思想の視覚化されたものに対して

12月中旬に東京出張があるので、週末であることも活かして美術館などを巡るつもりです。出張期間中どういった展示があるものかと調べていたら、国立近代美術館で「河口龍夫展 言葉・時間・生命」が開催されているようなので楽しみにしています。
僕は絵画(日本画)専攻でしたが、手間暇かけて超絶技巧で描かれた作品だけでなく、サクっとあっさり作られたインスタレーションにも強く惹かれることが多いです。むしろそちらの方が良い作品に出合った際「やられた!」感を強く受けます。このことを自分の言葉で説明しようとすると、タラタラと長い説明になってしまいそうなのですが、ピタゴラ装置を研究している慶応大学の佐藤雅彦教授の言葉にシンプルに分かりやすく解釈された言葉があったので、引用しておきます。

それは、誰もが持っている『言語化されていない面白さを素直に感じる能力』を自ら放棄することにもなり、世の中の文脈に依存した生き方につながってしまうと感じるからです。
(小学館 ピタゴラ装置DVDブック2より)

僕の「やられた!」感は、この言語化されていない面白さを表現したものに「凄い!」と反応しているもので、技巧的な作品への感激はどちらかというと世の中の文脈に依存した上手さへの反応というものに近いように思います。

空間芸術は、特に写真や疑似体験では伝えられない力を持っているように感じます。自分がそれを見るのではなく、自分がそれのある空間に包まれている実感というものが大事なんでしょうね。

2 Comments

単二

を。上京されるんですね。
お目にかかれる時間があると良いのだけどなぁ。
無理かなぁ。

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