‚.com ‚.com

post

三十路日記 1999

1999 | 2000 | 2001 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008



12/31

やたらニューミレニアムを連発する年末番組だった。
10進数じゃなかったら
ずーっと鎖国をつづけたら
いつもと変わらぬ年越しだというのに。
お祭りにノれる人へのひがみかな。



12/21

自分の客観視ってどこまでいっても「主観的客観視」から抜け出せない。



12/20

昨日と同じ人に
「あなたはくじけますか?」と言われて
返答に窮してしまった。
人は乗り越えられるか量りかねる壁にぶち当たることがあるけど
その壁の高さというのはその人の実力を示していると言われた。
確かに、もとより超えられない壁はその存在自体に気がつかないかもしれない。

即答できなかったということは
必ずしもいつもくじけているわけではないということだ。
じゃ、どういうときにくじけるんだろう?
くじけそうになったときに壁の高さを見定めてみよう。



12/19

「あなたは何をしたいの?」と言われて
返答に窮してしまった。
何をやりたいのかは自分自身で感じはしても
人に伝えるための言葉を捜すのにしばらくかかった。
結局見つけた言葉は
「自己満足したい」、
「死ぬ瞬間に、あぁ、幸せな人生だった」と言えるようにしたい、
ということ。

同様の質問を同じ展覧会の出品者にしてみると
「遊びたい」
という返事が帰ってきた。
この質問はどういうスパンでこの「何がしたいか?」という問題を
とらえているか知ることのできるおもしろい質問だと思った。



12/18

時間の流れ方は一定ではないということに気づくことがある。
理詰めで考えると、10歳の子にとっての1年は1/10、
30歳の人にとっての1年は1/30。
同じ長さが人によって価値の違うものに感じてしまう。
が、それだけでは納得できないことがある。
うちをバイクで出て、職場までの通勤は
スタートとゴールの印象だけが鮮明で、間は機械的に走っている8分間。
それに比べて、同じスタートとゴールでも
ジムカーナのコースを1周走ったらたかだか2分間。
でも本気で取り組んで走ったその印象って、
明らかに通勤にかかるものより濃いものがある。
そう思うとつくづく人って主観的に生きているなぁ‥と思わされる。
昨日の日記じゃないけれども、
長く生きよう、じゃなくて密度濃く生きることが
「主観的に感じる長生き」の秘訣だなぁ、と思う。
余談だけど、「慣れ」が時間の流れの密度を薄めているのだとしたら、
職場をコロコロ変える、とかの波乱万丈の人生は長生きの秘訣か?
幸せかどうかは別にして。



12/17

心臓病で亡くなった子供の父親がNHKでコメントしていた。
電車の運転手になりたかった子供は、
憧れの江ノ電の運転席でハンドルを握って
3日後、亡くなる前に
「僕、生まれてきて良かったよ」
と言ったそうだ。
父親は「人はどれだけ長く生きたか、ではなくて
やりたいことをもって生まれて、それを達成できたか、が大切だと思います」
と言っていた。
あまりに短い人生だったからこそ気がついたことかもしれない。
漫然とすごしている日々も
1日1日が人生のゴールへの距離を縮めていることを
忘れないようにしよう。



12/16

悪者が居ないのに迷惑な話。
知り合いのお店へ遊びに行くと、商談中だった。
話も終わって業者さんはインターまでの道を聞いてきたので教えてあげた。
業者さんは急ぎだそうで白いワンボックスで九州へ向けて出発。
と、業者さんのかばんが置き忘れられていた。
すかさず自分が「追いかけますっ」っとかばんをもってバイクで追走した。
10分ほど走っても追いつかず、あのタイムラグで見つからないわけはないと思ってお店へ電話すると
案の定、業者さんはひき返してきていた。
勝手な親切心から知り合いも業者を待たせてしまって迷惑。
業者さんも待たされて迷惑。
徒労に終わった僕もある意味迷惑?



12/15

展覧会に自分の好きな作家さんがいらっしゃった。
高齢なおばあさんなのだけど、非常に素直な人。
面識はなかったのだけど、作品を説明して欲しいと言われ
自分は作品に「モノ」を描いているのではなくて「姿勢」を具現化しているんだという旨を述べると、
ちゃんと姿勢に対しての指摘をしてくれた。
ここがすごい。
大抵の人は「姿勢」の意味さえわからず絵の評価ばかりしたがる。
こんなおばあさんを親に持ちたかった‥と言うと
そういう親は子供の価値観を親の価値観で定めてしまうことがある、とまで言う。
素直な人に出会える機会をもってちょっと幸せなひとときでした。



12/14

自分の展覧会が始まって
オープニングパーティーで文筆活動をしているという人と話す機会があった。 
話しこんで行くと、彼は理詰めで彼の世界の中の正論を述べて、
彼の言っていることは(彼にとって)正論だからという理由で
人の言うことを聞き入れようとしない。
「あなたの言うことは価値観の押し付けだ」と
言い放って受け入れないこと自体が
僕にとっては押し付けられていることなんだけどな。
長く話しても接点が得られそうになかったので
その旨を伝えて話を打ち切った。
「負けて勝て」っていう言葉を友人が教えてくれたことがある。
その言葉を知らなかったら栓のない時間を
延々無駄に費やすところだった。

余談だけど‥いやこっちが本題かもしれないけど、
彼の論法は自分の攻め方に似ているところがあって
客観的に普段自分が人に与える「やさしさのなさ」を体験できた。
はっきり言って面白くなかったので、
これからは反省してもっと優しくなろうと思います。
これまで不快な思いをさせた方、ここで深くお詫びします。



12/09

「普通」というものの位置が掴めなくて困っている。
「普通」ってなに?
ちょっと「善悪」に近いよね。
基準をどっち(どこ)に置くかで対象物の位置や立場が変動してしまう。
ミッチー好きな人達の中では自分は「普通」だけど、
世間で「ミッチー好きなんだ」っていうと普通じゃなくなってしまう。
僕自身は変わりないのに。



12/08

塩の辛さと大根の辛さは味覚として違うのに、
「からい」という。
スーっとするガムも「辛い」という。
辛いって一体、どういう味覚?



12/07

またまたミッチーネタ。
夏の横浜アリーナのライブのビデオが発売になって、観た。
感無量です。
100分のビデオで4回泣きました。
僕にとって彼は雲上の人でもスーパースターでもなく
「ただの人」なんですが、
ただの人が頑張って頑張って自分も感動しながら表現している様はもう、
言葉で表すのが申し訳ないくらい×××な感じです。
筆舌に尽くしがたい。
映画1本見たって4回も泣かないぞ。
そのくらいすごい。



12/01

またまた宗教の問題。
法の華サンポウギョウという宗教団体が警察に強制捜査を受けた。
それに対する地元民のコメント、
「違法な宗教団体にメスが入って安心しました」とのこと。
ふざけるな、と思った。
宗教の教義が日本の法律に触れてしまう場合、
その宗教は日本でやっていけない。
もしかすると、その宗教は「真実」なのかもしれないのに、
それが存在するためには法律に遠慮していかなくちゃいけない。
そんな、「遠慮」のある宗教ってありですか?
逆に言うと日本は宗教の自由だとか言いながら全然自由じゃないじゃない。
国の都合にあわせたモノしか認めない。
大学時代尊敬していた法学の先生が言った。
「法律は国を守るためのモノではない。個人の尊厳を守るためのモノだ」



11/30

この時期になると自動販売機のコーヒーが全部ホットになる。
暖かい部屋で冷たいコーヒーを
飲みたいという心境になる人も多いだろうに、良い迷惑だ。
自販機のコーヒーはホットよりもアイスの方がおいしいと思っている僕。



11/16

モノの名前について思う事。
日本画などでやたら画数が多くて読めない漢字、
あわよく読めても意味のわからない漢字を作品名にした作品があるが、
それって意味あるの?って思ってしまう。
日本人特有の「真意を押し隠した美しさ」なのかもしれないけど、
伝わらなくちゃ意味ないじゃない。
車の名前もそう。
「スープラ」なんて意味ある名前つけても
日常性ある単語じゃないから真意なんて伝わらないじゃない。
伝わらないこと分かってて隠れた意味つけるところが
いやらしくて嫌です。
「柿ピー」は柿の種とピーナッツが入っている商品名。
とても分かりやすい。



11/15

器用貧乏ということばがある。
若いころは「器用でよかった」と思っていたけど、
それがプライドになりはじめたことが貧乏のはじまり。





11/14



昨年1年間と今年の前半負けつづけていたライバルに勝った。

先週に続いて2連勝。

先週負けたときはムチャクチャ悔しそうだったその人は、

今日負けてとても爽やかだった。

「こうでなくちゃいかん」と言っていた。

その場その時の勝ち負けにこだわらず、

来期はその負けをバネにして臨んでくる姿勢に

感服しました。

謙虚で素直な良いお友達が居て嬉しいです。



11/9

実は木曜に嫁の生命保険の仮契約をした。
で、今日(火曜日)、本契約のための保険面接師の健康審査があるはずだった。
嫁は土曜日に入院してしまったので、当然保険には入れない。
あと1週間早く契約していたら
今回の入院費はほぼ保険で賄えた。
損得とかいうわけじゃなくて、その絶妙なタイミングが身近におこったことがおもしろい。



11/7

1ヶ月半の新婚生活が終わった。
すっかり過去の事として記憶の奥にしまっておいた一人暮しが
またはじまった。
二人じゃ狭い部屋が
一人じゃもてあます。





11/6



嫁が入院することになった。

定期検診で破水が見つかって、即入院。

どうやら出産するまで出られないらしい。

担当医に

「胎児に感染兆候があったら、即帝王切開で出産してもらいます」

「まだ26週だから、呼吸器ができていないので呼吸障害がのこるかもしれません」

などいろいろ最悪の状態を羅列してもらった。

病院から帰る道すがら、目の前を歩いている親子連れのうらやましい事。

職場で生徒達を見ても、「よくここまで育ったね」と思ってしまう。

夕方ビデオレンタル屋で借りて帰った「シンレッドライン」でを観て、

太平洋戦争の肉弾戦でばたばた死んでいく兵士達のシーン。

「君達、せっかく生まれてきたのに‥なんて死に方するの!?」と

衝撃的だった。ホントに。



10/22

おなかの皮1枚ごしに子供とコミュニケーションをとる喜び。



10/9

オウムのニュースが流れるたびにオウムがかわいそうだと思う。
オウムの信者は宗教として信じているのに、
自分の信じている事が社会から否定されるということを
想像するたびにいたたまれなくなる。
「オウムは危険だ」というならば、それは
国が認めないから否定される危ない事なだけで、
危ない事といったらそれこそ原子力関連施設とどう違うんだろ。
自分の家の隣に原子力関連施設とオウム関連施設の
どちらかが建つとしたらどっちがいいかな?



10/6

2週間ほど前から嫁の腹の中で生き物がモゴモゴ動いています。
定期的に脈動している嫁の心拍とは別に
モゴっと何かが動くんです。
腹のふくらみは目立ってきたとはいえ
まだまだ人間が入っているとは思えない大きさなので
子供というよりは「生き物」っちゅー感じですが、
自分の腹の中にあんなものが居ることを考えてみたら、
あぁ、ちょっとダメかも。
クラクラ。



10/4

9月は時間の流れが違いました。
9月になったとたんにビュンビュン時間が流れはじめて
18日に結婚式。
そのまま新婚旅行へ行ってきたら
もう10月になってしまいました。
===
新婚旅行はグアムへ行ってきたんですが、
向こうに居たときには気がつかなかったんだけど
日本に帰ってきて最初に思った事。
グアムは貧しい島です。
日本人のたくさん居るホテル街に居ると気づかないけど、
日本人が行かないところへ行くと
あまりのギャップに驚きます。
日本人がアレだけ落としていくお金はどこへ行くんでしょうね?
地元のチャモル人は決して裕福とはいえません。 
===
話は変わって、いきなり寒くなりました。
今日は昼ご飯を買いに職場の裏道に出たら
いつもと同じ風景が違ってみえました。
こういうのってうれしいですねっ。



8/31

槙原敬之が覚せい剤所持で捕まって
彼のCDが店頭から回収されているそうです。
非常に頭にきました。
僕は槙原敬之ファンでもなんでもないんですけど、
それって彼の作品を思いっきり「商品」として扱ってることになりません?
彼はアーチストでも何でもなくて、芸術家でもなんでもないってことじゃないですか。
麻薬所持していたことと作品性は別物だと思うんだけど。
だいたい、「覚せい剤を使用していた槙原敬之の作品」を
この1年くらいすでに売っていたんだから
いまさら‥って気もします。
責任をとるのは本人であって、
会社や作品がその責任を積極的に被るのって
どうも納得いかないな。
不祥事を起こしたら大会出場しない
高校野球のように
古い体質の匂いがする。



8/28

オカリナ奏者のCDを聞いて、
1発目に、「シンセサイザーみたいじゃん」って思った。
これは本末転倒な考えで、
ホントはシンセサイザーがオカリナの音を合成しているのに‥
多勢(たぜい)がスタンダードになりがちな
「標準的な日本人」っぽい発想で
嫌だと思った。



8/24

天理教の教義と自分の信条が一緒でおどろいたことあります。
「人生は芸術」ってゆーの。
芸術作品って模倣だと全然意味ないじゃないですか。
人の生き方も他人と同じじゃ意味ないし、放っておいたって
人は他人と同じ生き方なんてできないから
それこそ一生を全うするだけで
1つの芸術(=個性)ができあがるんですね。
個を大切にする思想ってとても大切な事だと思います。
新しいものが生み出せるもの。



8/17

昔、「愛に限りはない」という簡単な言葉に感動したことがあります。
物質的に捧げるのにはすぐ限界が来てしまうけど、
人が人を「愛する」のっていくら捧げても減るものはない。
===
「人のつくった決まり」ほど馬鹿げたことはないと思うことがよくあります。
昨日やってはいけなかったことが、
法律で認可されたから今日はやっても良いことなんて‥いいかげんですよね。
そんなものをよりどころにするのは不安です。
と、職場の人と話をしたら「法律は、最高の決まり事ではなく
生きていくための最低ラインだ」と教えてくれました。
少し楽になりました。
===
「Give & Take」という言葉を初めて聞いたのは中学生の時。
親父が「ワシはおまえを養う。だからおまえは勉強しろ。ギブ&テイクだ」と言った。
それ以来 「Give & Take」という言葉がすごくきらいです。
話は変わるけど、「勉強って誰のためにするの?」ってその時思った。
==
嫁と喧嘩になりました。お題は「Give & Take」。
夫婦生活を円滑に進めるために、様々な決まり事を作っているのですが、
「食事をつくってもらった方が洗い物をする」という決まりを
自分は「つくってもらったから洗ってあげる」と捉えていたのに対して、
嫁が「つくってやったから洗わなくてもよい」と
「Give & Take」ライクな言い方をしたので、
そんな「ドライな考え方は嫌だ」と一言言ったのが発端。
後日、こういうルールはそれをよりどころにして
「決まりだから洗って!」と当たり前に言うためのものではなく、
お互いが不満を溜めないためにうまく利用するためのものだと
解釈して納得することにした。
==
エースコックの「マーボーラーメン」の液体スープの袋と粉末スープの袋に
「お召し上がりの直前に入れ、よくかき混ぜて下さい」と書いてあるのだけど‥
どちらを先に入れるのが「直前」なのか悩んでいる人がいてとても素直な人だと思った(笑)。
==
自分はうそつきではなくて素直な人間だと自分では思っているのだけど、
素直さを守るためにうそをつかなくてはいけなくなることがある。これって、うそつきなのかな?
==

仕事場でうだうだ話をしていると、
ふとヌードモデルさんが言った。「ルールは守れなくてもマナーくらいは守るよねぇ」って。
この2日間うだうだと考えていたことを一言で解決してくれて気分爽快だった。



8/15

お盆(ここで言う「お盆」は「人が休みの時」という意)に
仕事なんて不幸だと思っていた。
昼飯を買い物に出たら
いつもは駐車車両が並ぶ通りに車が一台もない。
建物が密集するのは人が集まるからで、
いつもは建物の密度に応じた人いきれを感じる広島の中心地も、
今日に限って街もものすごく静かで、
その無駄にガランとした静かな街が妙にリッチな気分にさせてくれた。
蒸し暑ささえも、静かな街では「夏」を演出していて好感をもてたなぁ。
というわけで、今年は静かで暑くてガラリンとした幸せなお盆出勤だった。



8/9

ぬるいビール。



8/7

広島現代美術館のイベントで
原爆ドームのある石土手に
被爆者の両手のひらだけを映した映像を流し、
音声で被爆体験を流すというものがあった。
昨日が原爆記念日なものだから、
被爆直後の広島の惨状を語る内容は
丁度54年前のもの。
すぐ脇を路面電車が走り、街の喧騒に包まれた中で
淡々と語られる広島の昔話は
映画館で映画を見るよりも断然リアリティがあって
説得力がある。
ただ、「被爆体験を伝えるイベント」というよりも
現代美術的なある種の会場芸術として
広島という場と被爆体験を利用していることが
正しいことなんだろうか?という疑問は残った。



8/2

買い物がえりに食材をバイクに積みこんでいたら
知らないおじさんが「大きいバイクだねぇ」と声をかけてきた。
600ccだから中くらいですよ、とか話をしていたら
おじさんは最後に「あぶないでしょ」と言った。
そしたら自分はうぐぐぐぐぐぐぐ、となって受け答えができなかった。
バイク自体は危ないものじゃないんだ、なんて
一瞬へ理屈も浮かんだけど、
「今日はお天気ですね」みたいな当たり前な感覚で
「バイクはあぶないでしょ」と言われてしまうことが
何とも言えないショックだった。
自分の大事にしているものが
人の目にはあんまりいいものじゃないなんて。





8/1



他人との相対的な共通認識として、1年という周期を経過したら

前年の年齢に1つ年を加えて人は「年齢」を表現しているけど、

それをしつづけなかったら‥

中学に入るくらいまでは「小学校2年生の夏休みには山へ登りに行った」とか

1年1年、何があったか覚えているから

春夏秋冬が何回あったかで「何年生きた」というを覚えているけど、

二十歳をこえたあたりから

「12年前の秋になにがあった?」とかいきなり言われても

わかんなくなっちゃいました。

そんでもってこの歳になってしまうと

自分は何回秋を経験したのか、なんて覚えてません。

30歳だから30回むかえたのだろう、と

年齢というものを頼りに確信なく答えるしかないのです。



もし、年齢というものをカウントしていなければ

自分の年齢って‥そんなことを考えていたら明るくなりまれました。

なーんだ、歳なんていーかげんなもんじゃん。って。

自分がどう思っているかってことが一番大切なんじゃないですか。

「年をとる」ということは実年齢が上がるという意味ではなく、

「諦める」ということですね。

いつまでも若く居たければ諦めないことです。

社会的な「30歳」なんてことに振りまわされずに

自分の今の知力・体力・精神年齢をよりどころに生きていこう。



‥余談だけど、こうして日記を書いていることは

「いつ、何があった」という記録になるから、

自分の年齢をカウントしているのと同じことなんだけどね。



7/29

車で移動中FM放送を聞いていたら、
DJがゲストに向かって「彼の友達は6万数千人いますから」って
冗談を言っていた。
友達が多い人って、いったいどのくらい友達が居るんだろう?
自分の結婚式や葬式に義理じゃなく真っ先にかけつけてくれる人は
そりゃ何人かは居るけど、
そのレベルの友達が1000人も居たらものすごいことだよね。
披露宴とかするのにも大ホール、下手したら体育館貸切だわ。
そう考えると友達の数っていうのは
見えない社会的な制約のもとで巧く調整されているのかな?
(学校の学級の人数規定とかね) 
それとも人一人が人を引きつけるための人望や時間に限りがあるからか。
人の一生って有限なんだから‥あ、突然話しが飛ぶけどこれ書いててきがついた。
自分の存在証明って、自分の中にあるんじゃなくて他人の中にあるんですね
(自分を自分でどうやったって言葉通り「客観視」できないじゃないですか)。
なら、できるだけたくさんの人の奥深くに住みつきたいですね。



7/28

ガラにもなく指輪を探しに
最近ジュエリーショップをうろついているんだけど、
今まで全然興味が無かった世界にも
キレイで美しいものがあるもんだと感動している。
最近感激したのはダイヤモンドの美しさ。
最初は石なんて全然興味が無かったけど
間近で見るとこの世のものとは思えない美しさじゃないですか。
こんなものを身近に身につけても可笑しく思われない女性は
何と幸せなことか!
男がダイヤモンド身につけてるのは
ちょっと閉口してしまいますものね。
自分が石に魅了されるなんて思いもしなかったけど
ちょっとあの美しさは尋常じゃないです。罪です。
これを読んだ男性諸氏、ダイヤの美しさを知らないんだったら
100万円持っているつもりになってジュエリーショップへGO!
グレードの高い奴をショーケースから出してもらって間近でみてみて。
ほんと、きれいだから。



7/27

朝の民放で迎賓館の中の紹介をしている。
東京に居たころは門のはるか奥に見える白い建物を見て
すげー‥と思っていたけど、内部もすごい。
でもね、何で日本の迎賓館が「ベルサイユ宮殿」なの?って思わない?
外賓を迎え入れるのに馴染みを良くするため?
でも外国では畳部屋を用意してくれないでしょうに。
外賓を日本建築のなかにとりこむことで外賓に日本を意識させたり
気後れさせたりすることも戦略として大事なことじゃないのかな?
コテコテの洋間を「羽衣の間」なんて呼ぶなよ、って思っちゃうよ。
二条城みたいな迎賓館ってちょっとカッコイイぞ。



7/26

NHKの「ようこそ先輩」に具志堅用高がでていた。
自分のジムの若者に向かって
「やるんだったら徹底的にやれ」と言っていた。
そんな彼が世界チャンピオンになった時の映像が流れたんだけど
それを見て泣いてしまった。
ホントに徹底的な攻撃だった。
人を泣かすことができるってすごいことじゃない?
どんな表現でもいいから
自分も人も感動させたいよな。
そのためには「本気」って奴が必要なんだよね。



7/23

三十路日記を読みなおしてみると、
子供が居ることが分かったのが1ヶ月とすこし前。
この1ヶ月の間に、面識の無かった先方の親に会い、結納を済ませ、
同時に結婚式場を手配して嫁入り道具まで買って、
部屋の模様替えや掃除までして
ついでに嫁@確定 を結納返しも兼ねて広島から千葉の実家に連れて帰った。
振り返ってみると恐ろしい勢いで物事が進んでいるように思うけど
一つ一つを思い出して見るとそうたいしたことじゃない。
もっと一所懸命になれたように思う。
先の横浜アリーナで、丁度自分も思っていたことを
ステージ上のミッチーに言われてしまった。
「歴史は1日1日をまっとうに生きていたら自然と出来あがっていくもの」だって。
自分なりに補足すると
「歴史は作るものではなくて出来あがっていくものだけど、
積極性の無い時間も着実に刻みつけられる。
歴史の出来るスピードを越えることは出来ないけど、
せめて歴史と同じスピードで精力的に生きる事が
良い歴史になる」かな。

三十路日記も2ヶ月経って
過去を振り返り未来を見つめる叩き台として
また、良い歴史を作るための反省文として
機能してきているなぁ‥と、しみじみ。



7/20

「本気」の話し。
「本気」とはどういうことか、ということをミッチーは自分の課題として
ツアー中ずっと考えてたんだって。
横浜アリーナで彼なりの答えを言ってくれたんだけど、
「本気とは‥後悔しないこと」だそうです。
当たり前なことなんだけどね。
全力を出せたとき以外は「本気」と呼んじゃいけないんだよね。
「本気で」ということは「1位以外は勝者じゃない」っていう考えに近い、
実はとても大変なことなんですね。



7/19

横浜アリーナでミッチーのワンマンショー。
「バラ色の人生」ではミッチー自身も感動しているのが伝わってきて、思わず感涙。
連れは先の松山での公演で2列目だったそうで、その感動に比べたら‥言っていたけど、
対象に近かったからとかそういった物理的なすごさよりも
全体を見渡せて会場の一体感を感じられた(みんな同じ振りをしているとか、
そういうんじゃなくて)感動の方が
自分にとってはずっしりとした感動を持てた(会場芸術の作品性を強く感じた)。
事実、2週間前の広島での公演ではあんまり近すぎて
文化祭の公演みたいだったもの。
フロアや対岸のボンボンが振り上げられる様は
床がせりあがっていくようでした。

 ■

7/16

区役所に婚姻届を取りに行った。
おごそかに桐の箱かなにかから取り出されるのかと思っていたら
低音の効いた真面目そうな役場のおじさんが
プラスチックの安っぽい引出しからペラリと薄い紙をだしてきたので
ちょっとびっくり。
丁度届けを出しに来たえらく年の差のありそうな夫婦も
何でもないもののようにそのおじさんに紙を渡していた。
そんなもんなん?って思っちゃうよ。



7/5

美術大学の説明会でその大学の彫刻の教授と話しをする機会があった。
学校説明はそっちのけで、芸術についての個人的なはなしになってしまったのだけど
生活環境やジャンルも違うのに行きつくところは
「どんな表現形態かということは問わず、個人や個性というものをどう表現するか」ということなんですよね。
話しがあって、和気藹々とするのは良いのだけど、
まてよ、っていう自分も居たりする。
話しがあうことで安心して意気投合できちゃうってことは
もしかしたら無個性なこと?かも、って。
まーでも無理してまで人と違うフリしてもしょうがないし、
自分に正直に考えた結果が他人と同じなのはしょうがないんじゃないと思うんだけど。
「芸術家は素直が一番」



7/4

最近街を走っていて思うこと。
車を買うことになったのは先にも書いたとおりだけど、
それ以来、カーディーラーが視界に入ってくるようになった。
今までは視野に入ってはいても気づかず通りすぎていた。
それだけではない。
結婚式場やホテル、カー用品屋、ベビー用品屋、産婦人科などなど、
ここ最近の生活の変化に合わせてか
今まで見えなかったものが急に見えてきた。
というか、視界の中での自己主張が強くなっている。
それを客観的に、単純な僕の脳みそは
「街の密度が増している」と
判断しているようです(笑)。
悪いことじゃないよね。



6/30

人生31年目にして初めて車を買うことになった。
今までバイク中心で物を考えていたから
キャンプ道具などほとんどがミニマムな発想で、
車を使って何か(レジャーを)をする、といっても
いきなりはピンとこない。
バイクって積載量をはじめ、
いろいろなことに制限があったからこそ
創意工夫の楽しみもあったんだなぁ‥と
ここではじめて気がつかされる。



6/24

嫁@確定 の親と初めて会った。
いきなり父親に殴られる、
結婚の意志を聞かれる、
親を説得するところからはじまる、
などなど、
いろんなシーンを想定して臨んだのに
いきなり和やかなムードで結婚することを前提で話しがはじまった。
いささか拍子抜け。
心のどこかでちゃぶ台をひっくり返して
「うちの娘に手を出すとはっっ!」と
鼻息荒く叱られることを期待していたのかもしれない。
(叱られることを、じゃなくてそういうシチュエーションにであえるということを)
メディアに影響されすぎてるのだろうか?
心のどこかで勝手に「日本人の標準」をつくっていたのかも。
誰かが統計を取ったりしない限り標準なんてないのにね。
最近は未経験な事がたくさん続いて、
思いこみと現実のギャップに気づかされることがたくさんある。



6/23

1週間前、子供がいることが分かった。
と、突然言われても物理的なショックはなく、
ただただ社会的な責任とか生まれてくる時期のことだとか
形にならないものを頭の中で想像するばかり。
その物質的ショックのなさと精神的なショックの大きさが
あんまりかけはなれているもんだから、実感の沸かないことこの上ない。
射的のように「打った、当たった」くらいダイレクトな実感のあるものだと
どこかで思っていたようだ。
後日、子供の名前を考えていたらギャップが埋まってきた。



6/11

コンタクトレンズを購入してみた。
購入してみた、というのは継続して使うわけではなくて
どんなものか試してみようと、使い捨てレンズを買ったということ。
いつのまにかメガネを常用するようになっていたので
メガネのフレームのない状態でヘルメット越しの視界を確保できるのは
とても新鮮な懐かしさだった。
鏡に映る顔が他人のように見えることはもっと新鮮だった。



6/10

風邪をひいて熱が出た。
熱が出ると寝るたびに同じ夢を何度もみる。
最近は子供のころと夢の種類こそちがうが起きるまで同じ夢を見つづける。
今回はかなり具体的な内容の夢で
なぜかホーネット250を購入する夢だった。それを100回くらいみた。
こういうときの頭の構造ってどうなってるんだろ。



6/6

ひどい二日酔いになってしまった。
呑んでる最中、どうして気がつかないんだろう。
一生こんなんだろうか。



6/4

NHKで少子化問題を扱った番組をやっている。
女性が生きがいのある仕事をしているので、子供を産むことでそれを失いたくない、という。
人間と人類と、人は都合の良いところで使い分けているけど
上記の例は「個としての人間」を主張して
「生き物としての人類」ということに目を向けていない例だと思う。
「地面に落ちたものを食べない」というのは人間様のわがまま。
食うものなかったら人類として食べるでしょ?
みんな人類という視点で物を考えてみればいーのに。
「人間様」って考え方はちょっと西洋的だぞ。



6/4

芸能人には全然興味がなかった自分が
この1年、ミッチー(及川光博)ファンで通している。
かなりはまっている。
年齢が自分と一緒、デビューも20代後半という遅咲きの割に
オリジナリティーを前面に出して輝いている点に興味がある。
あと、非常に正直だ。
芸術家は素直が一番だと思う。
女子はベイベーと呼んでもらえるが
男子は「男子」としか呼んでもらえない。



6/3

その後、三十路の禁煙は続いている。



5/30

結婚することを決めて実家に電話をかけた。
すると2日ほど留守電だった。
3日目に母親から電話がかかってきた。「今カナダ」。
かなりいー気分らしく、意を決して結婚することの報告をしたら
簡単に「それが良いと思う」といわれ、腹が立った。
だって、良いか悪いかを決めるのは自分であって
母親は喜ぶ役なのに。
本当はもっと喜んで欲しかった。



5/27

先日携帯電話が壊れた。
内部故障で液晶に宇宙文字が表示されるようになってしまった。
ドコモの修理店に持ち込むと2分ほど預かって何やらしらべて
「交換です」と新品をくれたのだが、内部故障なのでデータはほとんどパー。
でも、とんでしまったデータよりも
こんな精密機械がたいしたものではないかのように
簡単に交換になってしまうことがショックだった。



5/26

三十路の禁煙をはじめた。
「禁煙をするためには喫煙が必要なんだ」 と言い訳をしつつ
それを繰り返すこと10数回。
食後の一服は大便をした後尻をふくようなもので
それがないとどうも何かし忘れたような感じだけど
1週間もすれば慣れるだろう。
‥かといって、用足しをした後尻を拭くのを
1週間やめても慣れはしないよなぁ‥。



5/22

今日、20代最後の仕事を終えた。
いつもと変わらない日だった。
年末年始、いつも思うことは大晦日と正月は「昨日と今日」の関係に他ならないのに
なにか特別な1線を越えてしまうような気がしてしまうことなんだけど
今年の5月23日と24日の境はどんな気がするんだろうね。
振り返ってみれば20代は長かった。いろんなことあった。
自分の人生の方針決まったのもこの年代だしね。
明日は20代最後の日。
大会が在るんだけど精一杯がんばろうと思う。



5/19

もうすぐ30歳になってしまう。
この年になると自分のことや社会のことにいろいろ考えることもあるので
日々、思っていることを記録していこうと思います。
不定期更新ということで。