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2008-04

ジムカーナ(ひさびさ‥)

とてもひさしぶりにジムカーナをした気がします。いけませんねぇ。
タイヤが新品できもちよかったので(いや、走行時間の割り当てが短いからか‥)調子に乗って走ってみました。サントポスのサーキット走行の余韻がまだあるのか、いつもは2速に入るトコは楽しくないのに、今回はシフトチェンジのタイミングを研究する気になったりして、かなり楽めました!タイム計測も久々の割にそれなりに走ったし。といってもリスキーな走りをしているわけではないので、もちっとキワドイ練習をしなくては‥と。
10年ぶりに皮パンツを購入して走ってみたところ、安心感がかなりUP。1回転んでしまえばもーちょっと思い切り走れるかも。

ひろしま競輪場

普段なかなか入ることのない、競輪場のトラック内に入ってきました。
コースって自分が足を踏み入れてもよいのか躊躇してしまいます。慣れてしまえばズカズカ入ってしまうんですけどね。丸1日自転車競技を見て、帰りのバイクに乗ると‥エンジンの逞しいこと。バイクってホントに楽してる乗り物だなぁ、と思いかえす良い機会でした。

電車旅

キョウちんちに泊めてもらった翌朝。斗威と自分は周南から電車で帰宅です。
朝は一緒に泊まっていた回転ちゃんのミニクーパーで徳山駅まで送ってもらいました。小さい車体に4人詰め込まれてゴツゴツ走りながら駅まで。あちこちから軋み音がして壊れそうな感じに反してよく走るんですねぇ、ミニクーパー。乗っている間、学生時代を何故か思い出しました。

徳山から広島方面へは、山陽本線と岩徳線とがありますが、迷うことなく単線・ディーゼルのワンマン車両の岩徳線で。途中駅に無人駅があるためか、車内にバスのような運賃箱があるのも新鮮。沿線のローカルな風景が楽しみで大人は乗るわけですが、子どもは相当退屈していたので‥「見えるものしりとり」しながら帰りました。窓から見えるものでするしりとり。おかげで子どもも風景に釘付け。

ラジオ体操

最近、ラジオ体操をはじめました。そうでもしないと体動かさないんです。
今朝は斗威とやけに早い時間に早起きしてしまったので、近くの海岸まで行って一緒にラジオ体操をしました。
息子とラジオ体操。初めてしましたが、思いのほか感慨深いものがありますね。

鍵山秀三郎さんの哲学

株式会社イエローハットの創業者鍵山秀三郎さんの掃除哲学、特にトイレ掃除から学ぶという姿は、ずいぶん前に何かで読んで感銘を受けました。自分も中学時代に学校の便器を素手で掃除をしていく中から、トイレ掃除を徹底することから様々なことが学べるということを理屈抜きで体で感じていたことも少なからずその感銘に影響していると思います。
このたび、岩国で講演会があるということで初めて直接鍵山秀三郎さんのお話に触れることができました。1時間半ほどの講演でしたが恐ろしく中身の濃い内容だったので、自分のためにまとめて掲載しておきます。

主催:立志の道 石碑建立準備委員会
会場:岩国市民会館

鍵山秀三郎 「ひとつ拾えばひとつだけきれいになる」

■政治と判断について
本来政治家とは市民の要求に応えるためにいるのではない。
市民を正しい判断に導く政治家こそ正しいのではないか。

物事の判断は「善」か「悪」で行われるべきである。これは公的な判断といえる。
しかし、残念なことに今日の日本人は「好き」か「嫌い」または「損」か「得」かで物事を判断している。これは大変私的な判断である。個人の物事の判断においても、その行いが「善」か「悪」かという判断を行うべきである。

■人生の大出発
最近読み直した本に、人生には大出発が3つあるとあった。

ひとつは出生。
もうひとつは青年期のはじまり。
そして、もうひとつは命が絶えるとき。

出生の出発は本人の意思ではどうしようもない。
青年期の出発は、自分で判断できるため、これは大きな意味を持つ。
そして命が絶えるときに出発する、とはどういうことか。
これは死後その人の思想が、その人を離れてなお影響力を持つことを指す。人は死んだあとに自分の思想が世に大出発をする生き方をしていかなくてはならない。

■そろばん的な人間関係
そろばんが得意な河野さんという方は「人生は掛け算と足し算で生きなさい、引き算や割り算はいけない」と言った。自分が他人にかかわり、足したり掛けることで1が2になり4になる。そういう生き方は良い。しかし、自分が他人にかかわることで引いたり割ったりすると、元あるものがどんどん小さくなる。それではダメである。
また、自分だけでいくら掛けてもダメである。1は1000回掛けても1である。他人と影響しあうのが良い。

■言葉の意味
言葉はしゃべるだけでなく、紙に書くと意味が出てくる。
これが色紙になるともっと意味が出てくる。
ましてや石碑となると、もっと強くなり、長く残る。
言葉を石碑に残して建立することには大きな意味がある。

■物を粗末にする人
この半世紀の間に人の心は変わってしまった。人と人の関係が変わってしまった。
人は物を粗末にするところから変わった。
物をモノとしか見ない。この思想が人をモノとして見るようになり、命をも粗末にするようになった。

卓上のコップと水とをテーマにして詩を書きなさい、という課題を課したとき、ほとんどの人が物理的にコップと水を見たのに対して、一人だけ水の気持ちで詩を書いた人がいる。コップに入った水が、コップが割れることで開放されるという気持ちを表現していた。

物の命を大切にしなくてはならない。

■行商をはじめたころ
創業当時は自転車に荷物を積んで行商をはじめた。
来るなといわれても、訪問した。ひどい追い返されかたもした。
世の中鬼のような人がたくさん居る事がわかったが、これは「私は絶対に同じことはしてはいけない、ということを教えてくれているのだ」と考えることにした。
中には親切な人もいた。自分も仏様のような生き方をできるようにしたい、と考えた。

扱っていた商品は自動車のハンドルカバー。当時まったく売れていなかった商品を引き受けて、自転車で行商して回ったが、訪問販売を続けていった結果、1年間で3万本も売れる商品となった。創業以来、今現在でも扱っている。眠っている商品を起こす仕事、商品の命を見つめる仕事だったと思う。

■しっているとしている、分かることの段階
幼少時代は何不自由なくすごしたが、学童疎開で岐阜へ移り住んだ。
その先で、目は悪くなったが体は強くなった。そして現在、年を取って失うものはあるが、逆に様々なことに気づくようにもなった。

「しっている」と「している」はにたような言葉だが、まったく違う。すごい距離感がある。

人はしっているをしているに近づける努力をしなくてはならない。

また、「分かる」には4段階ある。

人から聞いて「分かった、わかった」という分かる
分かったことを人に話をできる分かる
書くことで分かる
実践して分かる←これこそ真に分かるということである

■幼少時代に培ったこと
農業生活は毎年同じことの繰り返しである。
そして農業は収穫を通してその年の結果がはじめて分かる。このことから、保障されていないことへも努力することが必要であることを子どもの頃に学んだ

農作物は重力に反して地上へ伸びる茎葉と、地下に伸びる根とのバランスで成り立っている。
世の中、楽なことばかりでは不幸なことになることを学ぶことができた。

■本当の自由
とかく親は子どもに自由を与えることを先生に望むが、子どもに制約を課すことは実は自由を与えることにつながる。
校則を守れる生徒は本当に自由といえる。誰にも監視されない。
しかし校則を守れない生徒は、他人の目が気になる。決して本当の自由は得られない。

イエローハットでも病欠を理由に何度も休み自由を謳歌していた社員がいたが、ある日会社の健康保険組合から、保険証を使っていないことから表彰された。それ以来、その社員は他の社員の目(監視)から離れられる日は無かっただろう。

本来するべきこと以上のことをすることで、信頼を得ることができる。
例)イエローハット
社内だけでなく、社外の掃除をも徹底的にしているため、隣接した公的機関から鍵を預かるまでになった。本当に自由である。

整理整頓は大切である。物を探す努力には何の価値も無い。

■丁寧に
風呂上りの子どもにバスタオルを使わせるべきではない。子どもが不器用になる。

■実践が大切である
食べ物も、知識も、生かじりでは消化不良を起こす。
生かじりではなく、実践を通して身に着けよう。

しかし、実践にあたって良いと思っていてもなかなか心のスイッチが入らないと人は行動しない。

鍵山さんの本を読んで空き缶を拾うようになるまで2年かかった先生が、拾った空き缶を子どもたちにみせたところ、翌日子どもたちはすぐ実践した。子どもはすごい。

8128 496 28 6 一見なんでもない数字に見えるが、実は特別な数字。
これらは自分自身を割ることのできる数字を足すとその数字になる「完全数」である。
なんでもないようなことの中に、実は特別な存在感がある。

相田みつを作
「憂い」

むかしの人の詩にありました

君看よ、双眼の色
語らざれば、憂い無きに似たり

憂い・・・が無いのではありません
悲しみ・・・が無いのでもありません
語らない、だけなんです
語れないほど、深い憂い-だからです
語れないほど、重い悲しみ-だからです

人にいくら説明したって
まったくわかってもらえないから
語ることをやめて
じっと、こらえているんです
文字にも、ことばにも
到底表わせない
深い憂い-を
重い悲しみ-を
心の奥深く、ずっしり沈めて
じっと黙っているから
眼(まなこ)が澄んでくるのです

澄んだ眼の底にある
深い憂いのわかる人間になろう
重い悲しみの見える眼を持とう

君看よ、双眼の色
語らざれば、憂い無きに似たり

語らざれば、憂い無きに似たり

【質疑応答】
Q:若い人に教えを伝えるにはどうしたら良いか
A:タイヤの空気は規定値の2.2kg/cm2を入れるために、コンプレッサーはその3倍くらいの圧力が必要である。
教える人は教わる人と絶対的な差が必要である。自分を磨いて絶対差をつけることが必要である。
また教えられる側にも必要な姿勢がある。10周グラウンドを走れといわれて少しずつショートカットをして楽をしても10周ではあるが、それが1年、2年でまじめに走った人と大きな差となっていく。努力しない分は自分に返ってくる。一流になりたければ全てやるべき。

Q:人の心のスイッチを入れるには
A:マザーテレサは「自分の行動は愛と思いやり。愛と思いやりのない人は、何もない」と言った。
自分が会社でトイレ掃除を始めたのは、このままでは大変なことになる、と分かって自分から行動を起こした。しばらくは誰も手伝わなかったが、やがて反応があり、手伝う人が現れた。
一人でも良いから巻き込む、そのためには自分がどれだけ情熱を持っているか、である。

‥ほんとに1時間半とは思えない内容でした。

久々にグッと来た

Demonstration of how to play the lap guitar

(↑5min.comというサイトの動画がうまく直貼りできないので、リンク貼っておきます。是非見てみてください)
マニュアル化されたことを追いかけることが日常化してしまった生活を続けていると、たまにこのような新しさに触れて大きく心が揺れることがあります。

見た目のパフォーマンスにもサウンドにも、新鮮さがあふれていて、正直驚きました。既存の価値をひっくり返す楽しさって、まだまだ身近にあるもんだなぁ、と感激してしまったムービー。

YouTubeにも同じ人の演奏がありましたので、参考までに。

サーキットデビュー

体験走行や先導の仕事で鈴鹿サーキットや美祢サーキットを走ったことはありますが、自分の車両でまともにサーキットを走るのは、この年になって初めての体験。広島県の最西端にある謎のサーキット、サントポス大竹へ行ってきました。

路面はツルツル系のタイヤの減らないタイプ、おいしいコーナーは結構な逆バンクと、はやる気持ちと冷静さの駆け引きが必要なコースですね。僕の場合は‥最初はグルグルまわるだけで何が楽しいんだろう‥とか思っていましたが、ラップ取ってもらうようになってからだんだん冷静さにかけてきて、ヒートアップしすぎて3回転倒しました。でも、ホントに久々にバイクで思い切り走る時間がもてて良い経験でした。
初めての体験ついでに混走の模擬レースも走ってみました。混走で走るの、ホントに初めてなのでどのくらい突っ込んで行って良いものやらサッパリだったのですが、転倒・追い上げ・ガス欠と、短い間にこれまたいろいろ経験させてもらいましたねぇ。

消耗が激しいのが気になるので、次があるかどうか微妙ですが(笑)、自分なりにサーキットも結構楽しいもんだと分かった1日でした。

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