680DUKE 雨ツーリング

特に目的もなく高速に乗って西へ向かいました。天気が良ければ角島まで行って昼には帰ってこようかなと周南で高速を降りて山口市方面へ。沿岸部は太陽が昇ってからそれなりに気持ちの良い気温になりましたが、ひと山越えたら気温ひと桁。

途中でまだ拾っていないキャッシュに立ち寄りました。雨田(うでん)公園というところ。

雨田草庵という明治期の建物。建物がどうこういうわけじゃないのですが、

この縁側の木の組み方は面白い。

ゲト。実は一回諦めて帰ろうかと思った。

数年前に見つけられなかった道の駅 仁保の郷のキャッシュ。

その近く、山口といえばこのKDDIのパラボラアンテナ(僕的に)。

大きいものは直径30m以上。一番大きなものは通信用ではなく電波望遠鏡として国立天文台に提供して使っているそうです。

見学したい‥子供をダシにまた来よう。

仮面ライダーや戦隊モノの怪人が現れて爆発が起こりそうなところ。

ダムがあったので立ち寄って見たら‥残念。

でも、ダム上からの景色は抜群に良かったです。

走りながらふと山肌を見ると‥

カルストの石灰岩の露頭でした。ストリートビューで見てみると2013年の映像では草が多くて石灰岩が見えていません。こういうのも運とかタイミングですね。

この時点で最高に天気が良いのですが、日本海側から雨雲が流れてきそうだったので角島を諦めて帰る方向へ切り替えました。

が、途中から雨に降られ始めたので濡れるついでにまだ訪問していないキャッシュを巡って日本海まで。沖合の夫婦岩にあやかって鐘を鳴らすことで夫婦の円満を祈願する‥と。そういえば今日は結婚記念日だったわ。

大板山たたら製鉄遺跡の山へ。もう土砂降りです。

雨宿りついでに学習館へ。15分のビデオ映像を見て、話好きの案内のおばさんに30分付き合えるくらい急がない旅になりました。おかげでたたらについて結構詳しくなれましたよ。

伺った中で面白かった話。この場所は30年ほどの間をあけて3回ほどたたら製鉄の場として使われたそうです。なぜ30年あけるかというと製鉄のためには砂鉄と混ぜる大量の木炭が必要で、近隣の木を切り尽くしてしまうため、森が復活するまでに30年ほど間を開ける、というわけです。砂鉄はここで採れるわけではなくわざわざ遠く浜田から船と馬で運んできました。木炭の材料となる木材は密度の高い砂鉄に比べると半端なく量が嵩張るため、木を運ぶより砂鉄を運ぶ方がまだ効率が良い、ということで木材が豊富で冷却用の水の使える山間部にたたら製鉄場が作られていったそうです。鉄を作る職人集団は木材を使い切ったら別のたたら製鉄所へ移動して現地住み込みで製鉄する生活であったとのこと。

ふいごを踏む人を「番子」と呼んでいました。三交代で24時間踏み続けました。そこから順番に入れ替えることを意味する「かわり番子」の語源になったと言われています。

これ、砂鉄から精製した鉄塊。見た目以上に重いです。赤く囲まれたところが上質な玉鋼で日本刀などの原料になるところ。黄色で囲まれたところが2級品で、この辺りは家庭用の包丁などの原料になったそうです。

いや、意外と面白かった。

山を降りたところにマリア観音のあるお寺が。切支丹弾圧で山口を追われた宣教師が隠れ住んだ土地とのことで、周辺にも切支丹由来の遺構が点在しています。

朝からご飯食べてなかったので、津和野の俺の食堂へ寄りましたが‥満席でした。

結局9時間のツーリング中、5時間が雨。DUKEはね、ダラダラ走るツーリングよりキビキビ走る短距離徘徊の方が面白いね。実際、ロングツーリングできないわけじゃないですが、エンジン特性的に定速走行よりもメリハリつけた走りを続ける方が気分的に楽です。でもね、今日のツーリングでも尻は全く痛くなりませんでした。

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