができるわけで、
圧倒的に自由主張の方が不利なのです。

といった話を中学1年生にしてもしかたがないのでしませんが、
もう少し長くその生徒と関わっていられれば
伝えたいことも伝わったかもなぁ、と
悔しい思いの説教でした。



■2003年11月某日 東京ディズニーランド III■

今回初めて子連れで行きました。
ディズニーランドは大人も楽しめますが、
いすに座ると自分の胸の高さあたりに目線のくる子供の目の高さでみてみると、
子供向けのアトラクションでも視界が悪くて
周囲で何が起こっているかわからないアトラクションが結構あります。
あそこは大人も楽しめるのではなく、大人が楽しむところなのか?と
思ってしまうところ。



■2003年11月某日 東京ディズニーランド II■

今回は10年ぶりくらいの東京ディズニーランドでした。
10年前からあるものとこの10年にできたものを乗り比べてみて、
一番驚いたことは、10年前の乗り物系アトラクションはお化け屋敷の延長で、
陳列してあるものを見て回るだけという感じですが、
最近のアトラクションはストーリーの中に「体感」が織り込まれていて、
一つのアトラクションを終えると一つの映画を見終わったような感じでした。
「スプラッシュマウンテン」と「プーさんのハニーハント」、
大変巧妙に練られた作りだと思いました。



■2003年11月某日 東京ディズニーランド■

この歳になると、夢も魔法も自分の力で紡ぎ出すものと
少々醒めた気持ちで訪れたのですが、
ちょうどクリスマスと20周年が重なって、
クリスマスパレードでは雪の演出に、20周年パレードではシャボン玉の演出に
それと楽しそうに歌いながらパレードしている皆さんに
やられてしまいジーンとくるものがありました。
いつまでも夢と魔法の王国であってほしいです。



■2003年11月某日 MacOS v10.3■

Panther、使ってみました。
驚くほど使いやすくなっています。
ものすごく直感的です。
しばらく使った後にWindowsXPを使うと
硬くてペラペラして気持ち悪く感じるくらい
インターフェースも美しくて自然で良い感じ。
久しぶりにOSに感動したなぁ。

OS10.1から10.2への進化も劇的でしたが、
今回はこれ以上だと思います。



■2003年11月某日 日展■

ものすごく久しぶりに大きな団体展を見に行きました。
これまで日展の日本画は一部の作家さんしか興味がなかったのですが、
概ね4年ぶりに見る日展の日本画には驚きました。
なんだか現代的になっていました。創画会寄りになっている感じ。
若い作家さんは絵づくりだけでなくせっかく並べてもらっている古い作家さんの
工芸品的な良さもうまく自分のものと比較して取り入れられれば良いですね。
古い作家さんは絵づくりも絵肌づくりも
思わず巧いっと口の端から漏れてしまいそうな作品を並べていて流石だと思います。

土屋禮一さんは大学時代の先生です。
先生の近作を今でもスゴイと思えるのはとても幸せなことだと思います。



■2003年11月某日 減らしていくこと■

たまに
「どうやったらバイクを速く走らせることができますか」
という質問を受けます。
これに対して決定的な答えはありませんが、自分なりの回答は
「何も余計なことをしないことです」
と答えます。

バイクは自然の摂理に従って走って曲がって停まるので、
摂理に反したことをしないことが一番安全で速く走れる方法だということは
ハズレではないはずです。

この「余計なことをしない」「減らしていく」という発想が僕は好きで、
世の中ほとんどすべてのことは減らし始めることができてはじめて
その道のプロに1歩近づいたといえると考えています。



■2003年10月某日 天才夫婦■

温泉旅館に何人かと泊まって酒の席でのこと。
内風呂から外風呂へ移動するのに
腰にタオルを巻いただけで歩いていたら女性陣に見つかったとかいうことで、
腰タオルで歩いて良い悪いの談義になりました。
そのときある奥様が一言、
「『ここではきものをぬいでください』って書いてませんでした?」と。
そこへすかさず旦那の突っ込み
「えーとっくついてるねぇ」と。
このタイミングでそれがでるか?と頭のいい人たちに感心しました。



■2003年10月某日 黙察■

うちの近所では4、5件程無線LANを使っているようで、
ESS-IDをいくつか確認することができます。
昨日ひょんなことからそのうちの一つに接続してしまいました。
そのネットワークは共有ファイル丸見えで
ルーターにパスワードもかかっていません。

いまどき珍しい話ではないのですが、相当ドキドキしました。
外から丸見えのマジックミラーでできた家です。
セキュリティが弱いとこういう立場になってしまうのか、と
自宅のセキュリティを考えなおしました。

こちらが侵入されているのをしらないまま
いつまでも黙って観察されるというのは、
気持ち悪すぎます。



■2003年10月某日 コーヒーの香り■

出勤時間のある時間帯は、
バイク通勤の途中にあるアサヒ飲料の工場付近は
コーヒーの匂いがします。
コーヒーの楽しみの半分以上は香りだと思うので、
少しだけ得した気分です。

ところが先日夜の23時くらいにそこを通ったら
コーヒーの匂いが。
同じ匂いのはずなのに
この時間だとありがたみが全くありません。



■2003年10月某日 生命尊重■

実は虫を殺せません。
殺さざるを得ない状況のときも「ごめんねごめんね」と何度心の中で唱えながら
気持ちの悪い思いをしながらです。
動物愛護精神とかそういうつもりはこれっぽっちもなく、
強いて言うなら生命尊重精神かな。

今朝の読売新聞に
「どうやって直すか分からないものを壊し続けるのはやめてください」
と環境サミットで訴えたカナダの12歳の少女の話が載っていました。
まさしくその考えに近いです。



■2003年9月某日 秋の匂い■

毎年この時期になると、唐突に外の空気に独特の匂いが加わる日があります。
バイクで流していると 徒歩や車の移動以上にその香りの濃淡に気づきます。
人の会話からそれが何の匂いかはうすうす知っては居るのですが、
決定的にコレだ!という名称は積極的に知らないようにしています。
僕にとっては次の季節を知らせてくれる匂いです。

世間ではその香りの芳香剤を売っていたりしますが、
そんなものを身近に置いたら1年のうちのこの時期だけしか感じられない
秋の訪れを発見する感動が薄れてしまうようで
もったいなくてとても自分の身の回りには置けません。



■2003年8月某日 直感的な喜び■

新しいバイクを買いました。
今まで持っていたスタイルに対する見栄や、
メーカーに対する思い込みなどをできるだけ捨てて
これに乗れば絶対に楽しいだろう、と思える車種にしました。

乗り換えてみて
今まで外に出て行くために羽織る服から、
自分の領域で自分の時間を快適に過ごすための服に着替えた感じです。

買って半月が過ぎますが、
走らせる喜びや自分のために改良するためにはどうすればよいのか考える喜びなど
昔バイクに乗り始めたころによく感じていた懐かしい感覚が蘇り
熱は冷めるどころか、日増しに熱くなっていきます。

直感的な喜びは素直な気持ちの中からしか
生まれてこないと実感するところ。



■2003年8月某日 夢■

集団討議試験会場でのこと。
「ときめきに」ついての話が派生して
人生の目標や生き方の話になりました。

僕の人生の目標は「自分の価値観を後世に残して死ぬこと」と話をしたところ、
「私は『やりたいことをひとつだけ残して死ぬこと』が理想です」といわれる女性が居ました。

確かに、やりたいことを生きているうちにすべてやりつくしてしまったら、
その後の人生の目標はなくなります。

常にやりたいことをひとつ以上持ち続けて生き、
たまたま亡くなるときにひとつだけやりたいことをやり残して死ぬことは 、
夢のほとんどをやりつくした上で、夢をもったまま死ねるのです。

賢い話だなぁと思って素直に感心しました。



■2003年8月某日 経験■

「これからは『経験』がじゃまをする時代だ」

という意味のある言葉に出会いました。



■2003年8月某日 訃報■

ジムカーナ仲間が亡くなりました。
年に10回も顔を合わさないような仲でも、
趣味が同じベクトルにあるということは普通の付き合い以上に
厚い付き合いになるようです。

訃報を耳にして、ネット上の情報を探しまくったところ、
ご本人の人柄をしのばせる情報があれこれみつかり
ますます悲しくなりました。

彼の死から学ぶことは
「人が亡くなることは悲しいことです」という
それ以外のなにものでもありません。



■2003年8月某日 プライド■

プライドにはお金をかけてよいと思うのです。
ただ、かけてよいのは内向きのプライド。
例えば、 良い仕事をするために、
材料や道具にお金をかけたりするのは
必然だと思います。

かっこ悪いのは外向きのプライドに
お金をかけること。
「自尊心」と訳さずに「見栄」と訳される方ね。



■2003年8月某日 チャンネルの切替■

毎日往復102kmの通学をしています。
走行条件が毎日同じなので、実験をしようと、
アイドリングストップに加えて、クラッチを切った惰性走行も徹底したら、
平素18km/lのところが23.9km/lと
燃費が大幅に伸びました。

何よりも良かったことは、
走る目的が「燃費向上」に変わることで、
これまで漠然と「より早く着こう」という思いだけで
飛ばしまくっていたのが軽減されたこと。



■2003年8月某日 霞■

自分が望む走りをできるバイクを買うということは
新しい物を買うという喜びだけでなく、
数値や物質で説明できない
気持ちよさを手に入れる悦びも含みます。

霞を食って生きていけない人には
それが分からないでしょう。



■2003年8月某日 単位■

資格取得のために某大学のスクーリングに通っています。
教育関係の資格のため、まわりも現職の教員の方が多いのですが、
驚いたことに、口をそろえて言うことは
「単位が取れればいい」ということ。

新しいジャンルに挑戦しているわけですから、
最低限のラインは超えなくてはという気持ちはある意味前向きで大切でしょうが、
教える立場の方がそれでは、教わる立場の者はやりきれないものがあるのではないでしょうか。



■2003年7月某日 主体の在る位置■

資格取得のために通信過程の大学でスクーリング。

通信過程の性格上、参加者のスキルもさまざまなのですが、
最初の授業は、HTMLを初めて始める人にも全く「教えない」姿勢で
うまくいかない人の揚げ足とりばかりしている先生の授業でした。
自分は3日の課題を半日で終えて、エクセルの問題をもらったのですが、
どうやらそのこと自体、その先生が言うには
「私は君に必要以上の課題を与えているんだ。余分に働いているのだ」とのこと。

受講生が身銭をはたいて、時間もつくって受講しているのに、
授業内容もそれに応えるものとはとてもいえないので
二日目に大学の事務へ訴えてみたのですが、
どうやらその先生は大教授のようで、事務側は教授を擁護。
それでも事務を交えて教授と三者面談をすると、最初は黙って聞いていた事務の方も
5分もしたら、こちらの擁護にまわってくれました。

そのくらい滅茶苦茶な教授でした。

授業二日目の朝、受講生の方全員に
「授業内容は改善の余地があると思いますか?」とたずねたところ
過半数が挙手された、という旨をお伝えしたところ、
そうとう癇に障ったようで、「何で君がそんなことをするのだ!」と激憤されていましたが、
それが効いたのか、三者面談が終わった後は授業内容が豹変して
指導して回る授業にかわりました。
(内容はかなり非常識で現代的ではないことを言われていましたが)。

僕自身は逆恨みをかったのか、その後指導は一切していただけませんでしたが、
全員にとっては悪くない方向へ向かったのではないかと思います。

学生主体で物事を考えないということが
授業を受ける側にとってどれだけ辛いことか、
心に染みる出来事でした。



■2003年7月某日 ヒロシマ■

13年ぶりに平和記念館へ行ってみました。

原爆投下による被害を正確に確認するために、
アメリカ軍は投下3ヶ月前の5月頃から、
広島には通常爆撃をしなかったそうです。

それを読んだときに、何に流しているのか自分でも分からない涙が出てきました。
なんてひどい人たちなんだ、と。

8月6日については、これまでどちらかというと門外漢でしたが、
これを機に考え直してみます。

余談ですが‥
いつも思うことは、
広島って、核実験については過敏に反応しますが、
他の種類の人が死ぬことについての反応は「普通」だと思います。
気持ちは分からなくもありませんが、
多くの人が不幸になる行為やその可能性のある行為すべてを
憎むべきだといつも思います。



■2003年7月某日 広島■

二泊三日で広島に戻って、いろいろな人に会いました。
帰りのバスでどうして広島を面白いと感じるのかを振り返ってみたところ‥
起業したり、海外留学したり、作家活動に頑張っていたりと、
積極的に生きている知り合いが身近なところに
たくさん居るからだ、ということに気がつきました。



■2003年7月某日 自学自習■

美術にまじめに取り組むということは、自発的に勉強を始めるということです。

だって分からないことだらけだもの。答えがないんだから。

いや別に、美術に限った話じゃないのです。
入口はなんでもいいのです。

「美術」という部分は適宜置き換えてお読みください。



■2003年7月某日 罰則■

12歳の男子中学生が補導された長崎市の男児誘拐殺人事件を受け、
14歳以上とされる刑事罰の対象年齢について森山法相は
「3年前に(少年法改正で16歳から)引き下げてまだ日が経っていない。
14歳は諸外国と比べてもあまり違いはない」と述べて
引き下げを否定したそうです。

日が経っていないことも、諸外国と比べることも
言い訳としては頭にくるくらい頭の悪い発言で、
これっぽっちも説得力がありませんが、続けて
「子どもをとりまく環境整備の面で、
きめ細かく対処すべきではないか」と述べたそうです。

僕は何か起こったとき、又は起こる可能性があるときに
罰則規定を設けて対処するという発想が大嫌いです。

根本的に問題が解決するわけではなく、
また、管理される側の主体性を殺いでいるだけに思えるからです。

罰則について考えるよりも、
本当に子どもをとりまく環境を考えないと、
教育の面で現状維持では何も変わらない。

せめて罰則を設けるなら、
そのような子どもをつくってしまった人たちを
罰する仕組みを設けてくれ。

(もしくは子どもが補導されたら親も教師も連帯責任、という法律とかね。)



■2003年7月某日 雨■

仕事中窓の外を見ると、森を背景にものすごく肌理の細かい雨が
フワフワとサーとの中間位の勢いで降っていました。
透明感のある膜を窓の外に軽く被せたようで
なんともいえない感覚。

品がない僕の脳みそは、
風景の美しさにも感動しましたが、
そのことよりも雨に見入ることもあるんだなぁという
事実に感心した割合の方が大きかったようです。



■2003年7月某日 理不尽なこと■

一番問題な人が、問題を問題と思っていないことが問題。
問題な当人にとっては問題と思っていないことはとってもスマートな考えでも
端から見ると、とっても理不尽で迷惑。



■2003年7月某日 知識量■

1日100回も情報検索をするような生活をしていると、
試験などで個人の知識量を問うたところで、あまり意味のないことだと
よく思うことがあります。

1時間程度の筆記試験で問える個人の断片的な情報量を確認したところで、
あまり意味がないよなぁ、と特に感じます。

これからはむしろ、解答できないような難問を用意して、
どうやって情報検索しながら問題解決していくかを
問う試験の方が実用的でしょう。

世の中、答えがあらかじめある問題よりも、答えがない問題の方が
多くて重要なんですから。



■2003年7月某日 人が死ぬこと■

尾道でまた公教育関係者が自殺。
先月の三十路日記で、「殺人者に殺される」のと「予期せぬな事故で死ぬ」のとでは
予期せぬ事故のほうが、自分を殺す原因が「運」に近いので、
そちらのほうが不幸だと考えましたが、
その亡くなり方と、
今回の自殺事件のように、これだと物理的に特定できない要因に
思い悩んでじわじわと自分を追い詰め
自殺してしまうのとでは、
同じ人が死ぬことだとしても当事者にとっては
後者の方が精神的な苦しみで終わる人生な分だけ
不幸な事件だと感じてしまいました。
(もちろんこれは、人が死亡するということに対して
重みの違いをつけようという考えではありません)



■2003年7月某日 芸術の定義■

いろいろ考えてシンプルにした結果、
僕の中での芸術の定義は「新しい価値観の創造」に落ち着いています。

イギリスの教育家、ハーバート・リードは
「芸術を持たない人間、芸術に関与しない文明は破滅に陥る」
と述べていますが、
創作的な活動を行えなくなったらオシマイってことですね。

その場で足踏みをし続けるような消費生活を続けても
何も生み出さないし何も意味がない。



■2003年7月某日 理想の教師像■

生徒を物事の判断基準に置く人。
生徒の個性や持ち味を理解し伸ばせる人。
そのために何をすればよいか常に自問して行動している人。

美術大学予備校で仕事をしていた頃の同僚は
全員そのような方でしたので、それが当然だと思っていました。
それが今では理想の教師像‥。



■2003年7月某日 目指すもの■

予備校講師時代によく感じたのは、
高校生の段階で進路として美術大学を目指すということに対して、
先の人生も考えて「これでよし」という心構えで来ている者は
ほとんどいない、ということでした。

先が見えないという意味ではある意味当然なのですが、
そのまま続けて卒業後、その10年後、30年後を考えて
進路決定している者はほとんど居ません(自分もそうでした)。

これは子ども達が悪いのではなくて、
今になって思うと、社会人生活=職業生活という視点を
与えてこなかった教育に問題があると考えています。

また、職業指導やその他生徒指導をする以前に、
その上位にあるものは何かと考えると、
必ず行き着くのは「人間とは何か、自分は何者か」という
シンプルで難しい課題ですが、
常にそのことを念頭において物事の判断をする子ども達を育てることが
僕の目指す教育です。



■2003年6月某日 あてにげ■

仕事で公立の学校へ週単位でお邪魔しています。
ある先生が車でバックしてきて自分のバイクぶつかり、バイクを倒してしまいました。
たまたまそれをみていた用務員さんが、
持ち主は職員室に居るから、とその先生に言ったところ、

「じゃ、あやまっといて」

と、そのまま行ってしまったそうです。
用務員さんに言われて見に行くと、寝転んだ愛車が‥。

ぶつけたことはどうこう言いませんが、
校地で物損事故を起こして
そのまま立ち去る教員って、ナニモノ?

------

後日談。

翌日以降、事後処理がはじまりましたが、
ぶつけた相手も学校側も、
相手の立場で物を考えることが難しいようです。

幾度か反省と対策を求めてみましたが、
こちらがなぜそれを求めるかということを把握されていない。

学校は求められたからその場で答えるという、後追い処理。
加害者当人はすべての弁に、保身の色がベタベタに塗ってある。

金銭的な保証は壊れたバイクへの保障であって、
今回はそれで終わる問題ではありませんので、
示談条件に、「今回の件についてどう考えるか」というお題の
反省文を書いてもらうことにしました。
それが一番痛みがない上に、
ご当人に問題の再認識をしていただける方法だと思うのです。



■2003年6月某日 確率■

池田小学校事件の詫間容疑者の公判と、
東名高速でトラック追突4名死亡の事件が新聞に載っていました。
亡くなられた被害者にとってどちらが不幸なのかを考えてみると
前者は殺人の意思のある人によるもの、後者は過失です。
そう考えると、同じ死亡事件だとしても
被害者にとっては運の悪さの割合が高いという点で
後者の方が不幸な事件だと感じてしまいました。
(もちろんこれは、人が死亡するということに対して
重みの違いをつけようという考えではありません)



■2003年5月某日 「こども日記」■

嫁の友達が以前、うちのURLをわすれたときに「こども日記」で検索をかけたら、
Yahoo!でトップだったというので、調べてみたらそうでした。
他のサーチエンジンでも同様です。

それほどヒットしているわけでもない上に、
結構汎用性のありそうなキーワードなのにね。

ま、でも単純にうれしいです。
URL忘れたら、「こども日記」で検索どうぞ。



■2003年5月某日 子ども■

仕事でいろいろな小学校をまわっていますが、
昼休みに校庭に出ると、どこかしらのグループがドッジボールなどに混ぜてくれます。

市内でも進学校として有名な公立小学校ではそういう風潮がないものだと
勝手に思い込んでこれまで遊んでいませんでしたが、
ふと、昼休み外にでてみると、仲間に入れてくれました。

どこの子どももこういうところは一緒なんだなぁ、と感心した次第。



■2003年5月某日 当たり前なこと■

「当たり前です」と耳にするたびに
ホントに考えて口にしている言葉なのか?と疑いたくなります。

世の中当たり前なことなんかありえないことが
当たり前なことなのに(笑)。



■2003年5月某日 愛猫■

17年生きた実家の猫が死にました。

ペットを飼うということが
人の情操を豊かにするということは
知識で知っていても
もうひとつ実感を持っていなかったのですが、
涙を流して初めて猫も大切な存在だったのだと
気づかせてもらえました。

長い間ありがとう。



■2003年5月某日 メフィラス星人■

ウルトラマン第33話、「禁じられた言葉」にでてくる
メフィラス星人の言動に、
自分の中にあるものと同じ哲学を感じました。

造り手の他の作品を見てみたいと
自発的に思えた逸品。



■2003年4月某日 学習について■

ある程度学習が進んだら
「学ぶこと」よりも
「学ぶ必要があるとに気づくこと」の方が
大切だと思っています。



■2003年4月某日 ルール■

仕事が終わって家に帰り、子供をみていると
ルール、ルールで殺伐とした世界から解放された実感がわいて
幸せになります。

これが離婚でもして子供を妻に引き取ってもらうと
ルール上この子が自分の子供じゃなくなってしまうなんて、
ルールなんてなんてくだらないんだと
あきれてしまいます。



■2003年4月某日 人間不信■

数年前から人間不信です。
不信というのは信じられないという意味ではなくて、
どうも自分や相手にとって「本当のこと」以外の話を
することに馴染めないというのが正解に近いです。

他所様 と自分のこのありようを比較して、
どうも自分に非があるということはわかったのですが、
わかったからといってすぐ直るものではありません。

子供の屈託のなさに疑問を感じてしまう
自分が恐ろしくなりました。



■2003年3月某日 デッサン力■

予備校時代に、
「腕のいい床屋や歯科医は多分絵を描かせても上手い。
それはデッサン力があるからだ」という先生の言葉で
「デッサン力」とは狭義の絵を描く基礎的な力ではなく
広義に自己表現(イメージの再現)の
根本的な力を示すのだと理解しましております。



■2003年3月某日 春の空気■

春の空気を感じました。
気温と湿度と匂いの微妙なバランス。

バイクに乗っていると歩いている以上に
空気の種類の差を感じることがよくあります。



■2003年3月某日 季節の変わり目■

春から夏にかけて、または冬から春にかけて、
体調が崩れることがあります。
特に後者は花粉症と重なるので
個人的には大変気持ちのよろしくない事になります。
こうしてみると日々同じような事の連続でも
体は季節の変わり目を感じているんだなぁと、
生き物としての自分に感心したりもします。

花粉症と体調不良明けの、なんと快適なこと。



■2003年3月某日 同窓の人■

大学時代の友人の結婚式二次会に 当時のクラスメイト男子全員集合。
卒業以来11年ぶりに 顔合わせするのでどれだけ変わっているだろうと
期待というよりは好奇心の方が強かったのだけど‥
もう一度クラス結成したら10年前のそれができるんじゃないかというくらい
全然変わっていませんでした。

自分のこの10年を振り返ってみると
ずいぶんいろいろなことがありすぎて
人生の中では実質的に一番成長し、変わった10年だと思っているのに
こうしてクラスメイト10人に対して思うように
自分が思っているほど、自分もそれほど変化も成長も
していないのかもしれないと思ってしまいました。



■2003年3月某日 戦争■

戦争、はじまってしまいましたね。
何も生産しないので戦争はキライです。

バグダッド市街 のライブ映像が常に画面に写されていますが、
これはこれで世界は(情報化してきて)かわったなぁ‥と
素直に感心するところです。

ふと、この街に核兵器が一発落ちて、
あっさりチャンチャン!になったところを想像してみたのですが、
そのとき生まれて初めて広島と長崎に原爆を落とされたことに
心底怒りや言葉にし得ない複雑な感情を持ちました。

身近なところじゃなくて、遠くの国のことをおもって
そんなことに初めて気づくのはいろんな意味で不謹慎な話ですが、
異国の歴史や文化や戦争に関係のない人を思うからこそ
気づけたところです。

次元の違う話ですが、
苦労して役満でアガったあとの洗牌のような
むなしさを感じます。



■2003年3月某日 反復学習■

ご当人にとってホットな話題を、会う人会う人に繰り返しお話される
高齢の方が職場にいます。
頭の中をどう整理しているんだろうといつも思わされるくらい
話は具体的で情報豊かなのですが、
今日気がついたのは、話を口にすることで
反復学習しているのではないかということ。

話すたびに要旨を絞って効率よくしゃべっていらっしゃるし。
人前で口数多くない方の自分としては
しゃべらない、ということが頭の情報を整理できない
悪循環の始まりなのかもなぁ、と考えてみました。



■2003年2月某日 悪いのは■

自分が悪いと思わないところが悪いのだと
気がついてほしい。



■2003年2月某日 アインシュタインの格言集より■

グッと来たものをいくつか紹介。

「この素晴らしい応用科学は労働を軽減し、生活をより豊かにしながら、
なぜ我々に幸福をもたらしてくれないのか。答えは簡単である。
我々がそれを有意義に利用するにいたっていないからである。」

     →今の教育現場のパソコンもそうですね。

「知性は方法や道具に対しては鋭い鑑識眼を持っていますが、
目的や価値については盲目です。」

     →スペックの話ばかりで、それで何をするか
工夫する話にならない人へ。

「学校で学んだことを一切忘れてしまった時になお残っているもの、
それこそ教育だ。」

     →そこで残っているものを伝えたいのです、僕は。

「空想は知識より重要である。知識には限界がある。想像力は世界を包み込む。」

     →霞を食っては生きていけないという人へ。

「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」

     →「大人」になってしまったすべての人に。

「どうして自分を責めるんですか?
他人がちゃんと必要な時に責めてくれんだからいいじゃないですか。」

     →自分がキライだと言って、
      それで問題解決しているふりをする人へ。

「何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。」
           →調べる前にすぐ聞く人へ。

「核連鎖反応の発見が人類の滅亡につながるわけではない。
それはマッチの発明が人類の滅亡につながらないのと同じだ。」
           →「バイク乗ってるんですか?危ないでしょう」と
すぐ言う人へ。

「相対性原理のことはわからないけど、アインシュタインのことはよくわかっています。」
(アインシュタインの妻の言葉)

           →うちの妻へ。



■2003年2月某日 過失と故意■

知らないことは罪じゃないけど
知ろうとしないことは、大変罪なことだと思います。



■2003年2月某日 前向きな発想?■

一方的に夫婦喧嘩して意固地になっていましたが、
「もし余命いくばくも無かったら?」と考えてみると
くだらないことに時間を費やしている時間はないと考え直して、
自分に不快感なく解決。



■2003年1月某日 アンパンマンマーチ■

「何のために生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのはい~やだ」

「何のために生まれて 何をしてよろこぶ
わからないまま終わる そんなのはい~やだ」

アンパンマン原作者のやなせたかしさんの詞です。
僕が大事に思っていることを分かり易く代弁してくれている詞で
気がついたときには驚きと悔しさとうれしさのミックス状態。



■2003年1月某日 子どもの評価■

「最近の子供は変わった」という悪態を
学校にいると耳にすることが多いです。

でも。

「子供が変わった」だけなんじゃなくて、
「大人が変われない」んじゃないの?と
そういう言葉を耳にする場にいるときは8割がた感じます。

「今」の 時代についてきてないもの。その言葉を口にする人たち。
モネやルノアールまでしかわからない人が
ピカソやマチスを理解しようったって、
そりゃ無理ってもんでしょ。



■2003年1月某日 自分らしさ■

「規格品」の陳列されているスーパーの棚のように
違いといってもその「規格品」の組み合わせの違いだけのような
個性を主張されても
もうひとつ心に響かないんだよなぁ。



■2003年1月某日 楽しいこと■

「バイクと絵とコンピューター、どれが楽しいですか?」と聞かれて
「これです」と答えられないのは、
楽しみの種類が違うからです。
楽しみには「消費する楽しみ」と「生産する楽しみ」の二種類があります。

絵は無から有をつくる楽しみ。
バイクは有を消費する楽しみ。

僕自身は作る方の楽しみを生業にしていきたいのです。

コンピューターが微妙な線で
触っていると知識が身についたり
ささやかな生産ができたりしますが、
たいていの場合大したこともせず時間を消費するのに
「やった気」になってしまう
こわい趣味。



■2003年1月某日 Think Different■

アップルコンピューターの名コピー「Think Different」。
このコピーを冠したあるデスクトップピクチャに

「Think Different has a lot of meanings for me.」

と添えてありました。

「Think Different」という言葉に触れるとき
他人との違いについてはもちろんのですが、
自分自身の中で自分というものを勝手に画一化してないか、と
自問も強く沸きます。



■2003年1月某日 人間の素■

「大人って汚らわしいわ」という発言に、
「大人って素直なんだよ。子供の場合素直なんじゃなくて無知なんだとおもう」と
答えてしまう。



■2003年1月某日 僕にとっての芸術■

AとBからCを生み出すこと。

そんなに複雑なことじゃない。
そんなに簡単なことじゃない。



■2003年1月某日 好感の持てる授業■

ある小学校の授業で
あまり成果の出なかった調べ学習のあとのこと。
授業が終わって先生が生徒を集めて、
「どうしてうまくいかなかったのかなぁ?」と質問していました。
「じゃぁ、次回はそれを反省に取り組みましょう」と。

これこれ、これですよ。



■2003年1月某日 教育基本法改正その2■

暴力・不登校・やる気のなさ‥
子供が変わったと言われる昨今。
先天的に子供が変わった、とは思わないんですよね。
おそらく親が変わったんです。

親が変わったということは、
今の「ご父兄」方が教育を受けていた時代に原因があるのだと思っています。

今、必死になって子供を「元に戻そう」と各方面で努力していますが、
今の子供たち自身に染みている三つ子の魂はかわらないでしょう。
ただ、今の子供が親になったときに
彼らの子供たちがまっとうな生き方をできるようにと
長い目で見た今の子供たちの教育は意識しなくてはならないでしょう。

読売新聞の「教育基本法改正」についての社説に
「(現行法の内容は)日本人のナショナリズムを押さえ込む措置だった」
という視点がありました。
なるほど、そういうことで「基準のない、わけのわからない個人主義」が
(今の親や先生たちに)染みてしまったのか、と気づかされる面もあり
右に偏った内容ながら納得させられてしまいました。

それでも教育基本法改正は賛成ではありません。

「お題目がかわらなければ実のある行動がとれないのか?」
という点が浮上してきて、
根本の問題はそこなのではないかと思ってしまうのです(笑)。



■2003年1月某日 教育基本法改正■

教育基本法改正が叫ばれています。
自国の文化を大切にするという発想は大賛成ですが、
愛国心を強要するって言う発想はハテナ?って感じです。
自国の文化を大事にするなら自発的に生まれてくるでしょうに、愛国心。

「自発的」というところがミソで、「国を愛しなさい」って強要されて身につくものなのかな?と
戦前の教育を肌で知っているわけではない立場では思ってしまいます。



■2003年1月某日 明日のはなし■

過去のことと現在のことがはなしの9割以上の人とどうも本気で話せません。
それがまた過去と現在への不平不満だったりするとなおさらです。
意地悪をするつもりはまったくないのですが、
それでどうしたいのですか?と聞いても返事はないし。

その方がその先どうしたいか、ってことを本当に聞きたいのに。



■2003年1月某日 復活■

どれだけ自分に素直になれるかの実験場として、三十路日記2年ぶりの復活。
ホントは日々思いつく小ネタを忘れてしまうのがもったいないだけ。