それはどうよの1週間

もともとの予定は
月曜日:船橋のIKEAでショッピング。
火曜日:古い友達と柏で呑み。
水曜日:実家の父母とRyocoとナルキの5人で片品・奥日光の旅
木曜日:片品・奥日光の旅 2日目
金曜日:片品・奥日光の旅 3日目
土曜日:予定なし。東京観光。
日曜日:夕方の飛行機で帰広。
となるはずだった実家帰省の顛末記。

【月曜日】
前日のブログに書いたとおり、IKEAでお買い物。帰りに葛西臨海公園の水族館へ寄って帰ろうかと思っていたけど、丸1日IKEAで満腹な日でした。

【火曜日】
朝方、Ryocoが「腰が痛い」。というわけで、トナミ氏とはRyocoが会いたがっていたのに、結局一人で柏のぶらい庵へ出かけてトナミ氏と呑んできました。いや、楽しかった。

【水曜日】
朝一番でRyocoを連れて整形外科へ行ってみました。痛み止めのブロック注射を打ってもらって立って歩ける程度には回復したので、午後実家の車で家族旅行へ出発!‥したのはよいものの、5分ほど走ったところでRyocoが「やっぱダメかも‥」と。引き返して旅行は中止。宿はキャンセル。
腰の痛みから、車の座席に座っているのも辛い様子。

【木曜日】

ナルキと過ごした1日

病院休診日なのでRyocoは1日中実家で寝て痛みに耐えました。自分もナルキとミルクの支度からシモの世話まで丸1日中一緒に過ごした貴重な日。

【金曜日】
再び朝1番でRyocoを連れて病院へ。前回同様ブロック注射を打ってもらった後、先生に呼ばれて話を伺うと、「入院、場合によっては手術された方がよいと思います。こちらの病院より地元の病院の方が良いでしょう。現状では飛行機・電車で座って帰るのは無理ですから、横になって搬送してください」と言われてしまいました。横になって搬送って‥車?
Ryocoの症状は悪化の一途のようで、帰るなら今すぐという状況です。広島のかかりつけのお医者さんに帰広後に総合病院で診てもらえるよう紹介状を書いてもらうよう連絡。実家のシビックでRyocoを広島まで連れて帰ることにしました。
といってもナルキは長時間車に乗せるわけにもいきませんし、車をまた千葉まで持って帰らなくてはなりません。帰りの飛行機のチケットは日曜日発で2人分取ってあります。診察が終わった後、午前中の間に考えた案は、
1)ナルキは実家に預かってもらってRyocoと二人で千葉から広島まで移動
2)広島で交代要員のドライバーを雇って復路千葉まで
3)ナルキを受け取って、交代要員と日曜日に飛行機で帰広
というわけで復路の交代要員を複数の方に伺ってみたところ、時間的な点で問題のないところでフラトラが快諾してくれました。

13:00 千葉出発。Ryocoはリアシートに横向きに寝ての移動。コレが結構楽な姿勢だったようで、長時間の移動になるけど自宅に転がっているときほど苦しくなさそうなのが救い。
15:00 夜中なら1時間で東京脱出できるところを、平日の日中だったので首都高の渋滞で1時間以上ロスして東京脱出。
19:00 東名自動車道岡崎インター手前で70分渋滞。伊勢湾岸自動車道へ。
20:30 東名阪自動車道で対向車線の事故見物渋滞60分。新名神自動車道へ。
23:00 山陽自動車道へ。このあたりでずっと起きて付き合ってくれていたRyocoがさすがにダウン。自分も余計な感覚は一切捨てて淡々と運転するドライビングマシンモードへ。
26:30 黙々と走り続けて広島到着。Ryoco実家でお義母さんがビールとおじやを用意して待っていてくれていました。不思議なのは道すがら、眠さからまぶたが閉じようと1度もしなかったこと。到着しても復路も含めるとまだまだ先は長いという気持ちの昂ぶりからか、全く眠さを感じませんでしたが、ゆっくりとビールを350ml流し込んだら徐々に眠れる体制になってきてオチました。

【土曜日】
何度か目が覚めましたが8時くらいまで無理して寝て出発の準備。
実家帰省のための荷物は車にほとんど積んで戻ったので、必要なものだけ取り出して一旦自宅へ。

13:00 フラトラ邸へお迎え。岩国インターから高速に入って、宮島SAで運転をフラトラに交代。ちなみにこの時点でフラトラは広島-東京間の距離感なし。
15:30 岡山通過。岡山も遠いねぇ~といった会話。
16:30 神戸ジャンクションで中国道へ。中国道に入って即事故渋滞1時間半。このあたりで先の長さにフラトラ、気づき始める。渋滞抜けても「まだ半分きてないの!?」といった会話。

ドーナッツ雲
18:00 万博公園付近で空に巨大なドーナッツ発見。
19:30 大津SAで日暮れ。琵琶湖を眺めながら黄昏る。この時点でまだ復路の半分来ていない。フラトラ、東京まで自力で運転すると腹を決めたらしい。
20:30 ガラガラの新名神を抜けて伊勢湾岸自動車道へ。高速沿いのナガシマスパーランドは花火の真っ最中で、道路に破片がバラバラと落ちてくる超至近距離で豪快に打ちあがる花火を見物。その後も連続する巨大橋や眼下にひろがる都会の光景を楽しみながらしばらく走行。24時間前もこの辺走ってたなぁ‥と妙な感慨。
21:00 東名高速道路へ。ここから先は分岐が無いと分かると「ツガさん、寝ていいですよ」と強気の発言。フラトラ、ドライビングマシンモードへ突入。
24:30 東京インター通過。首都高へ入ったあたりからフラトラ興奮してきたので、レインボーブリッジを渡って湾岸線経由でプチ東京観光をして常磐道へ。「これまでの900km(の疲れ)が吹っ飛びました」と。

晩酌セット
25:45 実家帰着。ビールと一緒になぜかハマチの刺身などが用意されていた‥。

【日曜日】
実家の車に父母・ナルキ・フラトラと乗って、羽田空港まで。夜とは違った東京の風景にフラトラ興奮気味。
出発時刻の2時間前に到着したものの、展望台から飛行機を見たり空港内をウロウロしているとあっという間に時間は過ぎて、手荷物を預けてた後はほとんど待ち時間の無いペースで搭乗。定刻に少し遅れて羽田を離陸、これまでの東京-広島間の1往復を思うと、あれってナンだったの!?と思わずにはいられない時間で広島到着。ナルキはほとんど寝てました。
搭乗記念のおみやげと
空港からは駐車場に置いておいた車に乗ってラクラク帰広。ナルキを宮島SAでお義母さんにお預けして、フラトラと岩国インターまで。フラトラはその後家族サービスだそうで、ほんとにご苦労様です。おせわになりました。

【月曜日】
ドナドナちう

午前中は有給休暇をいただいて、Ryocoを近所の総合病院へ連れて行ったところ、MRIを撮ってみてその結果で処置を決めましょうということで入院決定。RyocoがMRI室に連れて行かれたところで自分は出勤しました。

ヘルニアの様子

仕事を始めて1時間ほど経って、病院から「緊急手術することになりました。先生からお話がありますので来院してください」と連絡を受け、とんぼ返りです。画像診断の結果、「ヘルニアが巨大で、神経の圧迫からするといつ泌尿器への障害が起こってもおかしくない。盆になると手術ができないので、今日施術してしまいましょう」ということで手術・入院ということになりました。

摘出物

手術を待つこと2時間半、結局通常なら大きくても2gほどのヘルニアを4.3g摘出したとのこと。

という経過で慌しいにも程があるような夏休みでした。あんまりに慌し過ぎて通常の生活に復帰するのに時間がかかりそう。なによりナルキをRyoco実家へ預けて一人暮らしというのがなんとも寂しくてつかみどころのない感じ。

8 Comments

カブ

凄まじい夏休みお疲れ様でした!フラトラもグッジョブw
リョーコさんの緊急手術も心配ですね
僕も高校2年の時に椎間板ヘルニアやりました、あの時の痛みは思い出しただけで寒気がします
手術をして一ヶ月半入院、お陰で今では3時間耐久にも耐えられる身体になりましたw
術後の安静が鍵ではないかと…リョーコさんお大事に!お父さん頑張って!

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つがたく

アドバイスありがとうございます。3時間耐久は説得力がありますねー。
今回せっかく手術したわけですから、完全に直してしまって、またあちこち出掛けられるようにしたいです。

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フラトラ

毎度~
双方のご両親によろしく言っておいていただけますか?
大変な事態なのに気楽な格好でのんきに過ごさせて頂きました。

なんか興奮しっぱなしで思い出せば恥ずかしい…

Ryocoさんお大事に。焦らずじっくり治してくださいね~

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tac

この度は奥様大変でしたね。
といいつつ我が家も、この夏手術、入院でした。
小さなお子さんがおられたら、なおさら大変でしょうが
手術成功の由、もう少し頑張っていきましょう。

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若松

お久しぶりです。ちょくちょくROMってはいたのですが・・・・。大変でしたね。私はというと結局東京に居着いて11年目になります。予め今回の危機的状況を知っていれば、ウチにはLLサイズのワゴンが1台と往復2千キロくらいなら全然平気な人相の悪い元長距離ドライバーが1名いたのに・・・・・・(笑) こちらで何か困ったことがあったときはいつでも声を掛けて下さいな。Ryocoさん、くれぐれもお大事に。

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tac

(コメントうまく載らなくて再送です。)

この度は奥様大変でした。
といいつつ、我が家も同様でしたが・・・
手術成功したとのこと、早く回復されることを願っております。
(お子さん小さいし大変さは我が家以上でしょうが、頑張りましょう。)

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つがたく

>フラトラ
双方のご両親から、大変評価されております。
うちの母は「よい友達を持って幸せですね」と手紙をくれました。

>tacさん
こういう経験をすると家族や人のつながりのありがたさがよくわかりますね。
こどもはRyocoの実家で預かってもらっているので、僕はホントに独り者状態でございます。

>若松アニキ
お久しぶりです。ホントお久しぶりです。
中央分離帯に転がってる色水の入ったペットボトルを見る度に、
またFF車で前荷重気味にコーナリングする度に、
また岩国-大竹間の路面の盛り上がっているところを通る度にアニキを思い出します。
お元気そうで。またお会いしましょうね。

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若松

わはははは。何も色水で思い出さんでも(笑)
すごく幸せなことに天職と呼べる仕事に出会うことができ、ちょうど5年前に独立しました。そんなわけで比較的時間の融通がききますので、帰省された折には是非声を掛けて下さい。

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