俺のジムカーナ

1980年代

上のビデオは僕がジムカーナを知った頃のもの(出場はしていません)。

僕が初めて二輪のジムカーナ競技を知ったのは1980年代の終わり頃、大学生の時にお世話になっていたカワサキのショップで当時のKAZEのジムカーナ大会のビデオを見たことからでした。そのビデオでは一般の人が絶対にクリアできないような狭小ターンセクションなどがあって、そんな中をナナハンがクルリと回っているのを見て、こりゃ無縁な世界だな‥と思って峠道を走っていました。

1990年代前半

1992年、大学卒業を控えた1月、東京小平市の教習所で二輪講習会があるということでVFR750Fで参加して、初めてコーススラロームをしました。それまでは峠一本でしたが、狭いコースをローギアだけで思い切り走り回るのもなかなか楽しめることを知って、府中試験場で白バイ先導で走る講習会にも参加。コーススラロームやタイム計測の面白さを体験したところで就職のために広島へ引っ越し。

1992年11月、職場の方とコーススラロームの話になって「それならカワサキの安全講習会が広島中央自動車学校で開催されるよ」という話を聞いて広島で初参加。そこにその年に亡くなった長谷部さんという全国区のジムカーナライダーの葬儀にカワサキが香典を出されたお礼に、と広島ジムカーナクラブ(以下HGC)の山田さんらが来られていて、僕の走りをみて「あんた、ジムカーナやらんか」と誘ってくれました。僕の人生が変わる運命の出会いでした。

この年、当時最新機種だった黄色いCB400SFに乗った佐藤さんも僕より少し前にHGCへ入っていたことを、初めて参加したHGC練習会で知ります。

1993年からHGCのイベント運営に携わりました。HGCと同時期に設立された関西のGRAいう団体も、ジムカーナのイベントを参加者全員で作り上げていくというスタンスでした。当時から運営側・選手側と分かれて開催されていた関東のイベントとは違い西日本のこの運営方法は、参加選手がイベント運営のノウハウを学び、将来的に各地域で自発的なイベント運営ができるための芽を育てることにつながる、という意味合いが強かったように思います。実際、その後関西や広島だけでなく山口、福岡、徳島、愛媛でそれぞれの団体によるイベント運営が始まりました。

90年代前半は関西のGRAの大会が非常に大きな大会でした。山陽自動車道が全線開通していない時代で、広島からだと高速道路に乗ったり一般道路に降りたりを繰り返しながら結構な時間と手間をかけて遠征をしていました。僕にとって初めてのGRAの大会には関東からも多くの選手が参加していて、ノーマルにちょっと色を加えたような西日本勢に対して、スイングアームを切り詰めたゼファー750など魔改造マシンが多数。タイヤウォーマーを使っていたりして、西とは違う世界だな、と思いました。この日の大会はゼファーの作田さんが優勝されました。

年数戦のGRAの大会、年1戦のHGCの大会が西日本のメジャー大会でした。広島は土地柄的に西日本の中央だったことから中四国九州近畿から参加者が集まり、最大で140名の参戦となった大会を開催したことがあります。

VFR750Fで始めたジムカーナですが、関西の大会や地元の大会を経て、もう少し軽いバイクで走ってみたいという思いが募ってきました。このころ西日本では小林さんが圧倒的な強さを見せていたので、BROSに乗り換える人がたくさんいました。関東ではNSR250をジムカーナに持ち込んでいる選手がいるという噂が流れてきて「レーサーレプリカをジムカーナで使う?ハンドルも切れないのに?」と初めは信じられないという思いでしたが、遠藤さんが連戦戦勝、ここから20年以上続くNSR時代の幕が開けました。

僕は2ストを所有したことがなかったので今ひとつNSRを信用できず、それでもレーサーレプリカの戦力を試してみようとVFR400R(NC30)を次の車両に選びました。後ろシリンダの冷却と車体のバンク角の浅さに悩みましたが、それまでVFR750Fではできなかったことがいろいろできるようになり、ツガターンなどの小技もここでできるようになりました。バンク角の浅さから寝かさずに曲げるという(悪い)癖もここでついてしまったように思います。

Illustrator、Photoshopもコース図を作成するために使い始めました。当時Illustrator5.5J、Photoshopは2.5Jだったと思います。

愛媛でもジムカーナ大会が始まる、ということで山田さん達と遠征を始めたのも90年代前半のことです。以来、ほぼ休むことなく年3戦の愛媛大会には参加させていただきました。アウェイで全力を出す、というのはメンタル面でもとても力になったと思います。

1990年代後半

このころ九州の小林さん(Bros)、山口の橋本さん(NSR)、広島の僕(VFR)が常に上位争いをしていました。1996年12月、兵庫県でダンロップ杯のスペシャルステージが開催され、小林・橋本・僕はNOクラスで出場して105%を切り、3人がB級昇格となりました。

翌年1997年夏のダンロップ杯(錦ケ原自動車教習所)にもキャンプツーリングの自走で参加して104%台、地方のスペシャルステージではなくて東京の本大会でも正式に105%切りができました。帰りのツーリング機材を取り付けていると、作田さんに「はぁ、自走で来たの!?」と言われた覚えがありますw

この時代は作田さんのCBR600F3が荒ぶっていた時代でした。ナナハン並みのパワーがありながら取り回しは400cc並み、というのが魅力の600ccですが、当時はまだ国内販売されていない時代で、逆輸入頼り。VFR400Rのパワー不足を感じていたので乗り換えを考えていましたが、薄給で生活していたので逆輸入車に手を出すことができませんでした。そこにホンダがHornet600を国内販売する、ということで迷わず購入しました。ところが国内販売のHornet600はフロントタイヤが16インチで、この癖に馴染むことができず成績を落とすことになります。

そのころHGCの内部では新しく参入したメンバーの競技志向と古いメンバーの安全運転系志向とで意見の食い違いが起こったり、義務的な運営に不満が出たり、という問題が起きていました。佐藤さんと僕は1997年にTractionというチームを作って競技志向の人たちと一緒に独立しました。設立当初、長く続けるために掲げた社是(?)は「個人が持ち出しをしない」「義務感を感じたら解散」。1998年から広島で競技向けのイベント運営を始めました。

1999年だったと思いますが、佐藤さんの乗っていたNSR250R(MC28)を譲ってもらってHornetは御普段用、NSRはジムカーナ用と、ここで初めてオンロードバイク2台体制になります。それまではジムカーナ用マシンもツーリングマシンも同じバイクで兼用でした。

2000年代

2000年に関東へ引っ越し、4年間ほど関東生活をしました。それまでべったりとジムカーナ仲間に囲まれて生活をしていた環境から単発の関東、この年始まったジムカーナJAPANで西日本勢と会うのが唯一の楽しみな感じ。関東では練習会にも参加せず、大会も気が向いたら出場するという感じで、出ればポイントをとってはいましたがA級を目指そうという熱もなく‥といった感じでした。午前折り返しで永井さん・作田さんに続いて総合3位だったこともあります。それでも毎回大会に参加しようと思うほど盛り上がらず、Hornetから乗り換えたTDM900が面白くてもっぱら北関東や信州をツーリングばかりしていました。そのうちNSRのチャンバーの排気口によくわからない虫が繭をつくってしまうくらいNSRの出番がなくなりました。

2004年に広島に戻りました。

その頃には600ccクラスも手に入りやすい車両になっていたので、CBR600F4に乗り換えて数年走りましたが、ジムカーナJAPANで一発書きで美しい字を描くようにヒラヒラと走って恐ろしいタイムを出すトミーの走りに魅了されて、またNSRに乗り換えることにしました。もともとNSRはペンタックスカラーが好きだったので、ペンタックスカラーを3台、部品取りにもう1台調達しました。当時はヤフオクで20万円そこそこでちゃんと走れる車両が手に入っていました。

2010年代

Tractionの練習会・大会の会場として長い間中央自動車学校を使わせていただきましたが、学校側の事情で借りづらくなってしまったので広島県自動車学校や三次自動車学校、アサヒテングストンスキー場駐車場などでの開催になりました。そのうち広島県内の自動車学校では競技系のイベントが開催できなくなってしまったので、広島からだと1時間ほどの距離になるアサヒテングストンのみの開催が2年続きました。広い会場で音の問題もなく、綺麗な宿泊施設も併設されていて大会前日練習後の宿泊会場として利用させていただきました。そのころ広島西飛行場が閉鎖となって貸し出しをしていただけることになったのでアクセスの利便性からそちらに絞った開催を3年ほど続けました。

広島に戻ってきてからNSRに乗り換えて9年ほど乗ったところで、人間のフィジカル的な面からパワー感を扱いきれていない感じがしてきて、もう少しパワーの抑えたマシンで「趣味のジムカーナ」を始めようと思いました。乗り換えて盆栽にするなら誰も乗っていなくてカッコイイマシンが良いなと思って、検討したのはKTMのRC390。ところが12月にKTMの試乗会へ行って現車を見たら溶接など作りの荒さに驚き‥。その年の夏にツーリング帰りのGROMで九州のジムカーナ大会に出場したところ、驚くほど良い走りができたので、冗談半分でGROMを作ってみようともう1台購入して手を入れ始めました。本当に125ccで勝てるとは思っていませんでしたし、冗談半分でGROMにしてRC390を購入する値段分はGROMに手を入れてやろうと思っただけなのです。結果、恐ろしく化けてしばらく大会では無双状態。でも12インチ車でタイムが出せても実は手放しで嬉しいとは思っておらず、外から見てミニバイクが毎回トップをとるというのもジムカーナの門戸が狭くなるだろうと感じていました。

基本的にイベント機材一式は自宅管理で、イベントがある度にバイクと機材の積み込み積み下ろしを繰り返すことになります。車もノアからハイエースに変わりましたが、機材はなるべくコンパクトにして、必要最低限の量で運営を続けてきました。「義務感を伴わないで続ける」というTraction設立当時のスタンスから極力ミニマム運営で続けてきたのですが、それでも正直だんだん負担を感じるようになってきました。ある日、雨予報イベント開催で広島からの参加者が0人でした。それでも機材を設置しなくてはならないことに強烈な義務感を感じ始めました。ちょうどそのころ広島県が飛行場跡地の貸し出しが次年度からできなくなるという連絡が入り、新たな会場探しにも腰があがらず、Tractionのイベント運営はここで休止状態に入りました。ジムカーナJAPANの中国代表の選考も、岡山でイベントの成功しているつなくんに譲りました。

GROMは小さくて軽いので、体力がなくてもそこそこスムーズに走らせるだけでタイムが出ます。おかげでもう勝ち負けにこだわって走るのはもうやめようかと思っていたのも、少しだけ延命できました。でも、改造エンジンに高負荷をかけて走り回ることが重なって大会中にエンジンブローしてしまいました。その1ヶ月後の大会にはもう1台のGROMのエンジンを載せ替えて出場しましたが、もうGROMは降りても良いかと思って次の車両を考えます。

2020年代

その頃ジムカーナで一番人気はVTR250で、この汎用バイクがどのくらい化けるのか試してみようと調達してきました。これが結構良い仕上がりになってさぁこれから、というところでコロナ禍が始まります。大会に参加する機会がガクンと減り、モチベーションもダウン‥CB250Rに乗り換えてテコ入れを図りましたが、思いの外コロナ禍が長引いて気持ちよく大会へ出場することができず、CBを作ろうにも練習会にも参加できずで、ただ車両を持っているだけ、になってしまいました。

大会は順位よりも自分の持っているものを絞り出せたか出せなかったか、というのが第一で、これまでは絞り出せていれば優勝、という感じでしたが、最近はみんな速くなってきたので、持っているものを本当にギリギリまで絞り出さないと勝負もさせてもらえないような大会が続きました。出かける機会もずいぶん減って本番の2本で全部絞り出すテンションまでマシンもフィジカルもメンタルも最高に尖った状態で整え続けるのも非常に難しい状態です。中途半端な記念参加、というのも本意じゃないし、ジムカーナは僕の中にある半固形状の「闘うペースト」を詰め込んだラミネートチューブだと思っているので、それを最後まで絞り出しきれないようなものはもう、俺のジムカーナじゃない。

というわけで競技用車両を手放しました。ジムカーナに参加しはじめてちょうど30年。また勝負したい!と思う日が来ると良いなとは思っています。

9 Comments

tsugataku

>take1さん
タイミングが合えばGROM対決もできたのになぁ‥って思いながら、GROMでのご活躍を結構楽しみに見ています。バイク買ったらまたどうぞよろしくお願いします!

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作田

俺のジムカーナかー
自分も書いてみようかなー

こう見ると津賀さんとは濃くはないけど長い付き合いですね。ツーリングでも会ったりしてね!
自分は60歳を期にトップ争いから退いて、自分を表現する場として走り続けようと思ってます

また何処かでお会いして昔話に花を咲かせられたら嬉しいです。今年も愛媛行くので会場でお待ちしてますねー(笑)

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tsugataku

>作田さん
作田さんが自伝書いたら、本になるボリュームでしょうね‥。時代を作っていくのを目の当たりにさせていただいて、とても楽しかったですし、ジムカーナ以外でもお付き合いいただいてありがとうございますw またお会いすると思いますがどうぞよろしくお願いします。

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和宏

長文失礼しますが、旋回に関する以下の考察について感想をくださると幸いです
①旋回中のバイクのライダーの体重は、実ロール角(バンク角)が30度で11.8%増、45度で41.4%増となります。制動時、加速時も同様です。
②この体重は体幹と膝や踵や太腿で支えます。腕で支えるとセルフステアを殺したり、ハンドル操作を誤って転倒する原因になります。
→③上達には体幹強化が必須
→④直線路で片手での緩加速と緩制動の練習から始めるのが有効かも
⑤タイヤグリップ最大のまま、旋回半径を小さくすると、タイヤ接地点に作用する遠心力が同じでも、ライダーに作用する遠心力は小さくなるので、体幹の筋肉疲労や腰砕け転倒を回避できます。
→⑥頑張った感なしで好タイムが得られるかも
⑦角運動量保存の法則により、車体やライダーの重心を旋回中心に寄せるほどに角速度(単位時間当たりの回転角度)が増加します。
→⑧深いロール角が旋回時間の短縮に有効とは限らない
⑨旋回中心は、微速時はリアアクスルの延長線とフロントアクスルの延長線の交点ですが、旋回半径(速度)が大きくなるにつれて前に移動します。この前進角度がスリップアングルで、アスファルト路面では約10度で最大摩擦力が発生するとされています。
⑬ウィキペディアでは「スリップアングル(横すべり角)は車輪が向いている方向と実際に車輪が進行している方向との間の角度であり(中略)この横すべり角によって旋回求心力(コーナリングフォース)が生まれる」とされています。
⑭具体的には、旋回中に発生する慣性力(遠心力)は、タイヤ接地面を旋回内側が膨らんだ「柿の種」状に変形させると共に、接地面付近のタイヤ側面(サイドウォール)を旋回内側に撓ませ、この変形と撓みへの反発力が旋回求心力になると考えられます。
⑩旋回中心がリアタイヤ寄り(小旋回時)のときは重心が後ろのほうが旋回角速度は大きく、⑪旋回半径(速度)が大きくなるほどに旋回中心は前側に移動するので前重心の膝すりやハングオフが有効になります。
⑫近年のSSのシート高が高くなってきているのは、切り返しの重さと引き換えに、ロールさせたときのライダーの重心を旋回中心に近づけることで角速度を大きくするためと考えられます。

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通りすがりのジム屋

やけに難しい言葉並べてますが貴方はつまりどうなりたいんですか?

上手くなりたいのなら御託並べずに8の字GPを30秒切りチャレンジしてみてください。話はそれから

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tsugataku

素直に感想でお返しいたします。

①ライダーの体重は、バンク角30度で15.4%増、45度で41.4%増となります。

→そうなんですね。

②体重は体幹と膝や踵や太腿で支えます。

→仰る通りです。

③上達には体幹強化が必須

→僕も現役時代体幹が妙に強かったので、鍛えているつもりはありませんがバイクに乗り続けることで自然と体幹が強くなったのだと思います。

④直線路で片手での緩加速と緩制動の練習

→体幹を鍛えることだけにフォーカスすればそれもあるかと思います。ライディングに関わる体幹全般で考えるなら(トータルでタイムを削るなら)荷重のかかるコーナリングやバイクを降りての体幹トレーニングなど複合的に鍛えると良いです。

⑤旋回半径を小さくするとライダーに作用する遠心力は小さくなるので、体幹の筋肉疲労や腰砕け転倒を回避できます。

→バンク中はライダーの重心の方がバイクの重心より内側になって遠心力による負担は減るので仰る通りでしょうが、ジムカーナではそれも長時間連続するわけではないので体幹の筋肉疲労を感じるほど走るには相当な時間の走行が必要です。ジムカーナはタイム計測/コーススラロームいずれも2時間連続コース外に出ずに走りっぱなしということはなく、コースから出た時点で休息が入るためそれほどヘヴィーに考えなくても良いのではないでしょうか(ロードレースと違って休憩が自由にできる)。

⑥頑張った感なしで好タイムが得られるかも

→筋肉で走るわけではないので、私見と持論ですがライン取りについて真剣に考える方が肉体疲労を考えるよりも頑張った感なしでタイムが稼げると思います。
バンクに堪える筋肉量が多ければタイムに繋がる、というわけではないということです。

⑦重心を旋回中心に寄せるほどに角速度が増加します。

→タイヤの形状とバイクの構造からしてそうなると思います。

⑧深いロール角が旋回時間の短縮に有効とは限らない

→理屈で言うとそうかもしれません。ジムカーナに関して言えばロールし続ける時間が長いわけではないので、自分の走りやすいコーナリングスタイルで走るというので良いのではないでしょうか。自分にできないことはできませんし。

⑨旋回中心は‥約10度で最大摩擦力が発生するとされています。

→そうなんですね。

⑬横すべり角によって旋回求心力が生まれるとされています。

→そうなんですね。

⑭変形と撓みへの反発力が旋回求心力になると考えられます。

→そうなんですね。

⑩旋回中心がリアタイヤ寄りのときは重心が後ろのほうが旋回角速度は大きく

→昔のZ750時代のジムカーナビデオなどを見ると顕著にそれを感じます。

⑪旋回半径が大きくなるほどに前重心の膝すりやハングオフが有効になります。

→そうなんですね。

⑫近年のSSのシート高が高くなってきているのは角速度を大きくするためと考えられます。

→そうなんですね。

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結局、お話全体で何を軸にお答えすればがよくわからないのでご質問の冒頭に書かれていた通り僕の「感想」で、またタイム短縮に軸足を置いてお答えしたつもりです。ジムカーナでタイムを削ることを考えるのであればオートバイが曲がる仕組みや理屈について理解を深めてもそれが即ライディングに反映できるわけではないので、ライダー自身が実際にバイクに乗る経験から得た「受け皿」に上記の知識を軽く添えて考えるというくらいで良いのではないかと思います。なので、まずは受け皿を広げることが肝要です(走って、経験しろ、ということです)。お答えになっていれば幸いです。

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和宏

ご感想をありがとうございます。なお、改訂版をhttp://nirinnkouenn02.blog.jp/
にあげましたのでお暇な時にご覧いただければ幸いです。

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