呉海軍工廠 亀ヶ首試射場跡

2020年8月8日は戦艦大和進水80周年ということで、昨年から呉では「ハチハチハチマル作戦」という大和にちなんだキャンペーンが始まっていました。そのなかのひとつ、倉橋島の「呉海軍工廠 亀ヶ首試射場跡」を巡るツアーが企画されていたのであやのすけさんと参加してきました。

過去に広島湾界隈の戦争遺構は趣味というよりは半ば使命感を持って(というのはジオキャッシュの設置のために)精力的に巡ってきましたが、亀ヶ首試射場跡は陸路での訪問が難しく(※ガイドの方が「不可能ではない」と言われていました)、シーカヤックでも買って海からアプローチでもするか‥と思っていたところにこの企画、まさに「渡りに船」の参加となりました。

台風接近の最中、天候に期待はしていませんでしたが、まさかの好天。音戸大橋をくぐって呉湾を脱出します。

60名ほど乗ったチャーター船で40分ほど、現地到着。なんかとても地味だぞ‥。

海に2本桟橋が突き出しています。そのうちの1本に船の舳先を付けて上陸。この2本の桟橋は当時レールが敷かれ、ガントリークレーンがこの桟橋の中に入ってきた船から砲身などの重量物を釣り上げて試射場まで運ぶという構造だったようです。

今はのどかな風景になっていますが、当時は機密中の機密の試射場跡。

試験する砲の威力が増すことで亡くなられた方もいらっしゃったということです。慰霊碑が建っています。ガイドの方の本職がお坊さんなので読経の間合掌。

もともと完全放置されて自然に還りかけていたところを、2006年から倉橋観光ボランティアガイドの方々がジャングルを切り拓いて一応人が歩くことはできる状態に。その甲斐あって亀ヶ首試射場跡は日本遺産に認定されました。

では、ジャングルへ‥。

当時の食堂。

少し前までは地元の中学校がこの辺りをキャンプに使っていたということで、人の入った様子(らくがき)があちらこちらにみられます。

炊事場跡。当然カマド。

照明もなにもないので薄暗いです。割とこの時代の宿舎系の建物って壁はコンクリートや石造りで屋根は木製というものが多い中、この建物は屋根までコンクリート製の今風な作りになっています。

木製の窓枠がはまっていたようで、その残骸も転がっていました。

仕切って使っていたのでしょうか。

さらにその奥へ。

煉瓦造りの兵舎のような建物が見えてきました。事務所と高等官の居住していた建物だそうです。

モルタルとのハイブリッドが多い中、この建物は外側はレンガ造りです。

あやのすけさん、冒険家みたいでかっこいいぞ。

屋根は抜け落ちています。亀ヶ首試射場跡には戦争終了時にオーストラリア軍が入って(再利用できないように)施設の破壊をしたとのことです。

すごいぞ、ラピュタは本当にあったんだ。と言いたくなるような荒廃ぶり。

それがまた非常にオサレ。

周囲の山が崩れて一部に土が流入しているせいで、本来なら立って通れる通路もしゃがまないとくぐれなくなっています。

さて、ここは砲台跡などの他の史跡とは明らかに違う用途で作られた亀ヶ首「試射場」跡なので、その真髄といえる施設が山の斜面に掘り込まれています。検測所という施設で、試射した砲弾の速度を検出するための機器が置かれていた場所とのことです。

呉市が出資して設置したという案内板。こちらには「検速所」と書かれています。検測所と書かれている文献もあってどちらが正しいのか分かりませんが、いずれにしても砲弾の初速を測る施設であったことは間違いないようです。

ちょっと特殊な形状。

二重のトンネル構造になっているのは計測機が砲撃の衝撃の影響を受けないようにするための構造。さらに試射場とここの間にも人工の土手を2つ築いて影響を受けないようにしてありました。

リブで二重のトンネルが繋がっています。大きなコウモリの棲家になっていました。

現在は土の流入があります。

人工の土手のひとつ。この土手の向こうが試射場のビーチ。穴蔵は砲弾や火薬を運搬したトロッコが通っていたトンネルで、左側のアーチが計測機が置かれていたり避難壕として使っていたようです。

トンネルのビーチ側。ビーチといっても葦が繁り放題で、試射場の様子は全く分かりませんでした。ビーチから海へ向けて砲弾を発射して、砲弾が2つの計測アンテナ(だったか金網)を通過する速度から射程を見極めた、とのことです。ちなみに大型の砲になると砲弾は数十km飛翔するので、地形的に四国方面の海が大きく開けたこの場所が試射場となりました。

土手へのぼる階段。周囲は進駐してきた軍による破壊の後が生々しい。

すみません、出所不明の図です。今回見学したのはトンネルと書かれた箇所から東側。

なお、より詳しい説明はこちらからどうぞ。

動画も探すと結構見つかります。

メインの探訪が終わって呉へ戻ります。二つの音戸大橋。

帰路、終戦時に呉湾周辺にいた艦船の停泊地をいくつか巡るツアーになりました。

三ツ子島、塩の山の島です。

塩の島は対岸の倉橋島からでも見ることができますが、島の反対側に塩を運んできた扁平な輸送船が停泊しているのが見えました。

船窓にかぶりついて何が見ているのかというと、

至近距離に潜水艦。船長の計らいでキャビンの外へ出してもらえました。

最新型のそうりゅう型潜水艦。結構な至近距離で航行している潜水艦を見ることができました。

普段は「呉湾艦船巡り」という海上観光を行なっている業者さんの船なので、呉の海上自衛隊の艦船にかなり近づいてガイドしていただきました。この日、翌日の台風被害を避けるために港を出て海上避難する船が次々に出港する様子が見られ、「とても珍しい」日だったそうです。

さまざまな護衛艦や練習艦が出入りする間を、タグボートや緩衝浮きをくっつけた小型船がキビキビ動く様子も楽しめました。

いや、満足です。予定時間を大幅にオーバーして呉に帰着。

大和ミュージアム前の大和波止場。あやのすけさんのお立ちになっているのは大和の副砲から屁先の左半分の甲板を実寸で再現した公園の主砲のわき。

この公園、考えた人頭いいと思います。戦艦大和のスケール感がよく伝わります。

身近なところに見るべきものがたくさんあるというのは、これまでいろんなところを突きまくって実感しているところですが、まだまだ驚きやら感激やらが味わえるスケールの大きなものがあるもんだとそのこと自体にも感激しました。

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